第4話 初の耳かき、あらあら……。
屋敷内では一向に姿を見せなかったブラフワーさんですが、私が『耳かきをしよう』と頭の中で思った瞬間に、いつの間にか手の中に現れていました。しかも既に耳かきの状態で。
「――ねえステラ。貴女に訊きたいことが二つあるわ」
ですよね……私も今、そのことを訊かれるのではと思い至ったところです。
お姉様はすらっとした人差し指をぴんと立て、こう続けます。
「まず一つ目。その得体の知れない棒状の何かは、一体なんなの?」
それまで天井を向いていた指は、私の……私の持つ耳かきを目がけて方向転換します。
びしっと勢いのある指差しが飛んできたため怯んでしまいましたが、お姉様もそれに気づいたようで、途中から残り四本も合流しました。
耳かきの方も震えた感覚がしましたが、まあ気のせいでしょう。それかブラフワーさんがお姉様に怯えたかのどちらかです。あらあら、神様が気圧されることもあるのですね……。
――ともかく、お姉様の質問に答えることにしましょう。
「これは『耳かき』というものでございます」
「みみ、かき……それはどう使うの?」
「これを耳の穴に入れ、痒い所を掻いて癒すのです」
「こ、これを耳に入れるの!? そんなことしたら脳に突き刺さるわよ、正気!?」
いや、あの……そこまでがっつり入れるわけではないので、大丈夫です……。癒されるどころか、死の恐怖が押し寄せてくる耳かきなんて嫌すぎます。
「そんな奥には突っ込まないので、その辺は安心してください。私はただ、お姉様にお礼をしたい一心で……」
本当は『一心』ではありませんが、お姉様を癒したい気持ちに嘘はありません。
たまたま前世が耳かき店を営んでいて。
たまたま耳かきに姿を変えられる神様と出会って。
たまたま『客人以外で家に出入りする人間全ての耳掃除をする』という目標が提示されていたからこそできる、私なりのお礼です。
「――そう。後で貴女のお礼はありがたく受け取るとして、二つ目に移るわ」
私を信じてくれたのでしょうか、お姉様は私の耳かきを受けると決心してくれたみたいです。
よし、これでとりあえず一人目ですね。しかも『お姉様』という、屋敷の中でもかなり影響力のあるお方。これはかなり大きいのでは……? 災い転じて福となす、ですね。
「――二つ目。その耳かきを、貴女は何もないところから取り出した」
傍から見れば、さっきの『石を出す魔術』の何倍もすごい芸当をしたと思われているのでしょうか。
あらあら、お姉様の誤解を早く解かなければ……。
「貴女はついさっき、魔術の基礎の基礎を……しかもたった一度使っただけなのよ!? しかも、使った後はあんなに苦しんでいたじゃないの……!」
お姉様は私の両肩を掴み、震えた声で訴えかけてきました。緑色の目は潤んでいて、まるで私に恐怖しているようでした。
「それに……私と貴女は約束したじゃない! あたしは今、貴女が魔術を使うのを許可していないというのに……!」
……そうでした。私とお姉様は指切りをして、魔術の使用を制限されています。それなのに、どこからともなく耳かきを取り出したということは……。
お姉様にとって、今の私はあまりにも不可解で、不安定な存在。以前までのステラ嬢から変わり果てた私を、お姉様は受け入れられないでしょうね……。
――だけど、このまま終わるわけにはいきません! もしも姉妹の仲まで険悪なものになってしまったら、誰にも耳かきを行えないまま、一か月が経ってしまいます! それだけは避けねば……!
「お姉様、聞いてください! これは魔術によるものではありません!」
お視界に映るお姉様はだんだんと滲んでいき、もう弁解の言葉が届いているかすら分かりません。
それでも私は言葉をかけ続けます。全て包み隠さず伝えましょう、このまま死ぬよりは何倍も、何万倍もマシですから!
「……ブラフワーさん、一度本来の姿に戻ってください。お姉様に私のことを全て話します」
耳かきを手から離し、この世界の神様を解き放ちます。これで信じてくれ、とはもう思いません。
最後に、こんな私にも優しくしてくださったお姉様に、せめて真実を伝えられたら……。
「――仕方ない、か。涙を拭き、儂の姿をその目に焼き付けるがよいぞ!」
「えぇっ、耳かきから形が変わった!? こ、このふわふわしたのが、ブラフワー様なの!?」
そうです、そのふわふわしたのがブラフワーさんです。私を一度殺し、この世界に転生させた神様の正体です。
「『ふわふわしたの』とはなんじゃ! ……まあいい、そこはさして重要ではないからな。ステラ、話を続けよ」
あらあら。ブラフワーさんから急に私に振りを入れられてしまいました。あのまま全てを話してくれるものだと思っていたので、面食らってしまいました。
「はい。私はこのブラフワーさんのおかげで、ステラ嬢の体に魂を宿しました。記憶喪失なのはそのためです」
「なるほど……人が変わったように大人しくなったとは思っていたけど、本当にそうだったとはね。でも、なぜブラフワー様が耳かきの姿に?」
まあ、当然そこが気になりますよね。なぜこの世界に存在すらしていない概念である、耳かきに変化しておられるのか、と。
「それは、私の前世が『耳かき師』だったからです。耳かきでこの世界にいる方々を癒す、というわけでございますね」
そ、そういうことでいいんですよね? 口に出してみて分かったのですが、まあまあ途方もない目標ですよ、これ。
「な、なるほど……。だから『お礼』として耳かきをしようとしたのね。――いいわよ。貴女が『前世』で培った技術で、あたしを癒してみせて!」
全てをぶつける覚悟でお姉様と向き合おうとした結果、なんだかんだ施術を受けてくれることになりました。
――あらあら。ご期待に応えられるよう、しっかりと癒してみせなければ、ですね……!
