第三十一話 『月の子』の命令

 重い話をしてしまった後は、甘味でも食べよう。

 そう提案したフォルクスに甘えて、ナズナはフォルクス、ネージュと共に一階の談話室へと向かっていた。

 時刻は夜の零時を回ろうとしている。

 こんな時間まで起きていることがあまりないナズナは、もちろん夜に紛れてお菓子を食べるという行為もしたことがなくて、なんだか悪いことをしているようなドキドキとした気持ちになっていた。


「ルナールには見つかるなよ?」


 声を潜め、笑いを含んだ声音でフォルクスが言う。つられて、ナズナも笑みを浮かべた。


「えぇ? ルナール様はもう寝てると思いますけど」

「いいや、たまに起きているときがある。部屋の明かりがついていてな」

「そうなんですね。あれ、フォル様って、いつもこんな時間まで起きてるんですか?」

「ああ、よく鍛錬したり、散歩したりしているぞ」

「フォルが鍛錬しているところは見たことがあるな。おれも眠れない夜は身体を動かしている」

「へええ、そうだったんだ。わたしもこの時間まで起きてれば見られるかな」

「ははは、運がよければな」

「ルナールに見つかって怒られても知らないぜ?」


 明かりのない廊下でひっそりと話しながら、ナズナたちは足を進める。エントランスホールの階段を降り、そのまま一階西廊下を進もうとしたときだった。

 ふと、ナズナは玄関扉を振り返った。そこに何かの魔力を見たような気がしたのだ。誰の姿もないのに。

 だが――それは予感だったのかもしれない。


 ――ダンッ!!


「ふえぁ!?」


 突然、叩くような音を扉が鳴らした――否、違う。誰かが思いっきり扉を叩いたのだ。

 次いで、聞こえてくるのは叫び声。


「誰か!! 誰かいないか!」


 聞いたことある声に、ナズナはネージュと顔を見合わせた。先に動いたのはネージュで、扉に走り鍵を開ける。

 転がり込んできた声の持ち主は――ナズナの予想通り、魔法教師レイシスだった。


「レイシス先生? どうしたんですか?」


 息を切らし、ナズナ、ネージュ、それからフォルクスへと視線をやったレイシスは汗だくだった。鳶色の前髪はぺったりと額に張り付き、頬に貼ってあった湿布は濡れて半分剝がれている。汗を拭うようにしてその湿布を剝がすと、レイシスは息も絶え絶えに一人の名前を口にした。


「フレイ、が……」


 フレイ――フレイ? ナズナは一瞬、誰のことだかわからなかった。それは自分の知っているフレイだろうか、と。

 しかしネージュは違った。赤い眼を見開くと、レイシスの腕を強く掴んだ。


「なんだ、どうした。フレイに何かあったのか?」

「ああ……フレイが、魔物に攫われたんだ……!」

「はあ!?」


 ネージュが声を上げ、どういうことだレイシスを強く揺する。ナズナも理解が追い付かない。一体レイシスは何を言っている?

 瞳を大きく揺らす二人を落ち着かせるように、フォルクスが努めて冷静に問いかけた。


「レイシス、話を聞かせてくれ。お主はフレイとどこにいたのだ?」

「フォルクス様……俺は、あいつに連れられて西の村に。あそこは、確か……」

「カルム村か」


 フォルクスのその言葉に、ようやくナズナの頭が動いた。

 カルム村は、魔物に襲われた村だ。特殊な魔物が出た村でもある。フレイはそこにいた――


(ううん、違う。向かったんだ、あの、金の糸を追いかけて)


