第6話

 真っ白で、神聖で、幻想が詰まった場所「教会」。辺境の地にあるものとは大違いな広さの聖堂にまだ不慣れな私は、一瞬足を止める。ミディカ様が一番見ている場所だからか、この清閑さがそうしているのか、ただ私が場所見知りをしているからなのか、とても強く感じる居心地の悪さ。私の心臓が早鐘を打つ。

『ヴィオス私も手伝うわ。一つちょうだい』

 隣を歩いていたイオが私が立ち止まった理由を勘違いしてか、私の服の裾を引っ張る。

「大丈夫よ。これ、見た目に反してとても軽いの」

 荷物を持ち直して、一歩、一歩と祭壇に向かって歩を進める。足音がカツカツと反響いてしまいそうで少しびくつくけれど、絨毯が音を吸収してくれてホッと胸を撫で下ろす。ここは何度も歩いているのに慣れないわ。

「マリール様。これはどこに置けばいいですか?」

 私は祭壇のところで指示を出していたマーリル様に尋ねる。

 今日は包帯や薬、日用品などいろいろな物資が届く日なの。皆大忙しで保管場所へと荷物を運んでいる。私はここに来て一ヶ月足らずなものだから、まだどこに何を置けばいいのかよく知らないのよね。

「それは……あぁ、そこを右に曲がって、真っ直ぐ行ったところにある階段上がって、すぐ左手の部屋にお願い」

「わかりました。教えてくださってありがとうございます」

「そんな畏まらないで。私としてはむしろ申し訳ないところなんだから」

 女の子にこんなに荷物持たせちゃって……と、マリール様はイオみたいなことをおっしゃる。私は懲りずに一礼をして、マリール様に教えてもらった部屋へと足を運ぶ。

 マリール様に対して畏まらないなんて無理な話よね。だって私の尊敬する、私たち姉妹の恩人だもの。

 マリール様はどんな人? そう聞くと大体返ってくる答えは決まっている。

「怜悧で、慈悲深い人」

 本当にどんな人に聞いてもよ。私はいつも羨ましがられるわ。マリール様に誘われて、教会に入ったなんて! って。

 マリール様を巡る逸話はたくさんあるけれど、私が一番見習いたいと思うところは、知識量が豊富なところかしら。質問をすればほとんどのことに答えを返してくださるのよ。すごいわよね。しかもそれだけじゃ飽き足らず、答えられなかった質問にも、次の日には、答えを教えてくださるの。一晩でどうやって答えを探してくるのやら……。

 世の中のこと全て知っていそうな方なのに、未だに毎晩遅くまで読書をして、自己研鑽を怠らないところも素敵よね。色々な地方の教会に足を運んでいらっしゃるのも「本を読むため」という噂を聞いたことがあるわ。ここ、マリール様の本拠地、王都は色々なものが集まってくる場所と言われているけれど、万能な場所とは言えなくてね。やっぱりその地方にしかない本や資料というのはどうしてもあるんですって。私がここに異動してくる前にいたカガチ町の教会でも、マリール様が本を読んでいる姿を何度も見たから、この噂は本当のことなんじゃないかしら。

 私は……、そんなマリール様の期待に応えられるような聖職者に早くなりたい。私に期待してくださっているなんて、とても烏滸がましい想像かもしれない。でも、私なんかの入教で、私たちが犯した重罪を黙っていてくださったのよ。王都の教会に来れたのも、そろそろ王都に戻ってこいとお達しがあったマリール様が「一緒に来ないか」と気にかけてくださったから。少しは期待してくださっているって思ってもバチは当たらないでしょ? せっかく拾ってもらったんだもの、昇進しないと意味がないわ。私も自己研鑽を怠っちゃダメね。

 教会内での階級は高い方から、

 青の【瑠璃るり

 白の【白雪姫しらゆきひめ

 紫の【甘月かんげつ

 緑の【緑光りょっこう

 橙色の【万葉まんよう

 桃色の【桜霞さくらがすみ

 【見習い】

 の順になっている。魔法を使った治療ができるのは「万葉」からだから、とりあえず目指すべきはそこね。魔法適性が草属性の私は、普通であれば「桜霞」止まりだったろうけれど、私は普通じゃないから。

