第20話 お仕事は証明から

 海は何も言わず、 最後まで私の話を聞いてくれた。私はできる限りありのまま、わかりやすく伝えようと言葉を尽くしたが、ちゃんと伝わったかどうか自信はない。そもそもちゃんと伝わったところで、信じてもらえるかどうかもわからないような話だ。

 

「──作り話、にしては突拍子がないな」

 

 海は難しい顔で顎に指を絡ませると宙を睨む。


「はい、自分で話していても信憑性がありませんから……」

「しかし……もしもその話が本当だとすれば、君は丸三日も白蓮殿の秘書官代役を勤めたということになる」

「うーん……そう、ですね。もしあの仕事を秘書と呼ぶならば……ええ、確かにそうなるかも」


 海はじっと私を見つめると席を立った。


「すぐに戻る」

 

 いい残して部屋をでる。戻ってきた海が手にしていたのは、筆記具一式が収められた硯箱すずりばこと紙の束だった。

 

「朝議の議事を控えたという君の話が本当ならば、今ここでやってみせてくれ」


 海は私の前に硯箱と紙を置くと、卓の向かい側の席に腰をおろした。背を伸ばし腕を組んで座る姿からは、つい先ほどまで漂っていた優しい気配が一切消えている。それどころか感情が消された眼差しは私の胸の内を見透かすように鋭く厳しい。包み隠さず本当のことを話しているはずなのに、気持ちが落ちこんで私は肩を落とした。

 海に対して嘘は一つもいっていない。だから試されたって後ろ暗いことはなにもない。それでも今となっては自分でも狐に摘まれていたのではないかと思うような荒唐無稽な内容だ。自分でも信じていない話を信じてくれというほうが無理なのだ。まして下女の言うことなど、それでなくても信用なんてないのだから。 


「議事の控えですか? でも何を書けば……」

「俺が今から話すことを、会議だと思って書き留めてくれ」

「……分かりました。やってみます」 


 海と正面から向きあって、私は墨を含んだ筆を手にとった。

 


 それから四半時ほど。


「もうよい」


 海は片手を上げて私の筆をとめると、腕を組んだまま椅子の背に寄りかかった。私が書き散らかした紙面を見つめる視線は先ほどよりもさらに厳しくなっている。切れ長の瞳を半眼にして睨まれると、身に覚えない罪まで簡単に認めてしまいそうなほどの威力がある。

 私は海に促されるままに、彼が話す内容を書留めた。さらにそれを要約し、幾つか計算までしたうえに、最後は問答のような答案を書くことになった。それほどおかしなことはしていないつもりだが、果たして海が求める答えを示せたのかどうか全く自信はなかった。


「──澪、君は一体何者だ?」


 しばしの沈黙の後、海が唐突に問う。


「何者……ですか?」


 紙面から顔をあげると、正面からまっすぐに見つめる海と目があう。眼光、というのがまさに相応しい、嘘や誤魔化しを一切許さぬ鋭く強い眼差しだった。これまでの三十五年、平和ボケとも言われる国で生きてきて、こんな眼差しを浴びたことなどあるわけがない。私は金縛りに遭ったように息が詰まり動けなくなった。握りしめた両掌は冷や汗で凍えている。爪が食い込んで血がswないのは、ひとえに白蓮様によるお手入れの賜物だ。


「このような教養、どこで身につけた?」

「きょ、教養ですか?」

「これは文官の手際だ。それも相当年季の入った」

「文官の手際……」

 

 文官……ああ、そっか、そういうこと? 私の中で何かが閃いた。この世界の文官というのは、要は前の世界でいうとろこのサラリーマンに近い仕事なのだろう。文官=サラリーマン、うんうん納得。文官の手際をサラリーマンの手際と脳内変換すれば、海のおっしゃる通り、私には勤続十三年の年季がはいっている。


「先ほどの話、白蓮殿の勘違いかはさておいて……君にこのような能力があるのであれば、確かに三日間あの方の秘書官役を務めることもできただろう。しかし──」


 海は目を逸らさずに続ける。


「であれば、俺は君があのような森の奥で行き倒れていた事情を、改めて聞かねばならないようだ」

「事情……」

「澪。このような教養、市井に暮らす平民には決して身につけられるものではない。それでももし君が平民だというのならば、どこかで特別な訓練を受けたに違いない。そんな訓練を受けるのは──」

「お、お待ちください! 私は決して間諜かんちょうなどては!!」


 驚いて立ちあがった私はありったけの力で首を振る。


「本当なんです! 信じてもらえないかもしれないけど……でも私は本当にただの、ただの……」 

 

 私の声はだんだん小さくなって、最後はほとんど吐息になる。意気消沈した私はそのままよろよろと長椅子に腰をおろした。海にまで疑われたらお終いだ。もう他の誰も私の話を信じてはくれないだろう。

 そうなるとわかっていたから、どうやって説明したらいいか悩んでいたのだ。だって、どう説明したって今の私の存在は怪しいではないか。下女というのは文字の読み書きすら覚束ないのが普通だ。それが議事録が書けて書類整理もできる下女などこの世界の常識ではあり得ない。しかもそんな下女が何の因果か勘違いか、とある院長の侍従になりすまし三日間も前宮に潜入していたのである。話を聞いた相手が海でなかったら、私はとっくに縛り上げられて拷問部屋に直行だ。この世界にそんな部屋があるかは知らないが……。

