第6話 落日
〜*〜*〜*〜*〜*
「もうすっかりお祭り気分だよな!」
次の日、私はアナセン邸を出てコールとマゼルの二人と七
そしてコールが話す通り、今はどこも間近に迫るタヴァリャーシャに向けて活気付いている。大樹の至るところに様々な花弁が飾り付けられており、空中の庭園のような装いを見せている。
アナセン様のお遣いの内容はとても簡素なものだった。果たして私の手伝いも必要だったのか、片手で持つ軽い麻袋を見ながらふと考える。深く考えても仕方がないと二人の元へ戻ろうとした時だった。
「す、すみません!」
突然聞こえてきた声の方へ目を向けると、そのには
「コール!」
私は直ぐにコールの元へと走り寄る。見る限りはコールがお婆さんにぶつかってしまったようだ。
「何やってんだ、馬鹿!」
マゼルも気付いたようで、私に少し遅れて駆け寄ってきた。
私たちは急いで地面に散らばった果物を拾い集める。その合間にお婆さんの様子を流し見る。怪我をした様子は見受けれないが、身に着ける衣服が少し高級なものに見えて、不安からか冷や汗が吹き出てくる。
私たちで拾い集めたものを、コールが恐る恐るお婆さんに渡す。それを受け取ったお婆さんはじっと私たちの姿を見据えて、ゆっくりと口を開く。
「貴方たち、アナセン様のところの子かい?」
その問い掛けにコールは緊張した声色ではい、と答えた。すると、みるみるとお婆さんは目を大きく見開いていき、口の端も大きく横に広げて話す。
「本当かい! 私の主人が助けてもらってね〜。貴方たちが育てた薬草のおかげよ! ありがとうね〜」
そう嬉々として話すお婆さんは、コールの両手を果物でいっぱいにしていく。困り顔で両手いっぱいに果物を抱え込むマゼルを尻目に、
取り敢えず私とマゼルは、困り果てたコールを眺めながら胸を
そうして色々なことがあったお遣いも、帰路につく頃にはもう日が暮れそうになっていた。
私たちは遠く見える水平線の空模様を呆然と眺めつつ、静かに歩いている。あのお婆さんとの一件があって以降、コールがやけに静かで。
「どうした? コール」
と
しばらくそのまま歩いた後、突然立ち止まったコールに私とマゼルはどうしたと振り向く。するとコールは私たちに顔を向けることなく口を開いた。
「……なぁ、今までこんなことなかったよな。仕事は大変だけど、上手いご飯も快適な暮らしも、それにお金だって貰えてる」
そのコールの言葉で、今までずっとコールが言っていた夢のことを思い出した。人間らしい生活。今の私たちはそれを出来ているのかもしれない。でも、
「でも、私たちが奴隷なのには変わりないよ」
私はコールを見据えてはっきりと言う。
この生活はアナセン様に買われたからあるものだ。私たちの全てはアナセン様次第。私たちはこれからずっと、アナセン様に
「そんなことないだろ。ここの人たちみんな、俺たちのことを普通の人間のように扱ってくれてるだろ!」
「だから、それは、私たちがアナセン様に買われた奴隷だからだよ」
私たちの存在価値なんてそれでしかない。さっきのお婆さんだって、私たちがアナセン様の奴隷だからあんな態度をとったに決まっている。そうじゃなきゃ、あんな表情を奴隷になんて向けない。
「……さっきの婆ちゃん。俺の手を握って、目を見て話してくれた。屋敷のみんなもお店の人も、ここにいる人たちみんな、ちゃんと“俺”を見てくれている」
そんな訳ない。そんな
「……だから。だから、言ってるでしょ! それは全部、私たちがアナセン様の奴隷だからって。それ以外に理由なんてないよ!」
「そんなことねーよ! そもそも、俺たちが毎日必死になって努力してきたから今があるんだろ。お前はいっつも直ぐに、奴隷だ奴隷だって。少しは前向きになれよ、良い加減にさ」
「……コールだって口を開けば、夢、夢、夢って。やめてよ」
どこまでも真っ直ぐに私を見返すコールに、私は言い返す気力を失ってしまった。自分でも何でこんなにコールに突っかかったのか分からない。
