第8話「静けさ」

 この町での生活も二週間、少しずつ慣れてきたと思う。とはいえ仕事はいまだよくわかっていないのが現状だ。なんせ伴部長から説明された任務はあの日の一度っきり、それからしばらくは訓練と資料整理などの事務作業位であった。一方伊法いのりが許可してくれたおかげで、祁答院先生の診療所で空いた時間は働くことが許された。仕事が本格化するまでの間という期限付きだが、とてもうれしい。以前勤めていた病院とは異なりこの町は若い人が圧倒的に多いが、それでも毎日のように診療に来る人々がいる。これをほとんど一人でさばいている祁答院先生の手腕には感服した。


「おお、新しい先生かね。こんなところで大変だろうけど頑張りなよ。」


「ありがとうございます。それではアルコールでふきますね。少しチクッとしますよ。…はい。では絆創膏はこのまましばらく押さえていてください。」


「おおうまいね先生。全然痛くなかった。」


「それは良かったです。」


 血液検査に来た中年男性の患者さんに褒められてしまった。血を抜いただけなのだが、誘拐されてからもう戻れない職と思っていたこともあって感激だ。きっとこれからも研修医から抜け出せることはないのだろうが、頑張っていこうと思った。


「それじゃ桑田先生また来るね。」


「はい。お大事に。」



 また前回の任務で保護した能力者の姉弟、彩花と玄太郎とも週末に交流している。


「よし、じゃあまずは素振り千回しようか。」


「うええ千回!?」


「やっぱり素振りは基本だからね。正しい基礎訓練はいくらやっても財産になるから頑張ろう。あと持久走と筋トレも並行して、基礎体力も養わないとね。一つ一つ確実にやっていけば大丈夫だよ。さ、やろう。」


「お、おす!」


 玄太郎にはとりあえず自分の中学生時代の稽古を再現していくつもりだが、今のところ音も上げずまじめに取り組んでいる。筋も悪くないし、このまま続けていければ将来有望かもしれない。今回用意したメニューをすべて達成しへとへとになっている玄太郎に、彩花が水の入ったペットボトルを手渡した。そしてこちらにやってくると丁寧にお辞儀した。


「清志さん、忙しいのにありがとうございました。」


「そんなことないよ。むしろ楽しかったくらい。彩花さんは最近どう?ここでの生活に不便はないかな?」


「いいえ。とてもよくしてもらってます。ただ何をすればこのご恩を返せるものか…。」


 彩花はいまだ緊張が解けない様子だ。少し気負いすぎる性格のようで、いつも何か思い詰めた雰囲気がある。しかしこちらがあまり干渉しすぎても彼女の心労を増やすだけだろう。心地よく接することのできる距離感を早めにつかみたいものだが。


「君が幸せになってくれればそれで十分だと思うよ。そんなに気負わないでいいさ。」


 そうまずは幸せになることだ。それ以外はそのあと考えればいい。この子たちには絶対にあんなふうになってほしくない。それだけは確かだ。


「あの、清志さん。」


「何かな?」


「お兄さんって呼んでもいいでしょうか?…私のことは彩花って呼び捨てでいいですから。」


 彩花の突然の提案に少し驚いた。まだかなり距離を置かれていると思っていたが、もしかしたら彼女なりにこちらへ歩み寄ろうとしてくれているのかもしれない。


「もちろんだよ…彩花。ふふっ。」


「それなら…よかったです。」


「あ、なら俺も兄ちゃんって呼びますね。だから玄って呼んでください!」


「分かったよ玄。」


 彼らとも一歩ずつ絆を深められているようだ。



 金曜日の夜は居酒屋「おおげつ」で柊花やほかの客とともに、大将の料理と酒に舌鼓を打つ。お酒のおかげか陽気で寛容な彼女たちとの話は人見知りの自分でも心地よいものになっていた。本当に今自分はとても充実した毎日を送っていると思う。


