第4話 自由なお姫様、宰相にもやっとする

 ライアスは前回のお忍びの時と同じ格好をしている。


「フェリシア、俺を試すとかいい性格してるな」

「あら、だって――」

「はいはい」


 フィリオーネが反論しようとしたところをライアスが封じる。


「で、その指輪、気に入ったのか?」

「指輪……そうね、こういうのもいいかなって。サイズもちょうどいいし」


 フィリオーネは自身の指にはめてみせた。薬指にぴったりとはまった指輪がきらりと光る。それはブラックスターサファイアだった。サファイアの中でも安価であるが、優しい黒色は他の石には出せない魅力があるように思える。そこに一粒の小さな光が浮かんでいる。

 やわらかな黒に浮かぶ星の縁は、ちょうどライアスのウィッグの髪色に似ていた。


「これ、お借りしても?」

 数秒、フィリオーネの指を見つめた彼が軽い口調で聞いてくる。

「私のものじゃないから、どうぞ」

「では、失礼」

 ライアスはフィリオーネの指からそっと指輪を外し、どこかへ歩いていってしまった。


 突然現れて、またいなくなってしまったわね。でも、見つけてくれたのは嬉しかったわ。


 フィリオーネは適当に目の前の指輪をもてあそぶ。似たような形の指輪は、右の指には入らなかった。左にはめてみれば、それは左の薬指にぴたりとはまる。

 既製品の指輪のサイズって、随分難しいのね。いい勉強になったわ。

 うん、と頷いたフィリオーネが遊んでいた指輪を元の場所に戻した時、ちょうどそのタイミングでライアスが戻ってきた。手には指輪ではなく小箱が納まっている。


 もしかして、買ってきてしまったのかしら。


 一般市民の生活に疎いフィリオーネだって、それくらいは何となく分かる。しかし、購入する理由がまったく分からない。


「どうぞ、お姫様」

「な、なによライアン。かしこまって」


 楽しそうなライアスに、フィリオーネはどもった。この“お姫様”が“殿下”という意味ではなくお嬢さんを揶揄するものだの分かっているからこそ、戸惑った。


「フェリシア、ほら手を出して」

「え、ええ……」


 これはいったい何の茶番なのか、緊張しながら右手を差し出した。彼は普段と変わらぬ丁寧さでフィリオーネの手に己のそれを添え、小箱の中身――やはりさっきの指輪だった――をはめた。


「はい、プレゼント」

「やっぱり!」

「さすがに気づくか」

「当たり前でしょう!?」


 フィリオーネが周囲に気を配りながらも文句を言えば、ライアスはイタズラが成功した子供のような笑顔になった。


「大丈夫。俺の私財だから」

「ちょっと!」


 眉尻を釣り上げたフィリオーネの手を引き、ライアスは体を寄せてきた。


「俺からが嫌なら、あとでフェリシアのにでも払わせるよ」


 彼の言葉にフィリオーネは身を固くする。少しだけカチンときたのだ。自分からの贈り物が嫌ならば、ライリーンの君からの贈り物ということにしてくれという神経が分からない。

 それも、ライアスは普段通りの声色で、支払い元――つまり、フィリオーネへ贈り物をする人物がどちらでも構わないと本気で思っているのだと分かってしまったから、余計に理解し難い。


「何よそれ!」


 フィリオーネの文句に、ライアスは微笑んだ。


「フェリシアがそれを快く受け取ってくれさえすれば、俺は何だっていいってこと」

「…………そ、れ……って」


 それって、どういうこと。と言葉を続けようとして、続かなかった。彼の顔を見たフィリオーネの言葉は途切れてしまった。これは、どういう表情なのだろうか。

 フィリオーネに向けられたそれは、穏やかで、見守るような視線だった。そして、口元に浮かぶ小さな笑みからは、心の奥底から滲み出た喜びのようなものを感じる。今までフィリオーネが出会ったことのない表情である。


 誰からも向けられたことのない表情に、フィリオーネは初めて動揺した。様々な人間から向けられるそれらを、今までは表情と思考を紐付けて考える為のものとして認識していた。だが、これはフィリオーネの知る思考のどれとも紐付けられそうにない。


 私、こんな表情……知らないわ。ライアスが何を考えているのか、全然分からない。


「……婚約者以外から受け取るのはまずいから便宜上はそう言うけど、買ったのは間違いなくあなただからね」


 フィリオーネは、無難な答えを出した。それがライアスにとって良い回答かは分からないが、少なくとも彼の発言をそのまま受け取るとすれば、問題ないはずだった。


「おや、フェリシアは面白いことを言う。何だか三角関係みたいでドキドキするな」

「おばかなことを言うのはよしなさい」


 三角関係と言われてドキリとする。確かに、今の状況はそれに近しい。


「安心して。彼から、フェリシアが好きそうなものを自分の代わりにプレゼントしてやってくれと言われているから……浮気にはならないよ」

「……あ、そう」


 ライアスが付け足した言葉に、なぜか残念な気持ちを覚えてしまったフィリオーネだったが、これ以上考えるとまずいことが起きる気がして、思考をやめた。

 そんなフィリオーネのすぐ隣ではライアスが再び、あの“理解できない顔”で自分のことを見つめている。意味が分からず、しかしその顔が向けられていることを不快に感じていない自分のことも理解できず、分からないことばかりで、何だか胸がもやもやとするのだった。

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