「では、まずはここに頭を預けてください。耳を上側に向けて……」
床に正座し、太ももを軽く叩いて案内します。
「ひ、膝枕、ってこと!? かなり恥ずかしいわね……!」
そう言われると、変に意識してしまいますね。しかしこれは施術のため、私には邪な気持ちなどはございません。
第一、イマイチ記憶がないとはいえ姉妹なのですから! そのような間違いは起きるわけがありませんね!
「こ、こここ、これでいいのっ……!? いいなら早くしてちょうだい!」
「分かりました、では絶対に動かないでくださいね?」
あらあら、どうやらお姉様も変に意識してしまっているようですね。まあその程度のことなんて、すぐに忘れさせてあげますからね……。
お姉様の耳の穴に耳かきを入れた瞬間、突如視界とは別の映像が頭に流れ込んできました。
これがブラフワーさんから見えている、お姉様の耳の中……。『モニター』の代わりどころか、その何倍もクリアに見えますね。おかげで施術がしやすいことこの上ありません。
「いきますよ、本当に動いちゃダメですからね? 暴れられると危ないので!」
念押しの注意をし、耳の壁を優しく撫でていきます。そうっと、力を込めずに……。
「ひゃああああっ! なにこの感じ、くすぐったくて気持ちいい!?」
動かないよう踏ん張りながら、声だけで状況を伝えようとするお姉様。こうして見ると、すごくかわいく思えてきますね。
だんだんと顔が熱くなっていってますね、太ももを通して温もりが伝わってきます。あらあら、耳まで赤くなっていますね……そんなに気持ちよかったのですか?
「気持ちいいでしょう? 前世ではこれでお金をいただいておりましたの、それなりに人気だったのですよ?」
「へぇ、しゅごいわれぇ……はぅっ……。あたまのなかのぉ、もやもやが、とれてくみたい……くせに、なっちゃあぁんっ……しゅごひ……!」
あまりにも気持ちいいのか、お姉様は時折情けない声を漏らしてしまっています。ブラフワーさんの視界を頼りに、また別の所を掻いてみると……。
「あひゃっ……ああもう、ぜんぶらめっ……!」
――こんな感じで、ふにゃふにゃになってしまいました。今まで何人ものお客様に施術をしてきましたが、ここまで耳が敏感な方は初めてですね……。どこを掻いてもこの調子ですので、なんだか面白くなってきちゃいました。
ちょっとイタズラしてみましょうか。耳かきを一度引き抜き、お姉様の耳めがけて口を近づけ……。
「ふぅ〜……」
「んあぁぁっ! それはほんとにりゃめっ! みみかきでぇ……あたま、ふわふわしてりゅのにぃ……」
「あらあら、そんなに気持ちよかったのですか? お姉様って、お耳はよわよわなんですね〜」
少し言いすぎたような気もしますが、今のお姉様は頭がふわふわしているので、まあ聞こえていないでしょうね。
いや〜、まさかここまで気持ちよくなってくれるとは。おそらく無意識に目をつぶっており、口元もとろけきっています。
かねてより太ももに伝わる熱に加え、やがてもう一つの冷たい感触。ぴと……と、太ももと口元を繋ぐ、透明な柱を形成していますね。
「どうです? 癒されましたか?」
「すぅ……ふぅ……さすが、前世でお金をとっていただけのことはあるわね。な、なかなか良かったわよ……!」
ありがたいことに、お姉様からお褒めの言葉をいただきました。深呼吸をした分、さっきまでのふにゃふにゃとした口調から、普通の状態に戻ってきていますね。
――そうやって締めようとしていますが、私はまだこれで終わりだなんて言ってませんよ?
未だ膝枕から上手く離れられない、お姉様の耳元目がけて。二人の金色の髪が混ざり合う、抵抗不可能な超至近距離で。
「さあ、次は反対のお耳ですよ?」
私はお姉様を、再び骨抜きにしてしまうのでした……。
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