「それで上司が本当に陰険でー。ここのお酒に癒してもらってるの。大将もう一杯。」


「大変なんだね。でも飲みすぎは心配だな。良かったらこれどうぞ。タウリンの多く含まれるイカは肝臓にいいみたいだよ。」


「わー!ありがとうせんせ。もし転職することになったらせんせの下で働かせてほしいなー。」


「僕も今は一番下っ端だよ。」


「そうだっけー?…せんせ、前付けてた腕輪なくしちゃったの?」


 突然柊花がこちらの左腕を指さし聞いてきた。そういえば前回まで着けたまま来ていたことを思い出した。目立つ代物ではないと思っていたが、よく見ているなと感心する。


「うん。今少し預けていてね。もうしばらくしたら戻ってくると思うんだけど。」


 あの腕輪はレグルスの刀を収納する魔道具である。もちろんそれは柊花にはいっていない。現在レグルスは魔術師であるレイラが研究と称して預かっている。彼女としてもレグルスがどのようにして作られているのか興味があるようだ。今は使う必要がないのでいいが、いつ任務が来てもおかしくない。できれば早めに返してほしいものだ。


「大切なものは、あんまり簡単に手放さない方がいいよせんせ。」


「え?」


「あ、せんせ。今日給料日前だからちょっとだけお金貸してー。来週必ず返すから!あと一杯だけ飲みたいの!」


「…わかったよ。前回奢ってもらったもんね。大将冷酒二つお願いします。」


「そっかせんせに頼んでもらえばいいんだ。後枝豆もお願いしまーす。」


「柊花ちゃん。図々しすぎるよ。清志君も必要な時はちゃんと断りなさい。あんまり甘やかすもんじゃないぞ。」


「そうですね。でも今は未来への投資ということで、枝豆位でしたら大丈夫です。もちろん僕も貰いますけど。」


「さすが優しい愛してるー!」


「調子いいんだから。あいよ。」


 あの酔っぱらっている彼女の見せた一瞬だけの真剣な声色が耳によく残った。その真意がわかるのはもう少し先であったけれど。


 その次の月曜日、訓練や研修などを行った後優壱とともにレイラの元を訪ねた。彼女はほとんどの場合、PIS小金井支部のビル地下にある彼女専用の研究室内にいる。そこは支部長である伊法ですら簡単に入ることはできないようだ。


「先生聞きましたか?茨中央空港の飛行機墜落事故、どうやらサルバトラの仕業らしいですぜ。何でも闇の中から真っ黒な無数の手が巻き付いて落とされたって話です。これが本当だとすれば、それをやったのはおそらく先生を襲った…。」


「真っ黒な手か…僕が見たのは矢印のような形状だったから少し異なるけど…形状も変化させられるってことなのかな?」


「先生を狙っている可能性もありますし、できる限り情報を集めようと思います。小野寺さんは何か知っているみたいなんですが、なんでかはぐらかされましてね。もう少し探ってみますが、先生も気を付けてください。」


「ありがとう優壱。僕もできる限り調べてみるよ。」


 茨城中央空港の事故についてはニュースで見たが、まさか能力者との関係があったとは知らなかった。優壱はコンピュータにも精通しているようで、いろいろな情報を集めてくれている。今日の業務中もそのような話はなかったが、PISの隊員になったとはいえいまだ隠されていることは多くあるのだろう。あの時であった影を操る男についてもまだ何もわかっていない。自分でも情報収集を行う必要を感じた。


 研究室についたので扉をたたくと、しばらくしてレイラが扉を開いた。その姿は目にクマをつけずいぶんと疲弊した様子だ。その格好も青色の作業着に軍手を身に着け、前回会った時のようなきらびやかな印象は全くない。


「大丈夫かいレイラさん!?」


「紅茶…。」


「はい?」


「紅茶早く持ってきて!あとクッキー!」


 レイラが叫び、優壱と協力してテーブルと紅茶そして手土産に持ってきたクッキーを用意した。レイラのもとを訪ねるときはこれらの準備をしておかないと、拗ねて話を聞いてくれなくなってしまう。もう二度失敗したので、必ずお菓子と紅茶は複数の種類をそろえ、彼女の気分に合わせられるようにしている。蒸らし時間淹れる温度など、紅茶についても少し詳しくなってしまった。


