第2話 大樹の国、ルルードゥナ①

〜*〜*〜*〜*〜*


 私たちの住まうたった一つの大きな大陸、ジーランディア。そしてたった一つの島と呼称される小さな大陸にある一つの国、ルルードゥナ。その島に立つ大樹は、その土地の八割を占拠するほどの巨大さを誇り、人々はその大樹の上に国を築いているという。


 この国を訪れたとある冒険家はこんな言葉を残した。


 ———まるで、人々が空に住んでいるようだ。


     *   *   *


「お前ら、少し大人しく待っていろよ」


 そう苛立いらだった男の声と共に、荷車が蹴られたのか少し揺れる。声の主はこの荷車を馬で運んでいる御者ぎょしゃのもの。

 いつも不機嫌そうな態度だけど刺激しない限りは無害だ。私たちは値の付いた商品とも言えるから、下手に何か手を出すと男の稼ぎに支障が出るからだろう。でもだからと言って、好き勝手にしてもいい訳にはならない。

 なので、私とマゼルは隣のコールに目線で注意を促している。大人しくしていて、と。


 コールは見るからに不満の表情を見せていて、今にも大口を開けそうに口元はわなわなと震えている。

 マゼルが追加で人差し指を自身の口元へと運んでさらに注意を示すと、コールは分かったというかのように、両手を小さく掲げて降参の意を表した。



 御者の気配がなくなってからも用心深く沈黙を保ち続け、マゼルと二人で挟みながらコールをにらみ続ける。もういい加減に大丈夫だろうと、私は小さく疑問に思ったことを声に出す。


「……もう国内かな?」


「いや、これからだろう。まだ外も暗い。そうなると、どんな理由があろうと入れない・・・・だろうしな」


「……なぁ、なんか外盛り上がってないか?」


 なにやらそわそわしているコールがそう言って口を挟んだ。

 コールの言う通り、布越しからにぎやかな喧騒が私の耳に届いてきている。直ぐにでも外に飛び出しそうなコールを手で制したマゼルは、そっと周囲を覆う布をめくり上げ、辺りをうかがった後に言う。


「大丈夫だ、御者は見当たらない。ただ人が多いから、あまり目立つことはするなよ、コール。あと、ここから一歩も出るな。分かったか、コール」


 そう注意に注意を重ねて告げたマゼルの言葉が終わって直ぐ、外へ飛び出る勢いで布から顔を出したコールは興奮冷めやらぬ声を上げた。


「でっっけぇー!! 二人も見てみろよ!」


「おい、コール……。今俺が言ったこと、聞こえなかったのか……?」


 呆れたように口にするマゼルなどお構いなしに、コールは小さな子供みたいにはしゃいでいる。

 私はマゼルとお互いに目を合わせて苦笑いをこぼして、コールが捲り上げた布の隙間から顔を出すように荷車の小さな壁に身を乗り出した。



 外に顔を出して直ぐ、私の鼻腔びこうを潮の濃い匂いがくすぐった。少し肌寒く感じる波風は、小さな世界に引きこもっていた身体には心地良い。

 空はまだ暗みを残していて、辺り一面に広がる大海原は空と同様に薄暗い群青色に染まっている。その景色が持つ色と雰囲気は、何か引きずり込まれそうな不思議な感覚を覚えてしまう。