私はただコールには、あのコールだけには、私たちみたいに絶望してほしくない。諦めなんて知らない、あの元気で無鉄砲なコールでいて欲しいから。変に希望すればするほど、裏切られた時の痛みは大きくなる。もしそうなった時、コールはいつも通りでいられるのだろうか。
「二人とも落ち着け。コール、ルルは俺たちよりずっと酷い目に合ってきたのは知っているだろう。だから、まだ戸惑ってるんだろう」
言い合う私とコールの間に入って、
そのマゼルの姿が視界に入って、昨日の穏やかなマゼルの表情が脳裏に浮かぶ。
「…………違うよ」
それは思わず出た言葉だった。
その言葉はコールにも届いていたようで、間に立つマゼルを押し退けて、コールは私に歩み寄ってくる。
「じゃあ、なんだよ。それじゃあ、どうしてルルは毎日俺の勉強やわがままにあんだけ付き合ってくれ———」
ぱん、と私は大きく手を打ち鳴らした。目の前で不服そうに顔を歪めるコールを尻目に私は明るい声で話す。
「良かったね、コール。……夢、叶ったね」
ずっとコールが言い続けてきた夢。私は心から応援していた。だから、嬉しいと思っている。これは嘘じゃない。
コールはぽかんと口を開けて、何かを諦めるように息を吐いた。
マゼルは心配そうに私を見ながら何かを口にしようとしたのか、少し開いた唇をそっと
「……叶ったじゃねーよ、叶えたんだ! そんで、次は二人の番な!」
一歩前に出たコールは私とマゼルを指差して言った。にこやかな笑みを浮かべながら続ける。
「ずっと俺のわがままに付き合ってくれたんだ。だから手伝うよ、何でもさ!」
コールはいつだってこうだ。どこまでも前向きで、どんな暗闇の中でも光を持ち続ける。
私は、そんなコールを
「夢なんてないよ、私は奴隷なんだから」
呟くように自然と出るいつもの言葉。
コールはいつものように溜め息を溢しながら、きらきらとした目を私に向ける。
「ルル。お前は本当にまず———」
何かを私に言おうとしたコールを、マゼルが割り込むように間に入って止めた。今日はもうやめておけ、と穏やかなマゼルの声が私の耳に入る。
そのマゼルの背中に、その穏やかな声に、私は問い掛ける。
「夢見たって無駄、でしょ?」
あの日、この国に来た時にマゼルがコールに告げた言葉。
こちらに振り返ったマゼルは、少し
「あぁ。……でも、少しぐらいは良いんじゃないか」
そう言って、マゼルは、照れくさそうにはにかんで見せた。
「おいおい、マゼル」
「……何だ?」
「いや、別に?」
「何だ、その顔は……。もう、帰るぞ」
ずっと見てきたはずの二人のやり取りを、私は直視出来なかった。
逃げるように視線を遠くの空模様へ移す。もう空は段々と暗みを広げていって、半年前に三人で眺めた綺麗な空模様は、水平線に吸い込まれるみたいに消えていく。もうすっかりと聞き慣れた日の入りと共に動き出す大樹の根の地響きが、今日の終わりを告げる。
「ルル、どうした? 帰るぞ!」
すれ違う人も遠くに見える人も、みんな影になって表情なんて見えないけど、楽しそうだとは分かる。生き生きしていると感じる。
「そうだ、ルル。アナセン様から聞いたぞ。祈り子とかいうのに選ばれたんだろ。すげぇーじゃん!」
「女王様に
前を歩く二人がそう話を弾ませている。
(……そっか、やっぱりそういうことか)
手に持つ麻袋の軽さを改めて認識する。予想外のこともあり、少し荷物は増えてしまってはいるけど、一人で事足りる荷物だ。
私は二人にその話はしていない。きっとアナセン様が私を心配して、とかだろうか。
(なんか、私がおかしいみたい)
私はふと歩みを止めて、遠ざかっていく二つの人影を見つめる。
その生き生きと楽しそうな影は、段々と周囲に溶け込んでいって、私はもう、二人がどれか分からなくなった。
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