第16話 ラディスン村でのトラブル


「頭が痛いですぅ……」

「自業自得だ。お前、これから飲酒禁止な」


 翌朝。

 さすがに酔いは抜けたみたいだが、二日酔いらしく、酷い顔色と表情で気持ち悪そうにふらふらと歩くシルフィを見ながら俺は苦笑した。


「それにしても……」


 何やら周囲が騒々しい、何かあったんだろうか?


「あ、すみません。何かあったんですか?」


 気になった俺は、一番近くに居た人に声を掛けて聞いてみる。


「あぁ、あんたら……昨日派手に痴話喧嘩をしてた」

「違います、こいつが酔い潰れてただけです」

「あぅ、何するんですかぁ」

「……で、一体何が?」


 まだふらふらしているシルフィに軽くでこぴんをすると、情けない声を上げながら非難してくるが、それは無視して俺は話を続ける。


「それが、西に向かう街道に大きなウルフが一匹出たらしくてね。それがまためっぽう強いらしくって、何組かの冒険者が向かったんだけど、皆這う這うの体で帰ってきてねぇ」

「なるほど、それで……」


 村の西側の出口に視線を向けると、此処に滞在している商人のものだろうか。荷台に様々な物を載せた馬車が何台も停まっている。

 恐らく、此処から西側に向かいたいのだろうが、件のウルフのせいで通れず立ち往生しているという感じだろうか……面倒だな。


「それで……じゃないですよアルスさん。今の話だと、私達もこの先に進めないじゃないですか」

「あぁ、まぁそうなんだが……」


 そう……何が面倒かと言うと、俺とシルフィが向かっているアルカネイアは此処から西に向かった先にある。

 つまり、このウルフの通せんぼは他人事じゃ無いってことだ。


「とりあえず、様子を見に行ってみるか?」

「そうしましょう」


 まだ顔色の悪いシルフィが、ゆっくりと頷いた。




 この辺りの道は、サディール周辺程整備は行き届いていないものの、周囲の濃い緑色の森林地帯や、遠くに見える白雪を冠する山脈など、豊富な自然が組み合わさって出来る心和ませる景色が多い。


 そんな観光にも良さそうな、ラディスン村から西に伸びた道の先に、それは居た。


「でかいな」

「はい、凄く大きいですね」


 俺とシルフィの目の前には、俺達の五倍か六倍程はあるんじゃないかと言うくらいの体格の、大きなウルフが寝そべっていた。

 いや、冒険者が軒並みやられて帰ってきたって言うから、普通のウルフではないとは思っていたけど、ここまででかい個体だったとは。


 俺とシルフィが呆気に取られていると、此方に気付いたのか、その大ウルフが顔を向ける。顔だけで俺達と同じくらいの大きさがあるな。


『また我を排除しに来たのか? 懲りんな、人の子等よ』


 そんな風に思っていると、大ウルフはおもむろに立ち上がって話し掛けてきた。

 ……いや、待て。ウルフって喋るものだったか!?


『あぁ、気にするな。我が特別に喋れると言うだけだ。いや、違うな。正確には、意思疎通が出来るとでも言おうか』


 あまりの事に思考停止している俺を余所に、先の疑問に答えるかのように話を続ける大ウルフ。

 言われてようやく気付いたが、これは……念話か?

 よく見れば大ウルフの口元は全く動いていないし、大ウルフの声と思われるものも、頭の中に直接響いているような感覚がする。念話ってスキルがあるのは知ってたが、実際に遭遇するのは初めてだな。


「そ、そうか……って、お前、俺達は襲わないのか?」

『何故我の方から襲う必要がある? 襲われたい趣味でもあるのか?』

「いや、そう言う訳じゃないが、俺達の前に来た冒険者を蹴散らしたんだろう?」

『あぁ、そういう事か』

「……?」


 俺の言葉に、大ウルフは、ふんっ、と鼻で息を吐く。

 横に居るシルフィはシルフィで、俺とこの大ウルフを交互に見ている。ここはこの大ウルフとの話は俺に任せるって事なんだろうか?


『先の奴らは、我が話し掛けても、やれまやかしだ幻聴だと聞く耳を持たなかったのでな。力づくで退場願ったまでの事』


 なんか話だけ聞くと、こいつに向かってった冒険者の方が野蛮と言うか、動物的に感じるな……

 そんな感想を抱いていると、目の前の大ウルフは俺達に鼻を近付けて、俺達のにおいを嗅いでくる


「キャッ!?」

「あぁ、大丈夫だシルフィ。ウルフのこれは相手の力量を見極める為の手段の一つだからな。喰いつかれる訳じゃない」

「え……あ、そうなんですね」


 急に大ウルフの顔が目の前に来て驚いているシルフィを、俺はこの行為の意味を説明して落ち着かせる。

 俺の説明を受けてこの行為の意味を知ったシルフィは、少し後ずさったものの、緊張を解いて大ウルフの行動を受け入れる。


『ほぅ。それを知っているとは、先に来た者達より知識があると見えるな』


 俺達のにおいを嗅ぎ終えた大ウルフは、感心した様子で伝えてくる。

 まぁ、ウルフの生態を見てれば自然と解る事ではあるんだけどな……って言っても、これも普通の冒険者はあんまり知らない事だけれども。


『そして……強いな、お前は』


 そう伝えてくる大ウルフの眼がギラリと光ったような気がし、鋭い眼で俺の事を見つめてくる。

 これは……


「……」

『……』

「……」


 沈黙し、互いに視線を交わらせて微動だにしない俺と大ウルフ。そして傍らでそんな俺達の様子を緊張気味に見ているシルフィ。

 三者共に喋らず伝えずの、黙ったままの時間が過ぎる。


『……ふっ、ふはははは!』


 どれだけ経ったか解らない、短いとも長いとも思える睨み合いの後、その張り詰めたような空気を、大ウルフが豪快な笑い声を伝えてきて打ち破る。


『面白い、気に入ったぞお前。我に睨まれて退かぬとはな。そして先の我の行動を看破したお前の事だ。その意味も知っていたのであろう?』


 今の、大ウルフが俺をじっと見つめてきた行為の意味。それは、群れの中でウルフがやる行為の一つで、先に目を逸らした方が、目を逸らさなかった方に従うという、いわば格付けをするような意味合いのある、群れで生きるウルフにとっては重要な儀式だ。

 大ウルフの指摘通り、俺はそれも知っていたので、目を逸らさず大ウルフを見つめ返して視線を外さなかった。


 この儀式は、ウルフの群れにおいて明確に上下関係を決める。

 つまり、上の者が下の者を、どうしても構わないという暗黙の了解を含む。

 恐らく今俺が目を逸らしたならば、この大ウルフは決定した上下関係に基づいて、即座に俺や、俺の連れであるシルフィに襲い掛かっていたのではなかろうか。


 だから目を逸らす訳にはいかなかったし、その意図を悟って大ウルフも、途中更に眼力を強めた。

 だが俺は動じなかった。なので大ウルフは俺を試すような事をするのを止めたのだろう。


 ……それにしても……


『しかし、我が生まれてきてからお前のような人間に会ったのは初めてだ。長生きはするものだな、はっはっはっはっは!』

「うっさいわ!」


 大ウルフの頭を思いっきりはたく俺。

 キャゥンと小さく鳴いて怯む大ウルフ。

 その様子を見て大きく口を開けてぽかんとした表情を浮かべているシルフィ。


 脳内に響く笑い声って、こんなにやかましいものなんだな。

 俺はこの日初めてその事を知った。

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