 そして私たちの正面に大きな何かがたたずんでいる。暗くてその詳細は窺いきれないけど、きっと大樹の一部なのだろう。


「気持ちいいな、ルル」


 隣のコールが爽やかな笑顔を見せてそう呟く。


「うん。ずっと引きこもってたしね」


 無邪気な笑みを見せるコールに私も微笑み返す。こんなに風が心地良く感じるのは初めてかもしれない。


 そんな私たちの目の前で空は段々とその色を変えていく。

 薄暗い群青色から黄身がかった薄紅色へと変化していく。


「……コール、東雲色しののめいろだよ」


 鮮やかに色を変えていく空と海の段階的な色模様に目をかれつつ、隣のコールにそう呟いていた。


「ん? なんだ、それ」


「知らない? この色をそういう言い方したんだって、昔は」


「昔って、いつの話だよ?」


「……いつだろ? 多分、何かの本で読んだと思うけど……」


 無意識に飛び出た言葉だったから、どこから得た知識だったかは曖昧あいまいで思い出せそうになかった。

 そんな私の様子をじーと見つめているコールは、突然何か思い出したように目を見開いて言う。


「もしかして“ガーナの冒険記”じゃないか? あの本そういう幻想的なの多いだろ。というか、以外にルルはあの本好きだよな。まぁ、俺も好きだけどさ」


 どこか馬鹿にするように口の端を吊り上げて笑うコール。私らしくないと馬鹿にするような笑みで、私はそっぽを向くことで答えた。



 『ガーナの冒険記』は文字通り、ガーナという男性が世界を冒険した記録を物語調に書いた本になっている。昔に実在し世界を救ったと言われているいにしえの英雄の記録『ヒノマル』と並ぶ有名なものだ。

 内容は至って普通の冒険たんだが、『ヒノマル』と現在を照らし合わせた独自の切り口や著者の愉快で豪快な語りが読むものを物語に引き込んでいく。因みにこの本では、今私たちのいるこの国のことを“魔法の国”だなんて称している。きっとこの国の大樹の超常的な姿を神秘的に捉えてそう記したのだろう。もちろん、“魔法”なんてものはお伽話とぎばなしにしか存在しない。


 私はちらっと隣のコールに顔を向けて、一応釘を刺しておく。


「コール、この国に“魔法”なんてものはないからね」


「はぁ? まだ分からないだろ」


 不満そうに目を細めてこちらに振り向くコールに、私は若干じゃっかんの諦めの意味を伴って正面を見据えた。


「……そんなもの、世界中探したって有りはしない。もう十五だろう、いつまでそんな子供みたいなことを言っているんだ」


 そう言ってマゼルも私たちの身もふたもない話に口を挟んだ。


「あのなぁ……、二人はいつもそう夢のないことばっか言っ——————」


 コールが私たちに文句を言おうと身を乗り出したその瞬間だった。


 大きな地響きが私たちの耳にとどろいた。それはちょうど東の空の水平線から朝日が顔を出し、辺り一面に輝かしい陽光が差したその時だった。


「な、なんだ!?」


 驚き慌てる私たちを他所よそに、マゼルは落ち着いた様子で前方を指さして言う。


「お前たちも聞いたことがあるだろう。ルルードゥナ名物の“開門”だ」


 マゼルの指差した先、薄暗闇の中に感じた巨大な何かは陽光によってさらされ、その正体を現した。

 それは一本一本が大木のような太さで螺旋らせんに絡まり合い、いびつな壁はまるで城壁のように視界目一杯にまで広がっていた。


 それは“根”だった。ルルードゥナという国の土地の基盤になるほどの大樹のほんの一部分。それがまるで意思を持った生物のようにうねり動き、引きずられるように地中へと下がっていった。そして眼前に姿を現したこの国の外形に、この場にいた全員は首をそろえて仰ぎ見たことだろう。


 大きい、巨大、どの言葉を持ってしても、私の瞳に映るこの光景を言い表せないと思う。まるで天まで届くような大樹の幹。上空には雲のように大樹の樹冠が生い茂り、隙間から雨のように光が降り注いでいる。この空は我がものとばかりに自由に展開された大樹の巨大な枝たちは、まるで大地のように力強く存在感をかもし出す。その上には薄らと建物のような建造物も窺えた。


「すげぇー……なぁ……」

「……うん」

「実際に見ると壮大なものだな」


 私たちはそれぞれ呆気あっけに取られてしまう。私はこの光景を呆然と眺めながらふと脳裏にガーナの冒険記のある一文が浮かんだ。


(人々が空に住んでる……か。確かに、これはそう見える)

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