 そこで魔物に襲われた――攫われた。

 理解すると、急激に胸の奥が冷えた。


「助けなきゃ」


 掠れた声が漏れる。そうだ、助けなきゃ。

 フォルクスの裾を強く掴む。


「フォル様行かなきゃ。フレイさんを助けに行かないと!」

「待て。状況を整理したい」

「でもフォル様言いました! 魔物はクレイス家で処理するって! 早くしないと……」

「落ち着け、ナズナ」

「何があったのです?」


 声が降ってくる。振り返ると、吹き抜けの二階に執事長ルナールが立っていた。薄いガウンを羽織っている姿から、騒がしさに部屋を出て来たのが見て取れた。

 彼は階段を降りてくると、汗だくのレイシスに眉を顰めた。視線で説明を求める。

 レイシスは深呼吸するように息を整え、一息でこう話した。


「フレイが探していた女の子が突然魔物化したんです。その魔物にフレイが連れて行かれて。入って行ったのは北の山脈にある洞窟です」

「すぐに行く。フォル、おれに行かせてくれ。先生、案内しろ」


 ネージュが腰のベルトから下げていた杖を手にする。今すぐにでも箒で飛び出して行きそうな勢いだ。その瞳は、友を心配して薄く膜が張られていた。


「わかった。だか少し待て。ルナール、ロッシュとミーチェを呼んでくれ」

「かしこまりました」


 ルナールが杖を出す。彼はそれを階段の手すりに当てると、声を発した。


「地の魔力、声を伝えなさい――ロッシュ、ミーチェ、聞こえますか。今すぐエントランスホールに」


 ルナールが使った魔法は、魔力を洋館の壁や柱に染み込ませ、声を指定した場所に届かせるもの。ルナールがよく使う、呼び出しの魔法だ。

 数分も立たずに足音が聞こえて来た。部屋から駆けつけて来たのだろう。ロッシュが吹き抜けに顔を覗かせ、続いてミーチェが柵を乗り越え一階に飛び降りた。身軽に着地したミーチェはもう、魔法ローブを身につけ、手に杖を持っている。


「魔物退治ですね! って、なんでナズナさまがいるんですか?」


 朱色の瞳は丸くなり、隣にいるレイシスを認めるとさらにまん丸く見開かれた。

 彼女が質問を重ねる前に、フォルクスが言葉を滑り込ませる。


「悪いが時間がない、説明は省くぞ。ロッシュ、俺とネージュの部屋から魔法ローブを持って来てくれ。そしてお主は洋館で待機だ」

「はいっ」

「ミーチェは魔物討伐隊を集結させ、彼らの半分を連れて北の山脈に向かえ。残りの半分には町の護衛を命じろ。その際にリートスに連絡を。もしもの時はロッシュと共に町と洋館を守るように伝えてくれ」

「なんだかわかりませんが、一大事なんですね。わっかりました!」

「ルナール、準備はできているな?」

「ええ、もちろん」


 頷いたルナールは、いつの間にか魔法でいつもの燕尾服に着替えていた。


「しかしフォル、あなたも行くのですか?」

「ああ。この事件、俺は無関係ではなくてな」

「フォル様、わたしも!」


 てきぱきと指示を下すフォルクスの裾を、ナズナは再度引っ張る。

 わたしも行かせてください――口にしようとしたその言葉はしかし、ミーチェに遮られる。


「ナズナさまはお留守番ですよ!」

「ミ、ミーチェ……!」

「だめです。いつも言ってるでしょ、あなたにはキケンだって」

「そうだぜナズナ。魔物のことはおれたちに任せろ」


 だから早く。急かすようにネージュが扉に手をかけている。ぱっとレイシスを見れば、彼はフォルクスやルナールの様子を伺っていて、ナズナの味方をしようとはしない。ルナールも、眼鏡を押し上げて、鋭い視線をナズナに送った。


「貴方は貴方の役割を」


 役割。役割とはなんだろう。自分の役割とは。視線を下げ、ナズナは唇をきゅっと結ぶ。拳を握る。


「ナズナ様、オレらと一緒にここで待ってましょう」


 ロッシュがナズナの肩を叩いてから、フォルクスの部屋へと走り出す。

 誰も、ナズナの言葉を、願いを聞こうとしなかった。俯くナズナを気遣いはするものの、すぐに視線を外して魔物への対策をと準備を始める。

 いつものことだ。魔物退治に同行したいと言うと、皆が皆ナズナを止める。出てくる言葉はすべて、危険。


(わかってるよ、でも……!)


 そう、そんなことはわかっている。危険な場所だということは百も承知だ。それでも、行きたいと思うこの気持ちを、どうして誰もわかってくれないのだろう。みんなだって危険ではないか。

 苛立ちが募った。嫌だった。自分だけ置いて行かれるのは、やっぱり嫌だ。クレイス家と関係ないフレイだって、自分たちのために動いて危険な目に遭っている。だというのに、ナズナ一人安全な場所で待っているなんて、どうしてできるだろう。


(せっかく、フォル様に色々教えてもらったのに。わたしだって……わたしにだって、できることがあるかもしれないのに!)


 どうすればいい? どうすれば、皆と共に行ける? どうすれば認めてもらえる?

