第4話 穏やかな淡い日々①

〜*〜*〜*〜*〜*


 この国はどこを見ても青い景色が目に入る。

 今の季節は初夏。私の目線と同じ高さに見える遠い積乱雲が、夏霞なつがすみのように海原をさえぎっていて、時折見える太陽光を反射した海のギラギラとした輝きが私の目をしばたかせる。


 この国に来てから半年が経った。もう生活や仕事にも大分慣れてきて、今のところの私たちの生活は、今までになかった穏やかな日々になっている。


 私たちの今の主様あるじさまであるアナセン様は、植物に精通した方だ。この国に二つの大きな屋敷を持ち、様々な植物の生育とこの国の基盤の大樹の健康管理も務めている。

 この国にいて大樹の管理を任されるということ、それだけでアナセン様の地位の高さが分かってしまう。


(……大丈夫かな、コール。マゼルがいるから大事おおごとになったりはしないと思うけど……)


 今私の近くに二人はいない。それはアナセン様の屋敷はこの国の上層の十一枝区しくと下層の四十枝区にあって、私は上層、二人は下層の方へと別れて働くことになったからだ。仕事中に出会うことはないけど、仕事外の時は自由に動けるから二人とは頻繁ひんぱんに会って話している。

 それでも働いている間はふと二人のことが気掛かりになってしまう。それはこんな重大な仕事に関わってしまっているから。きっとそうだ。


(でも、今回はコールは大人しいというか……)


「———ルル! そっちはどう?」


「あ、はい! もう終わります」


 同行している子の呼び声でふと現実に戻る。最近、変に一人で考え込んでしまう。


「……集中」


 こんなことでは私が二人に迷惑をかけてしまうと気を取り直して目の前の仕事に向き直る。

 私が現在している仕事は大樹の健康診断の補助。枝や幹などに生えてくる小さな枝、胴吹きというものの数を数えては記録していっている。胴吹きは栄養が足りていないことの証。最悪の場合はその枝が枯れてしまう。それはこの大樹の国では人の住む土地がなくなることを意味している。


「ルル、終わった? 戻るよ」


「……はい」


 その呼び声に応じて私は大樹の幹まで向かう。そこには“8”と数字が彫られていて、その数字の上から横線がいくつも被せられていた。


 私はふと後ろを振り向く。

 そこは私の背丈の三倍はありそうな胴吹きが森のように生い茂っていて、どこも枯れていた。もう人が住んでいた跡なんて何もなくて、ただ寂しい景色が青空に浮かぶ中、ざわざわと葉擦れの音を悲しげに鳴らしていた。



〜*〜*〜*〜*〜*



「すまないね、仕事中に呼び出してしまって」


「いえ大丈夫です。それで私に何か……?」


 私はアナセン様からの呼び出しに応じて、アナセン様の私室兼応接室になっているこの部屋に訪れていた。部屋の壁はきらびやかな紋様があしらわれていて目がかれてしまう。それ以外にも上等そうな物があちこちにあり、身が縮んでしまいそうになる。ただでさえ要件不明で呼び出されているのだから尚更だった。


「もうじき、この国で“タヴァリャーシャ”という祭事が開かれるのは知っているね?」


 アナセン様の鷹揚おうようとした問い掛けに、私は緊張した面持ちではい、と答える。


 “タヴァリャーシャ”というのは、世界的に知られている有名な三つのお祭りの一つ。それは新たなこの国の女王の誕生を祝う五年に一度のお祭り。世界一幻想的な景色が見られるとよく噂に聞いている。

 今も私たちはこのお祭りに向けて、大樹を育てた花々で着飾ったりと忙しなくしている。


「ルル、君は“祈り子”に選ばれた」


 アナセン様は穏やかな目線を私に向けつつ、反応を窺うようにそう告げた。

 私は初めて聞く言葉に首を傾げる。


「すみません、その祈り子というのは……」


「祭事の際、国の最上部の城内にて、女王様の即位と誕生に則する儀式が行われる。祈り子はそれを国民の代表の一人として見守る。まぁ要するには、新たな女王様を誰よりも早く、間近で拝めるようなものだと考えていい」


「……見守る? 私が……」


 なぜ私なんかがそんなものに選ばれたのだろう。そもそも見守るって何? そういう得体の知れないものに関わらされることに良い記憶が何もない。


「ルル、君の不安になる気持ちは分かる。けど、安心していい。これは国からの正式な要請だ。過去に何か大事になった記録もない。それに何か特別することもないと聞いているよ」


 アナセン様の心配そうに優しい声色が私の耳に届く。それは私の身体の中心の心の琴線きんせんに触れて何かを感じさせる。嫌だと思う。何も分からない。この状況も、ここでの嘘みたいな穏やかな日々も。


「ルル、これは誇るべきことだ。中々経験出来ないことだし、私は受けることをすすめるが、判断は君が自由に決めるといい」


 アナセン様の力強くでも穏やかで温かみのある目が、私を真っ直ぐに捉えている。

 この人はずっとこうだ。穏やかで優しく、その内側にあるはずの黒い感情を、私に悟らせない。


(……自由なんて、そんなもの私たちに)


 何も理解出来ないこの状況でも一つだけ分かっていることはある。きっともうこのことは決まっているということ。またいつもの理不尽だ。こんなことにはもう慣れているから、そう飲み込んで、私は内側から湧き上がってくるものを抑え込んだ。


「……受けます」


「……そうか、分かった。話は進めておくよ。ところで何か質問や不安があれば、私が知っている限りは答えよう」


 アナセン様の穏やかな声が私に尋ねる。その表情を見たくなくて、私は目を伏せた。


「……私は」


 質問も不安も山ほどある。私が国民の代表だなんておかしいし、きっと何か裏があるとしか思えない。でも、こんな問答なんて無駄だ。だって私は奴隷だから。


「ルル、遠慮しなくても大丈夫だよ」


「……いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 私の言葉にアナセン様はそうか、と短く答えた。ふと見えたその表情はどこか憐れむような、幼子を心配するかのように私には見えた。

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