第三十八話 復讐の炎ネージュ・ラパン

 アウローラ帝国という国は、それを作った先祖の血を引いている母は、アルバ・エンティアにとってなくてはならない存在だった。

 他のどんな場所よりも、ファルナの王がいるとされるユディル城よりも、煌びやかで厳かなアウローラ帝国の大聖堂に立つ母は、何にも代えがたい存在だと、アルバは心の奥底から信じている。

 太陽神は永遠だ。太陽神こそが、我々が従える真なる神なのだ。母のお言葉を繰り返す。繰り返し反芻させ、アルバは空を支配している月を睨んだ。恨んで憎んで、その心に憎悪を燃やした。

 母と同じようにそれを見て、母の役に立とうとそれを排除する方法を探して。ようやく見つけ出した魔物を作り出す研究は、アルバの人生で一番の成果だった。

 母は幼い頃からアルバを見ていなかった。太陽の魔力に目を奪われ、実の子よりもそちらを愛した。それをアルバは悪いことだとは思っていない。けれど、一目でもいいから、自分を見てほしいとは思った。

 そのためにアルバは、来たくもない魔法使いたちの地に来たのだ。太陽の魔力を駆使して研究所を作りだし、膨大な金と時間をかけて計画を積み重ねていったのだ。

 だというのに。


「くそっ! だから魔法使いは嫌いなんだっ!」


 洞窟の中、一体の空を飛ぶ魔物の上で、アルバは呪詛を吐く。

 研究所は遥か後ろ。成果も計画も何もかもが、現れたクレイス家の魔法使いによって乱されてしまっていた。それが自分の魔物によって、魔法使いを殺すことによってできた破壊だったのならまだよかったのだが、そうではなかった。

 逃げ出したのは、自分の身を守るため。いかに魔法使いを殺したいとは言えど、命を失くしてはそれは不可能だ。アウローラ人の中には、自らを犠牲に魔法使いを葬った奴もいたが、アルバは自害してまでも魔法使いを殺したいとは思わなかった。魔法使いを殲滅させた時、生きていなければ意味がない。生きて、母に認めてもらえなければ、何の意味もないのだ。


「私は教祖の母、ミラ・エンティアの娘だ。こんなところで、魔法使いどもなんかに殺されてたまるものか!」


 血を吐くように叫び、アルバは魔物と共に洞窟を飛び出す。

 月のない夜は真っ暗闇に覆われていた。それを照らすのは、魔物の瞳から発せられる赤い光と、右手に提げた金属に嵌め込まれた太陽石の光のみ。その光を頼りに、アルバは上空へと魔物を飛ばすと、山脈を見下ろした。


「ちっ。ここの研究所はもう使えないね。ひとまず、またどこかの村にでも隠れ住むか……っ!?」


 そう、目的地を決めようとした時だった。

 眼下から迫りくる魔法の光に気が付いた。紅蓮の炎。それがアルバに向かって飛んできている。

 咄嗟にアルバは魔物の首元を右へと引っ張り、その魔法を避けた。通り過ぎていった赤い熱は空で弾ける。落ちてきた火の子を掻い潜り、アルバは強く舌打ちした。


「追って来やがったか! 魔の化身め!!」


 箒に乗り、アルバと同じ位置まで飛んできたのは二人の魔法使い。

 一人はクリーム色の長髪を風に靡かせた、アルバと同じくらいの年の男。その後ろで男の箒の上に立っているもう一人は、白い前髪の下で、赤い瞳を燃え滾らせている少年。

 アルバは彼らの名を知っている。

 クレイス家執事長ルナール・キャンベルと、クレイス家当主の息子、ネージュ・ラパンだ。


 ☆


 ネージュもルナールも、アルバと言うこの女がアウローラ人であることは確信していた。魔物を操り、魔法使いであるネージュたちに強い敵意を向けている様子を見れば一目瞭然だった。

 けれど彼女が持つ憎しみの理由や、真の目的は知らない。彼女の母のことも、魔物を生み出す目的も、目指す場所も知ることはない。

 否、知っていたとしても、たとえアルバがこの場で口にしたとしても、二人がそれに同情することはないだろう。

 特にネージュにとっては、そんなこと、どうでもよかった。

 アウローラ人は私欲で一つの地方を滅ぼした。罪のない人たちの命を奪い、ネージュの両親を殺した。それだけでなく、魔物を生み出し、さらに多くの人々を殺している。

 太陽神という、いるかいないかもわからない、ふざけた存在のために。

 そのような行為、絶対に許せないし、許すつもりもない。

 罪には罰を。大罪には死刑を。

 これは正義ではない。

 ――これはおれの“復讐”だ。


「黒く飛ばせ!!」


 ルナールの箒の上で、ネージュはカロットを横に薙いだ。大剣から放たれた風魔法は、逃げようとするアルバの魔物に直撃する。


「くそっ!!」


 深い闇のような黒目がネージュを睨みつけた。魔物の翼が傾き、アルバはその魔物にしがみ付いた状態で地上へと落ちていく。途中で体勢を立て直し、再び宙に留まったが、そこから上昇することはない。魔物の体力も限界に近いようだった。


「ルナール。あいつのところに飛んでくれ。落ちて見失う前に――首を斬る」

「承知しました」


 首肯したルナールは箒を操り、森に降りようと低空飛行をする魔物に近づいた。

 アルバが魔物の背中を殴っている。どうやらそれ以上、スピードは出ないと見た。やるなら今だ。


「はあっ!」


 箒を蹴って宙に飛び上がり、ネージュはカロットを振り被った。狙いを定め、目的に向かって振り下ろす――

 瞬間、振り向いたアルバが右手を振るった。


「っ!? ネージュ!」


 ガキィン――!