 無理に飛び出したって、また戻されるだけだ。説得の方法が、ナズナには思いつかない。

 また、我慢しないといけないのだろうか――


 ――君がもし何かを我慢しているんだとしたら……そこから抜け出すことを、諦めないでほしい。


「……!」


 不意に、声がナズナの耳を掠めた。思わず振り返る。そこには誰も、いない。

 誰もいないけれど、彼がいた。階段下の手すりの隅。そこに、一輪の青い花が落ちていた。

 ルナブルームだ。昼間、執務室に向かうフレイを追いかけたとき、バスケットから散ってしまったのだろう。

 拾い上げる。月の魔力が残っていたのか、まだキラキラとしていた。茎から落ちてしまったというのに、花弁はナズナを元気づけるように上を向いている。その花言葉は『星に願いを』『勇気』、そして『幸福を掴む』。透き通るような青は、彼の瞳を思い起こした。それはナズナの心を奮い立たせる。


(……方法は、ある)


 心の中で、呟いた。

 目を閉じる。青の花を両手で包み込む。

 ――思いつかなかったわけではない。ナズナはそれを知っていた。けれど、勇気がなかった。それを認め、使い、背負う勇気が。

 でも。


(もう我慢したく、ない)


 諦めたく、ない。

 目を開き、ナズナは階段を上った。生成魔法でルナブルームにピンをつけ、お守りのように髪に差す。あの探偵の様に。

 踊り場で、皆の方を振り返る。

 二階の、ナズナの正面に位置する窓に自分の全身が映った。ただ俯いて周りに流されて、曖昧な笑みを浮かべて息を吐く、今までの自分が見えた。

 それはとても惨めだった。そんな自分を変えたいと、そう思った。

 彼に見合う人になりたい。凛と前を向き、背筋を伸ばし堂々とする、彼のような、光に。

 エントランスに戻る足音が聞こえて来る。再び吹き抜けから降りてきたロッシュが、ナズナを見て動きを止めた。

 それに気づき、魔法ローブを受け取ろうとしたネージュがナズナを見上げた。次いでミーチェが振り向き、ルナールが顔を上げた。

 フォルクスの金の瞳が、ナズナを映す。

 皆の視線がナズナに集まり、音が聞こえなくなる。

 その瞬間――ナズナは声を張り上げた。


「フォルクス!」


 そのときが来たら、自然と向き合えるようになる――そう言ってくれた当主の名を呼んだ。

 続いて他の、クレイス家の四人を見渡し、思いの丈を声に乗せる。


「ルナール、ネージュ、ミーチェ、ロッシュ、聞いて!」


 ――聞いてほしい。わたしの願いを。思いを。


(わたしがどれだけ、あなたたちと共にいたいのかを。あなたたちの傍にありたいのかを)


 これまではずっと、ただただわがままを言うように、一緒に行きたいと口にするだけだった。

 それがどれだけ危険なことで、どれだけ迷惑なことで、どれだけ負担になるか。わかっているつもりで、まったくわかっていなかった。

 それなのに、ナズナは泣いて怒っていじけて部屋に閉じこもって、ちっともみんなの気持ちや心を考えて来なかった。

 自分の存在がこの国にとって必要であり、守るために自由を奪うことがどれほど辛いことなのか、わかろうともしなかった。自分のことしか、考えていなかった。

 だけど今は、違う。


「――命じます」


 自由を諦めないでと言ってくれた人がいた。彼のおかげで、外へと目を向けられた。

 初めてフォルクスの心を知った。本当は自由を与えてやりたかったと。運命の中でも自由を見つけてほしいと、彼は言ってくれた。

 ナズナは思った、彼らことをもっと知りたいと、強く、強く。魔物のことを、アウローラ人という敵のことを、クレイス家が行っていた、死刑、人殺しのことも全部。

 それが善か悪は、今のナズナにはまだ判断はできない。けれどその答えを、これから探し出していきたいと思った。彼らと共に。本当の意味で、危険に立ち向かいながら。

 いずれこの国を支える存在として立ったとき、みなが心配を抱くのではなくて、信頼と安心を抱いてくれるような、そんな存在になりたいのだ。


(だってわたしは、『月の子』なんだから。未来の女王、なんだから)


 クレイス家は、ナズナに運命を突き付けたかもしれない。それはやはり痛くて苦かったけれど。でも、だからこそ手に入れられた幸福もあった。

 その幸福を守るために。ナズナは、嫌いだった運命を背負って、自身の想いを叶える。


(あなたたち家族と、これからも笑い合うために)


 そして、大切な人の元へと向かうために――!


