彼のために、わたしができること ③

 ――翌日から、わたしと貢は土・日返上で退職した人や休職中の人たちへの家庭訪問を敢行した。


「桐島さん、ICレコーダーって持ってる? 被害に遭ってた人たちの証言、録音しておきたいんだけど」


 もしも彼が持っていなければ、家電量販店などで新しく購入しなくてはならないと思っていたけれど(もちろん、わたしの自腹で)。


「はい、持っていますよ。小川先輩から『いつ必要な時が来ても大丈夫なように、常備しておきなさい』と言われて、秘書室の研修が始まってすぐに自腹で購入してあったんです」


「へぇ……、そうなんだ。じゃあ、その分の代金も必要経費としてわたしから清算するね」


 ――そんな会話をしながら、都内の二十三区内や郊外に散らばる被害者のお宅を訪問して回った。わたしの服装はもちろん、いつもどおりの制服姿だ。


「こういう時くらい、スーツをお召しになってもよろしいんじゃないですか?」


 彼は不思議そうにそんなことを言っていた。TPOをわきまえた方がいいという意味で言ったんだと思うけれど、実は「絢乃さんのスーツ姿も見てみたいな」という彼自身の願望も含まれているんじゃないかとわたしは勝手に想像していた。


「ママにもおんなじこと言われたなぁ。でもね、これはわたしのポリシーの問題なの。〝制服姿の会長〟っていうイメージを世間的にもっと定着させたいから。そのために就任会見もこの格好でやったわけだし」


「…………はぁ。こういうところが、加奈子さんもおっしゃっていたとおり頑固……いえ、何でもありません」


 頑固、と言われてわたしは思わず助手席から運転席の彼を睨んでしまったけれど、彼がひるんだところでちょっと反省した。


「ううん、ママと桐島さんの言うとおりだわ。やっぱり頑固なのかなぁ、わたし」


 尊敬していた父と同じ血が自分にも流れているんだ、と実感できるのは喜ばしいことだけど、こんな変なところは父に似なくてもよかったよなぁと、その一点のみはあまり喜べない自分がいた。


「まぁまぁ、会長。そんなに落ち込まないで下さい。自分のダメなところをすぐに省みることができるのはいいことですよ。それだけ絢乃さんは素直な人だということです。僕はあなたのそういうところも好きなんですよ」


「……うん。そっか、そうだよね。ありがと」


 何だか途中から、呼び方が「絢乃さん」に変わったと思ったら、後半は秘書としてではなく彼氏としての意見だったらしい。


「はぁ…………、やっぱり調子狂うなぁ、もう」


「……? 何ですか?」


「別に、何でもない」


 恋愛初心者ビギナーのわたしは、職業上のパートナーでもある彼にこうやってコロコロ態度を変えられるとやりにくくて仕方がなかったのだ。



   * * * *



 ――事前に訪問のアポをとっていたためか、聞き取り調査は割とスムーズに進んだ。同僚だった貢を連れて行ったから、みなさんも話しやすかったのかもしれない(というか、彼がクルマを出してくれないと、そんなにあちこちには移動できないのだけれど)。

 やっぱり精神的に参っている人たちがほとんどで、まだ次の就職先が見つかっていない、もしくは非正規雇用でしか働けなくなったという人も多かった。そういう人たちに「もしこの問題が解決したら、ウチの会社に戻って来ませんか?」と声をかけてみると、「前向きに考えてみる」と色よい返事も多くもらえたので、わたしもこの件の解決に俄然がぜんファイトが湧いた。



「――あー、お腹すいた。今日はハンバーガーが食べたい気分~」


 とある平日の、会社からの帰り道。わたしは助手席で貢に夕食のメニューをリクエストした。もちろん彼におごらせる気はさらさらなくて、どのお店に行きたいか言っただけのことだ。


 ちなみに家庭訪問を行っていた期間は帰りだけ会社に寄らず、彼のクルマで直帰していた。その間に溜まった決裁などの仕事は母にお願いして、わたし個人のノートPCに転送してもらって家で処理していた。