 ルナールの警告を遮るように、激しい金属音が鳴り響いた。首を斬るはずだったカロットが、硬いものに受け止められていた。

 それがアルバの腕輪――太陽の魔力が込められた石だとわかると、ネージュは息を呑んだ。

 その熱は、魔法使いの肌を焼く。


「焼けろ……燃えて灰となれぇ!!」


 重い大剣を片腕だけで受け止めながら、アルバは雄たけびを上げる。憎悪に染まった黒い闇がネージュを捉える。腕輪から、ネージュが発動する魔法とは別の、膨大な熱を纏った赤い光が迸った。魔物が吐き出す魔法と同じ、太陽の魔力だとわかると、ネージュは身体を強張らせた。これを受けたらまずいと、脳が警報を鳴らす。

 ――避けろ、避けろ、避けろ……!


「護れっ!!」


 鋭い声が間に滑り込んできたのはその時だ。見知った詠唱が、魔法が、ネージュを包み込む。はっと目を見開くと、薄い膜が太陽の魔力を防いでいた。

 瞠目したアルバが、細い眉を吊り上げる。


「あああああっ!! 魔法使いめがあ!!」


 光が爆ぜる。太陽の魔力が散る。ネージュを包んだ結界に亀裂が入り、そして視界の端で、結界を作ってくれた人物が焼けて吹き飛んだ。


「先生ッ!」


 洞窟から飛び出してきたネージュたちに気づき、加勢してくれたのだろう。吹き飛ばされたレイシスはそのまま森の中へと落下して行った。けれどネージュをまっすぐに見た瞳は、俺に構うな、と言っているようだった。

 ぐ、と、ネージュは柄を掴む両手に力を入れた。このチャンスを無下にしてはいけない。光を散らす石に、カロットを押し当てる。

 キィィィィィンと甲高い音を鳴らしていたそれに、ひびが入った。


「……っ!? やめろっ!」


 叫び声をあげ、アルバが身を引こうとする。


(させるか!)


 しかしネージュは彼女を逃がさない。宙に浮いたままだった状態から魔物の上に足を下ろすと――じゅ、と、靴の底が焼けたが気にせず――、黒い背中を踏みしめてカロットに力を加えた。

 上から力の限り押さえ込まれ、アルバの身体が沈む。潰されまいと抵抗する腕は、それ以上引くことができない。それを利用して――


「赤く狩れ!」


 ネージュはカロットを振り切った。


「ああああああああっ!!」


 絶叫が迸る。鮮血と、割れた石の破片と、切り落とした手首から上が宙に舞う。闇へと消えていくそれを追えないまま、アルバは斬られた腕を抱え込むように蹲った。

 ぐらりと身体が傾いだ。太陽石の影響を受けていた魔物が、その力を失ったのだ。落下し始めた魔物は途中で灰となって霧散する。残ったアルバとネージュが重力に引かれていく。


「ネージュ!」


 咄嗟にルナールが手を伸ばし、ネージュの落下を防いだ。腕を掴んで箒へと引っ張り上げようとする。が、ネージュはそれを拒否した。


「ルナール、放してくれ! このままとどめを刺す」


 ルナールは目を見張った。だがすぐに、それが最良の選択だと判断したのだろう。ぱっと手を放した。


「頼みます」


 低い声に送られ、ネージュは空中でカロットを構え直した。落下し、地面に叩きつけられたアルバに狙いを定める。腕を抑えて痛みに呻く彼女はもう、攻撃どころか防御すらできない。

 ――カロットを強く握りながら、ネージュはここにナズナがいなくてよかったと思った。殺しを受け止め、でも殺しはしてほしくないと言ったナズナに、こんな残酷な光景は見せられない。

 それからフレイにも。彼は絶対、ネージュを止めるはずだから。


(あいつはこういった行為が好きじゃあないからな)


 あの闇のない透明で透き通った瞳に、血に濡れた自分は、見せたくない。

 戦いは好きだ。血の色も好きだ。殺すことも当てはまってしまうかはわからないけれど、それが普通でないことをネージュはよく理解している。

 理解したうえで、行うのだ。

 これはネージュの生き方で、生きがいで。これ以外の道を、知らないから。


「カロット!!」


 戦いの場での相棒の名を高く叫び、ネージュはそれを振り上げる。

 アルバがネージュを仰いだ。怯えに染まった黒目が大きく見開かれる。開いた口が何かを伝えようとする。

 それでもネージュは容赦なく――敵の身に大剣を振り下ろした。


「が、はっ……!」


 胸を切り裂かれ、吐き出された息と赤が散った。返り血を浴びるネージュの足元で、アルバの身体は倒れ伏す。

 泡を食いながら、その口が何事かを呟いた。


「お、かあ、さま……」


 ――しかし彼女の声は、誰の耳にも届かない。

 虚ろになっていく視界の中で、呂律の回らない血の中で、アルバは宙へと手を伸ばす。


「私、は……あなたの役に、立ちたかっ……」


 ずしゃ。

 赤に、腕が落ちる。

 その絶命の音さえも、血だまりの中に沈んでいった。

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