『ねえ、本当に大丈夫なの?』

 声の方へ目を落とすと、イオが心配そうな顔で私を見上げている。

「えぇ。大丈夫よ。重そうに見えるかもしれないけれど、本当にとても軽いの」

 私は二段に重ねた段ボールを上下に揺らして見せて、まだ心配そうな顔のイオに笑顔を向ける。

 イオはとても優しい子。こんな私についてきてくれて、私のことを何かと気にかけてくれる。イオは

「私はヴィオスと一心同体だから、当たり前よ」

 と言うけれど、私は日々感謝しているの。だってイオにはあの孤児院に残るという選択肢もあったのよ。レイと、クレーと一緒に過ごすという道を選ぶこともできたのに、私を選んでくれた。「人」じゃない彼女は、異質だと指を刺されてしまうだろうことも目に見えているのに……。

「【呪い】の私は人に後ろ指を刺されて当然なの。誰かを呪うということはそういうことよ」

 前にイオがそんなことを言っていた。なんてことはない、とでも言うような表情に、私はどうしようもなく心が痛くなってしまって……。それからイオのことを【呪い】と言うのはどうもためらってしまう。

『私が開ける』

 扉の前に来ると、イオが前に躍り出る。

「ありがとう」

 私は思わず笑顔になる。

 こういうところよね。部屋に篭っていてもいい立場なのに、こうやって私の手伝いをしてくれるんだから。

「ここに置いておけば……いいのかしら?」

『いいんじゃない?』

 外から吹いてきた風で、カーテンが揺れている。光は目の前にあるたった一つの窓からだけ。けれど、それだけで事足りるほど小さな部屋。両脇にある背の高い棚が、より一層部屋を小さく見せているみたい。フローリングの床には、窓枠の影がくっきり落ちている。

 一目でわかるようにと、持ってきた箱を部屋の中央で下ろす。……これでよしと。運ばなきゃいけない荷物はまだたくさんあるだろうから早く戻らないとね。

「お姉ちゃん待って…!」

「やぁよ〜」

 風とともに部屋に入ってきた子供の声。私は思わず窓へと近寄る。声の主はすぐに見つかった。二人の子供が楽しそうに通りを駆けている。

「今日も元気一杯ね」

「あっ! 桜霞様! おはようございますっ!」

 二人は、玄関周りの掃除担当だろう私の同僚に元気のいい挨拶をすると、そのまま楽しそうに駆けていく。私はその小さな背中を思わず目で追ってしまう。

 ……みんな、元気かな……。

 イリアスやスニカ……レイ、それとクレーの顔が頭をよぎる。ふいに、長めの金髪もどきの髪を三つ編みで結ぶ、濁った水のような目の人の姿が視界に飛び込んできて……あぁと納得する。窓ガラスに映る私の姿だ。クレーと双子でそっくりなはずなのに、どうしても好きになれない私の姿だ。

 そっと左手で顔の右側を撫でてみれば、ポォッと光って、「私」が顕になる。芽のような蔦のようなコレは【呪い】を受けている印。私が親を殺した証でもある。

 私は魔法適性が草属性のくせに光属性の魔法すらも少ない魔力で発動できる特異体質だから、この痣を隠すことができている。【幻覚魔法】という名の光属性の魔法でね。でもクレーは……私のせいでこの【呪い】を背負うことになったクレーは、痣を隠せないで苦しんでいるのを、私は知ってるの。

 ミディカ様も不公平よね。どうして妹の魔法適性は氷属性だけなのかしら? 双子なのだから、クレーも特異体質でもいいじゃない……。

 強く握りしめた拳。手のひらに食い込んだ爪に、手のひらが痛みを主張する。

 クレーが受けている痛みはこれの比になることはない。そんなこと、同じ【呪い】を持つ私は嫌というほど知っているのに……。私は、クレーに何をしてあげるでもなく、ただ「もし私が」「もし私が」ってそればかりを繰り返してる。不甲斐ない姉でごめんね。

『ねぇヴィオス。今の子たち見て思い出したんだけどね?』

「な、なにっ…!?」

 突然振られた話題に驚いて変な反応をしてしまう私。イオは不審そうな顔をして、フワリと浮き上がると私の顔を覗き込む。

『まさかまた、たらればの話を考えてたりしてないわよね?』

「してない。してないよ〜」

 急いで否定する。イオは私があることないこと思考するのが気に入らないみたい。ネガティブ禁止! といつも言われている。私としてはさほどネガティブな考え事をしているつもりはないんだけど……イオが私のことを思って言ってくれてることはわかってる。