「わたしを……魔物の元へ連れて行きなさい!」


 凛とした声が、エントランスホールを支配した。その声と共に響き渡った月の魔力が、見上げる全員の肌を粟立たせる。

 金の髪が靡き、桃花色の瞳が強い光を放つ。

 そこにいたのは、ナズナであってナズナではなかった。いつか、女王となる魔法使い。月神の力を持った、聖なる存在。


 ――『月の子』が、クレイス家に命を下していた。


「ナズナ……」


 ネージュが目を見開く。

 しんと静まり返ったエントランスで、フォルクスがふ、と頬を緩めた。ミーチェとロッシュはただただ愕然とし。そしてルナールは――


「……『月の子』、ナズナ様のご命令のままに」


 その場で、跪いた。


「えっ……ふぇ!?」


 一人が頭を下げると、続けるようにフォルクスが膝を折った。執事長と当主、二人に習うようにネージュ、ロッシュ、ミーチェもその場に膝をつく。唯一立ちっぱなしだったのは呆然としていたレイシスだけだったが、彼もナズナと目が合うと慌てて頭を垂れた。


「ま、ままま待って!?」


 しかし、一番驚いてしまったのはナズナだ。勢いで言ったものの、まさかこんな風に頭を下げられるとは思っていなかった。慌てて顔を上げるように言うと、フォルクスが立ち上がった。見上げた彼は、満足気な笑みを浮かべている。

 穏やかな声で、フォルクスは言った。


「ナズナ、俺たちはお主の命に従う。さあ、そのまま指示を出してくれ」


 息を呑んだ。心臓が激しく鼓動を鳴らした。それは責任重大で、ともすれば彼らを危険に晒してしまうわけで。けれど同時に、気づいた。ここが自分の居場所だったのだと。『月の子』として、立つべき場所だったのだと。

 これは自分にしかできないことだ。自分の役割だ。本能と、身体を巡る血と魔力がそう言っている。

 頭の中と目の前が自然と澄み切っていき――ナズナは改めて、命を放った。


「ロッシュ、ミーチェはさっきのフォル様の指示に従って。ネジェとレイシス先生は、先にフレイさんのところに。その後を、ルナール様、フォル様、わたしが追います。それから……みんな、怪我だけはしないで」

「はい!」


 皆の返事が重なる。期待に満ちた瞳が、ナズナに注がれる。気恥ずかしかったけれど、同時に嬉しくもなった。

 想いが、伝わったのだと。


「ナズナ様、かっこよかったっすよ!」


 階段を下りながら、ロッシュが笑顔でナズナの肩に手を置いた。続いてミーチェが駆けてきて、強くナズナを抱きしめた。驚いたナズナに、囁きが贈られた。


「ナズナさま、立派になりましたね。でも! ナズナ様こそ、怪我したらボクが許しませんよ!」

「ミーチェ……ありがとう。ミーチェも気を付けて」

「もちろんです!」


 頷いたミーチェが弾むように洋館を出ていく。続いてレイシス、ネージュが箒に乗って飛び出した。ナズナたちはその後に続く。


「ナズナ、俺の箒に」


 箒に跨ったフォルクスがナズナを手招きする。飛行魔法を使えないナズナは、頷いてフォルクスの前に飛び乗った。足が宙に浮き、フォルクスの箒が北西に向けられる。ルナールが少し前を飛び、フォルクスは後ろから箒を走らせた。


「ナズナ」


 ふと、肩越しに名前を呼ばれた。


「はい」

「まさか、こんなに早くにその時が来るとは思ってなかったぞ?」


 からかうような口調に、ナズナの頬に熱が上がった。

 ナズナだって、まさか今日の今日、運命を認め、向き合うなんて思っていなかった。向き合うどころか、体当たりするかのようだった。

 それでも、先ほどの発言を後悔はしていない。だって今、ナズナは空を飛び、フレイの元に向かっている。


「フォル様。わたしもう、諦めたりしません。たとえ危険だったとしても、『月の子』として、自分のしたいことをする!」

「はっはっは! それは頼もしいな」


 フォルクスの笑い声を乗せた風が、ナズナの金髪を巻き上げる。薔薇の香りが鼻を掠めた。

 月の沈んだ暗い夜。町の明かりはほぼ消え、眼下は何も見えない。久しぶりの外は、暗闇に覆われていた。

 まるでこれから向かう先が危険だと知らせるような深い闇に、しかしナズナはしっかりと前を見据えた。


(フレイさん待ってて。今度はわたしが、あなたの元に向かうから)


 その先に、大切な人がいる。そう思うと、不安なんて一つも湧いてこなかった。

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