 白蓮様に求められるまま、調子に乗って色々やらかしてしまったツケが今自分の元に巡ってきている。調子に乗って、久々の仕事に舞い上がって、白蓮様の勘違いを利用したままずるずると三日間も身代わりとして働くなど、決してすべきではなかったのだ。

 私が俯いたままゆるゆると首を振っていると、ふっ、と海が小さく息を吐いて目を閉じた。再び目を開けた時、そこにはいつも様子をみにきてくれる時と同じ、春の海のように凪いだ青い瞳があった。


「慌てるな。俺も君が本当に君を間諜だと思っているわけではない。その筋の者が見れば君がそのような訓練を受けた者でないことは一目で分かる。さっきの沈も何も言わなかっただろう? あいつを騙せる間諜はいない。それが答えだ。それに──」


 海はわずかに唇の端を緩めた。


「それに、もし本当に君が間諜で王城への潜入を企んでいたのなら、あのような滅多に人の通らぬ森の奥などで倒れているはずがない。真冬の森だぞ? 発見があと一刻でも遅かったら君は凍死していただろう」

「あの……」

「俺があの日、あの場所を通りかかったのも本当に偶然のことだ。あのような道もない森の奥など、普通なら一月待っても誰もこない。もし倒れている者がいるとしいたら余程間抜けな間諜か、それともそのような森の奥にまで行かねばならぬほど、必死に逃げてきた事情のある者か……」


 海が向かいの席から手を伸ばし、握り締めた私の手を大きな両手で包みこんだ。包まれてはじてめて私は握り締めた自分の手が微かに震えていることに気がついた。


「海様……その、私は……」

「澪、返事はいい。だが先ほどもいったように、君のような教養を平民が身につけることは現実には不可能だ。逆にいえば、その教養を知れば本来の君がどのような姿だったかは自ずとわかる」

 

 私は異世界からやってきた人間なんです。という言葉が喉元まで迫りあがり、私はぐっと奥歯を噛みしめた。


「はじめて会った時、君は異国の衣装を着ていたな。その黒髪と黒い瞳、象牙色の肌は東方の出身だろう。であれば……一人、戦火から逃れてきたのだな。そのような教養、よほど大店の跡取りか、高貴な身上の者でなければ身につけられぬはずた。しかしだとしたら君の年齢が解せぬ。どうしたらその若さで、あのような年季のはった文官の真似事ができるのか」


 私は項垂れて首を振った。

 なんと言ったらいいか分からない。

 海の勘違いを正すことも、そのまま勘違いにのって嘘をつくことも、どちらも正しいことだと思えない。

 私が言えるのは、ただ──。


「仕事を……していたんです、長い間。海様が教養と呼ぶものは、恐らくその仕事の中で自然と身についたものです」


 私は海の勘違いを正すことも嘘をつくこともできず、しかし全てを明らかにすることもできず、卑怯だと思いながらも海が誤解することを願って、少しだけ本当のことを話す。


「そうか、家業を手伝っていたか」

「海様、ごめんなさい……。私、私本当は……」


 俯いた私の頭を海の大きな手が再びわしゃわしゃと掻き混ぜる。大きくて、暖かくて、力強い手が。いつもと変わらない海の手が。


「何も言わなくていい」

「ごめんなさい、海様……」

 

 海は命の恩人だ。

 そんな海にも嘘をつく自分が無性に腹立たしい。

 しかし本当のことを伝えることもできなかった。

 異世界転生したなど一体誰が信じるだろうか。

 勘違いで下女が三日間も院長の侍従役を勤めるよりも、もっと荒唐無稽で奇想天外な話だ。

 さすがの海でも私の気が触れたと思うだろう。

 でも本当は誰かに知ってもらいたかった。

 全てを打ち明けてこの苦しみや悲しみを共有して欲しい。

 それだけでどれほど心が救われることか。

 でもできないのだ。

 その葛藤は涙になって、海の手の甲にぽたりと落ちた。

 

「俺が引き取るか口添えできればよかったが……。今の任務についている間は、たとえ家族であっても側にはおけぬ。そういう掟がある。しかし三日間もあの白蓮殿の元で勤められたというのならば、あるいは──」


 海は私の背中を優しくさすりながら呟く。

 遠くで四の鐘が響いた、そろそろ昼時だ。

 海をこれ以上、引き止めるのは申し訳ない。

 しかし海に話を聞いてもらえたことで、私の気持ちは大分落ちついた。

 もうこの世界で生きるしかないのだ。ならば生き残るためにやれるだけのことはやってみよう。

 腹を決めて下女頭の早の元に申しでるのだ。

 

「海様、私はもう──」

「澪、待ちなさい。じんには言付けて行くから、俺が戻るまでこの部屋にいろ。夕刻までには戻る」

「海様?」


 海はそういい残すと、西門の商談室に私を残し足早に商談室をでていった。

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