『ほんとー?』

「ほんとよ。嘘なんてついてないわ」

『ふーん? ……まぁ信じてあげる。それでね、今の子たちを見て思い出したんだけど……』

 納得はできないのか、怪訝な顔のままイオは話を続ける。私のことで心配させちゃって、ごめんね。

『クレイスたちからの手紙が長らく来てないな、と思ってね』

 あぁ。そうなのよね。前回手紙が送られてきた時からそろそろ二ヶ月が経つ。いつもは一ヶ月おきくらいで送られてくるのにって私も少しおかしいと思っていたけれど……。

「私たち、この首都に来たばかりじゃない? まだ送った手紙が届いてないのかなって私は思ってる」

『来たばかり……って言っても一ヶ月は経ってるわ』

 イオはぶつぶつと独り言を呟く。

 前回の手紙は、カガチ町で、こちらに異動する準備をしてた時期に貰ったのよね。準備で忙しかったものだから、返事を書いたのはこっちに来てから。その手紙をクレーが受け取って、返事を書く。と考えるとまだ届かないのも納得よね。リーホック村から王都まで結構距離があるはずだから。……でも手紙は転送魔法で各地の郵便屋さんに届けられるはずよね…?

「……そうだわ。そうよ。今、クレーは忙しいんじゃないかしら?」

 思い当たった返事が遅い理由に少し声が弾む。

『と言うと?』

「ほら、私たち少し前に赤毛の女の子に会ったじゃない? 【緑光】のメノン・サマラス様と一緒にいた」

『あぁ。……チェリー・ルーリスト、だったかしら?』

 私は頷く。赤毛、赤目の可愛らしい女の子だった。とても賢そうな子。

「サマラス様は『リーホック村のクラスペディア荘に行く途中だ』っておっしゃっていたわ」

『……そんなことも言っていたような…?』

「リーホック村のクラスペディア荘なんて、まさしくクレーたちがいる孤児院でしょ?」

『そうね』

「クレーはきっと新しい子が来て忙しいのよ。少し前に『最年長になっちゃったー』って手紙にも書いてあったし」

 あの時の手紙はすごかったわよね。手紙なのに迫力がすごくて……。孤児院に帰ろうかと一瞬本気で思ったわ。その時の私は【見習い】だったから、帰ろうとしようが帰れなかったんだけどね。

 まだ納得できず、不満げなイオに、私は笑顔を向ける。

「なんにしても……大丈夫よ。クレーもレイもみんな元気にやってるわ」

 クレーもみんなも強い子たちだもの。手紙がなくて心配だからって連絡しても、きっと呆れられちゃうわ。「返事を考えてたのっ! お姉ちゃんはせっかちすぎ!」って怒られちゃったり。

 笑顔の私に、イオは心底呆れたとでも言いたげな表情。しばらく私と見つめ合ったのち、肩を落としてため息を一つ。

『あのねぇ? あの二人のことなんて心配してないわ。私が心配なのはヴィオス、あなたよ』

「え? 私?」

 私は……この通り元気だし、手紙が来ないからといって何か被害を被る訳でも……。

『クレイスが社会から殺人者だって言われないように、マリールの誘いに乗ったあなたよ? 自分の人生を棒に振ってでも、クレイスのためにこんな道を選んだあなたなのよ? そんなあなたが、クレイスの、様子も消息すらもわからなっていないのが今の状況。宝物の所在がわからないと不安になるのが人間の常。ヴィオスの精神的負担は今、とても大きいのよ。自分で気づかない?』

 ……わからない。平気だって言うのはとても簡単で、自分の気持ちに向き合う時間もなく、今まで必死に生きてきた。例え、弱音を吐いたって誰も助けてはくれないから……。

 私はパシンと頬を叩く。イオは驚いて肩を跳ねさせる。

「大丈夫よ。クレーなら元気でやってるわ」

 私はイオに笑顔を向ける。私はクレーのことを信じているから。もし、クレーに何かあったならサティアさんが連絡をくれるって信じてるから。だから、私は大丈夫。

 まだ心配そうなイオを置いて、「私」を隠した私は次の仕事に向かうため、部屋の扉を開けた。

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