第75話 真実の目

最後にあったときから、ふたりはまったく変わってはいなかった。


ネイア先生は、相変わらず、ポロ切れから太ももや胸チラを盛大にサービスしていた。

その深い緑の瞳が、ぼくをまったく変化を見せずに通り過ぎた時、ぼくはなんとか無表情で、やり過ごすことに成功した。

成功した、と思う。


ルールス先生は、いつものように尊大で、気高く、横柄だった。

まあ、もともとの出自が、ランゴバルドの王族だったから、それが当然なのだろう。


言っておくが、うちのアデルだって、随分と尊大で、横柄だった。


出自がだいたいわかっているぼくなどは、さぞありなんと思うだけなのだが、初対面の相手には如何なものだろう。


「アデル! ルールス理事長だよ! 学校で一番偉いひとだっ!」

「わたしはまだ、冒険者学校の生徒ではない。」


アデルは、実際にこのとき、テーブルを拭く手を休めてもいなかった。

慇懃無礼とか、生意気とかいう以前に完全無視、である。


「だいたい、もうすぐモーニングが始まるんだ。それまでにテーブルを拭いて、調味料をセットして、ええと、あと今日のおすすめは、と。」


けっこうマジメなだけだった!!


ネイア先生が、前に出た。

事情へどうあれ、ルールス理事長に対して無礼は許さない。

子爵級吸血鬼は、いつだってそうだ。


アデルの肩にかかった指は、鉤爪を備えていた。

振り返られようとする吸血鬼の怪力に、アデルの筋肉が抵抗する。


バリバリ。


両者の力は見事に、拮抗していたが、お仕着せのエプロンドレスはそうはいかなかった。

肩口のあたりから、大きく破れて、肌がむき出しになってしまった。


「……」

アデルは振り返った。

間近で、ネイアの顔を覗き込む。


おやおや。

百戦錬磨の吸血鬼が、気圧されている。

こんなこともあるのかねえ。


「店長、すいません。服、破れちゃいました。」

ぼくは、とっても明るく言った。


「か、かまわない。」


酒場の主は、ギルドから隣接した酒場の経営を任されているだけで、ギルとマスターというわけではない。

突然の超大物の来店に、ビビりまくっていた。


「そ、それより、この二人がなにか仕出かしましたでしょうか?

雇ってまだ3日目です。」


「そうか。働きぶりはどうだ。」


「そ、それは、田舎育ちのせいか至らぬところも多々あるかと存じますが、よく働いております。」


ニヤ

と、笑って、ルールス先生は、懐から折れ曲がった短剣を取り出し、テーブルに載せた。


一昨日、アデルが絡まれた冒険者の持ち物だった。


「なんだっけ、これ。」


本人が忘れていた。


「ここのギルドから冒険者学校に、抗議がはいっていてな。」

ルールスは、面白そうに酒場の主の顔を覗きこんだ。

主殿は、可哀想なくらいに真っ青になった。

「わたしの特待生クラスの生徒に、伝説級の武具を台無しにされた、と。」


「伝説級は、盛りすぎでしょ。」

ぼくは言った。

「付与魔法はいくつか掛かってますし、芯に希少金属は使ってますけど、それだけですよ。」

「ほう。」


ルールス先生は、はじめて、ぼくの存在に気づいたように、ぼくをちらりと見た。


「おぬしは?」

「魔法士のルウエン。ぼくもアデルも冒険者学校への入校を希望しています。」

「…どこかで、会ったことがあるか?」

「あるいは。」


ルールスは考え込むようにして、机の上の歪んだ短剣を手に取った。


「素手、で短剣を握りつぶされた、と言っておった。

そんなことが、出来るのはわたしの特待生クラスの生徒に違いない、とそういう理屈だ。

迷惑な話だ。」


アデルが手を伸ばした。


ルールス先生の手から、短剣を受けとると、剣身を鷲掴みにして力をこめた。



「お、おい。」

ルールス先生が慌てたのは、そんなことをすれば、手の方が、パックリ切れて大変なことになるからだ。

だが、構わすに、アデルは力を込める。


服が、裂けているので、その筋肉の盛り上がりが、よくわかった。


10秒もそうしていたか。


ごとり。

と、テーブルに投げ出した短剣は、少なくとも見かけ上は、真っ直ぐに戻っていた。



「迷惑をかけてすまなかった。」

アデルは素直に、詫びた。

金属片は、曲げられたとしても、もとに戻すにはその数倍の力は必要なはずだが、アデルにはまだまだ余力があるらしい。


「これはこれは。」


ルールス先生の顔に笑みが浮かんだ。


「見事なものだ。」

「なんぞ、剣の銘を言っていたが、正直そこまでたいした業物でもなかった。

それにしても些か乱暴がすぎたかもしれない。直接詫びた方が良ければそうするが。」


「曲がった時に、付与されてた魔法が壊れてますね。」


ぼくは、手をかざして、破壊された付与魔法を修復した。


「けっこう、使えるんだな、おまえも。」

ネイア先生が、冷たい目でぼくを睨んだ。

その目が赤く染まる。


吸血鬼の魔眼だ。


人間の意志を奪い、意のままに操ることが出来る。これは相手の血を吸っていてもいなくても発動できる、吸血鬼が自らそなえた武器だった。


「そんなこと、ないです。すごく単純な付与魔法でしたし。」

「ち、ちょっとまて、おまえいま、むししたよね、魔眼無視したよね?」


「細かいことはいいんだよ!」


アデルは、ルールス先生の正面に腰を下ろした。


「とくかく、わたし、とそれからこのルウエンは、冒険者学校の試験を受けたいんだ。だが、受験料を用意していない。だから、ここで住み込みで働かせてもらって、受験料を、稼ぐつもりなんだ。ジャマはするなよ?」

「ジャマするとどうなるんだ?」


ネイア先生の囁き。

聞くものの意志を奪い、意のままに操る。高位の吸血鬼にのみ許された魔術。


「さあ? でもわたしは腹を立てるかもしれない。」


「わ、わたしの囁きが無視!?」


「細かいこたあ、いいんだよ。」

アデルは、どんと、テーブルに肘を乗せて前のめりになった。

さっき、ネイアにドレスを破かれているので、諸肌脱ぎだ。

冒険者よりもどこかの山賊みたいだった。

「これを収めて帰ってくれるのか、それともあくまで御託を並べて居座るのか。ま気がした。

「……そうか、“世界の王”か。」


そして、破顔した。


「わかった。ここは引きさがろう。いずれにしてもこのクラスの短剣をへし曲げて、さらにそれをもとに戻せるやつを敵に回したいと考える冒険者が、いるとは思えない。」


ルールス先生は、立ち上がりかけたが、ふと気づいたように言った。


「おまえたちは、受験料をここで稼ぐつもりらしいが、入学金や授業料はどうするつもりだ?」


思わず、黙ってしまったぼくらを見たルールス先生は、楽しそうに笑った。

「そうか。特待生希望か。いいだろう。特別試験を用意してやる。

はやく、わたしの側まで這い上がるんだ、クローディアの娘よ。」



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