 とはいえ、オフィス内でデスクワークをしている時より、外回りの仕事(これは仕事にカウントしてよかったんだろうか?)をしている時の方がエネルギーを消耗するので、帰りには二人とも毎日お腹がペコペコになっていた。

 夕食のメニューは毎日その日の気分で決めていて、ガッツリ焼肉の日もあれば回転ずしの日もあったり、ファミレスで済ませることもあった。


「ハンバーガーですか? ……えーと、このあたりに美味しい店なんてあったかな……」


 彼は車載ホルダーにセットしたスマホで、ハンバーガーのお店を検索し始めたけれど。前方には超有名なファストフードチェーンの黄色い「M」の看板が見えていた。


「そんなにいいお店じゃなくても、あれでいいよ」


「……えっ? あそこでいいんですか?」


「うん」


 ――そんなわけで、その日はお互いに好きなバーガーとフライドポテトのセットで夕食を済ませて帰宅。そんなこともあった。――そういえば、ワサビとカラシ以外に炭酸飲料も苦手なんだと彼に打ち明けたのも、確かこの日だったな……。



 ――そうして、年度末も押し迫った三月二十七日にはすべての証言が揃い、わたしは本部の監査室へ連絡を入れた。


「――監査部長の寺本てらもとさんですか? わたし、会長の篠沢ですが。篠沢商事について、大至急監査に入って頂きたい案件があるんです。――ええ、よろしくお願いします」


 受話器を置いたわたしのデスクに、会議用の資料を作成していた貢がやってきた。


「会長、島谷課長の処遇を決定する会議は、監査が終わってからということになるんでしょうか?」


「うん、そうなるね。……あのね、桐島さん。島谷さんの処分についてなんだけど、わたしにちょっと考えがあって。聞いてくれる?」


「はぁ、いいですけど……」


 そこで彼に話した考えというのは、島谷さんを解雇にするのではなく依願退職扱いにすることだった。彼にも守るべきご家族がいるだろうし、生活を破綻させるわけにはいかない。誰にでもやり直す権利はあるのだから、再就職するにもそちらの方がいいだろうと。


 それに、篠沢グループの規定では、解雇されると退職金が半額しか支払われないことになっているけれど、依願退職なら満額が支払われる。そうすれば、彼に再就職先が見つかるまで島谷家の生活も補償できると思ったのだ。わたしから経理部に出向いて、掛け合おうと思っていた。


「確かに、島谷さん自身は会社にも社員のみなさんにも迷惑をかけた。でもご家族には何の罪もないよね。この処分は、世間の容赦ない誹謗中傷から彼のご家族を守るための措置そちでもあるの。……分かってもらえるかなぁ」


「それは理解出来ますが……、それをどうして僕にお訊ねになるんですか? 秘書だから、という理由だけではないですよね?」


 彼はわたしの考えをすべて理解しようとしているんだと、わたしは嬉しくなった。


「それは、貴方がもっとも身近にいる、この問題の当事者だから。世間的に、こういう時の処分は解雇が正しいんだろうけど、貴方がもし島谷さんのしたことをゆるせるなら、わたしは退職扱いでも問題ないと思ってるの。どちらの処分にするかは桐島さん、貴方にかかってるってこと」


「…………会長は、解雇にだけはしたくないとお考えなんですよね?」


「うん」


「でしたら、僕も島谷課長は依願退職扱いでいいと思います」


 彼は悩むことなく即答した。ということは、もう元上司にされた仕打ちを恨んではいないということだとわたしにも分かった。


「もしお父さまが……、源一会長がご存命なら、絢乃会長と同じく解雇にはなさらなかっただろうな、と思って。お父さまを尊敬されているあなたも当然そうお思いのはずだと考えたんですが……」


「……ありがと、桐島さん。そこまで気づいてたなんて、さすがはパパが見込んだ人だけのことはあるね。――じゃあ、そういうことで、島谷さんの処分については話を進めていくから」


「はい」



 ――というわけで、本部の監査や重役会議などを経て、島谷さんには退職願を提出してもらい、月末の記者会見を迎えることとなった。

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