「あむっ!あむあむ!」


 レイラはまるで親の仇かのようにクッキーにかじりつきがつがつと食べ進める。そして満足したのか紅茶を飲んで一息つくと、頬杖をついてこちらに話しかけてきた。


「で、何の用よ?」


「レグルスの調査の進捗を聞こうと思ってね。」


「あー…はあ。」


 魔導王が作った魔道具の調査、それは伊法をはじめPISの幹部にも重要視されているようだ。確か洋子は既にここに魔道具を寄付していると聞いているがある程度その仕組みは解明されているのだろうか。魔道具を創り出す技のことを魔術というらしく、自分はこの魔術について何も知らないが気になるところだ。


「なんなのよあの魔道具!あんな魔道具人間が作るもんじゃないわ!細菌よ、いやウイルスじゃない?」


「嬢ちゃんさすがの俺でも細菌に魔道具なんて作れねえと断言できるぜ。疲れてんなら少し休んできたらどうだ?」


「うっさいあとで寝るわよ!とりあえずこれ見なさい!」


 そうしてレイラがこちらに差し出したのはモザイクのように小さな点が集まっている謎の画像。その中にうっすらと細い線が幾重にも張り巡らされているように見えた。


「これは原子間力顕微鏡であの刀を見たときに取った凹凸像よ。こんなにきれいに撮るのすっごく大変なんだからね。」


「そういえば大学の授業で聞いたことあるな。原子同士に働く引力を使って測定する顕微鏡だったね。すごく高価なものなはずだけど。」


「ハイエンドはうちじゃ買えないからおじさんに命令して借りてきたのよ。本当は買いたかったのにあのクソ部長の奴…!」


「今調べてみたがハイエンド級なら数千万らしいじゃねえか。俺の給料の何年分になるってんだ…。」


「まあいいわ。問題はココ。この点よりも細い張り巡らされた線。これが何かわかる?」


「回路…かな?」


 写真に写る大量の線はルーン文字のように少々曲線的非対称ではあるが、電子回路のようにすべてがつながって見える。レイラはその通りと指をさすと説明を続ける。


「これは魔術回路よ。あまりに小さすぎてすべてはわからないけど、おそらくこれは基礎的な物質生成の魔術ね。」


「魔術回路か。ゲームで聞いたことがある単語だけど…こんなに小さくできるものなのかな?」


「コンピュータみたいにナノレベルの回路を描くことはできる。でもふつうやらない。制御できないうえに回路がぜい弱になって簡単に焼き切れてしまうもの。それこそ化け物のような魔力密度ですべて書き上げなければね。そんなことができる存在なんて魔導士様にだっているとは思えないわ。」


「魔導士って何だい?」


「あんたたちの言う能力者と魔術師のハイブリットよ。魔法と魔術その双方を融合させて人智をはるかに超えた魔導を駆使する超越者。あたしも二人しか会ったことはないわ。」


「魔導…もしかして。」


「魔導王ってのもあながち間違いじゃないかもしれないわね。ま、こんなのやったことないだけでやろうと思えばあたしだってこのくらいできるわよ!だからまだ調査に時間がかかるわ。じゃ、少し休んだらまた研究に戻るから、あんたはせいぜい伊法の雑用でも手伝ってなさいよね。」


「え、それってどのくらい?」


「知らない!研究室は時間魔術で加速させてるから、勝手に開けたりしないでよね!開けたらあんたの寿命全部消し飛ぶんだから!」


 紅茶を飲みほしたレイラはそうしてすぐに研究室へ戻ってしまった。時間魔術というものがいったいどんなものなのかわからないが、以前戦った時を操る神器のように隙に時間の流れを操れるのだとしたら、この数日間で何時間分を研究に使っているのだろうか。あの刀に書かれた原子レベルの魔術回路をすべて解析するのはそれでも困難なのかもしれない。まだレグルスが戻ってくるまでには時間がかかるのだろう。


「困ったな。これは一生返ってこないかも。」


「まあ俺たちもまだ新人ですし、しばらくは大事ないんじゃねえですかね。それこそ任務ってなりゃ、伊法の嬢ちゃんが説得してくれるはずです。」


「…そうだね。今は僕たちのできることを頑張ろうか。」


 その後優壱と別れ祁答院先生の診療所に向かった。外では不穏な事件こそあるが、この町は平和だ。その静けさに少々の不安を感じながらも、目の前のことに集中するほか方法がなかったのだった。



 


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