第12話 お仕事はランチミーティングから
「近道する」
言い終わらないうちに、白蓮様は素晴らしく優雅な身のこなしで百八十度方向転換した。そして完全にバランスを崩した私を引きずって脇道に入る。今の私を何かに例えるならば罠にかかった子兎だろうか。あちらに曲がり、こちらを通り抜け、よくわからない部屋を突っ切ってと、縦横無尽に近道をする白蓮様に好き放題に振り回される。私は心を無にすると、抱え込んだ資料をぶちまけないようにひたすら遠心力に耐える。
ようやく白蓮様が立ちどまり私が顔を上げると、
何かに似ているなと思考を巡らせること数秒。そうだあれだ、と私は心の中で手を打った。東大寺の南大門の左右に控えるあれだ。あの仁王像にそっくりだ。
土木院というのは前の世界でいうと国土交通省に近い部署だ。街道や運河の整備、王城など公的な建造物の建設や保守、それに地図作成。国土管理に関わる様々なことを担っている。もちろんここは重機など存在しない世界だ。必然的に体力勝負になるのだろう。土木院ですれ違う人は誰も彼も皆ガタイのいい人ばかりだった。それも自然に鍛えられたガテン系ではなく、作り込まれたプロレスラーに近い。実用以上の趣を感じる肉体美である。
「待たせたな」
「構いませんよ。こちらこそ多忙極める白蓮殿に時間を作っていただき感謝しております」
いつの間に息を整えたのか白蓮様はすましきった声でいう。雲開は豪快に笑うと伸ばした腕で白蓮様の背中をばしばしと叩いた。とっても気さくな明るい雰囲気だ。だけど白蓮様の背中は相当痛そうである。
そのまま応接室の一つに通されると、さっそく昼餉兼会議がはじまった。議題は現在建設中の堤防工事現場の労働環境に関することだった。どうやら最近、作業現場で体調不良の者が続出しているらしい。その原因を特定するために、白蓮様に医者としての意見を聞きたいという。白蓮様は至極優雅な手つきで食事をとりつつ、的確な質問で現場の状況や作業員の症状を調べはじめた。
副院長と白蓮様の食事が半分ほど進んだところで、私は別室に通された。そこにはささやかながらも、今の私の生活からすれば信じられないようなご馳走が並んでいる。聞けば侍従用の昼餉だという。私は勧められた席に腰をかける。しかしこの世界に来てはじめての至極真っ当な食事に感動してしまい、なかなか箸がつけられない。
この世界の食事はありがたいことに、比較的日本人にも馴染みやすい味わいが主流だ。多少、独特の風味はあるものの、和食と中華に多少エスニックのエッセンスを加えて、足した種類の数で割るとかなり近い味わいになる。下女寮で聞いた話によれば、地域や国によって味付けや材料に様々な違いがあるそうだが、この国どころか王城からもでたことのない私には詳しくはわからない。
しばらく美しい弁当を眺めていた私は、ごくりと唾を飲み込んでようやく焚き合わせの一角を崩し一口含んだ。じんわりと広がる優しい味わい。涙がでそうだ。新鮮な素材を生かした調理法、目にも鮮やかな彩りの美しい盛り付け、奥行きのある出汁の味わい。数口食べては感動に打ち震えるので全然食事が進まない。そうこうしているうちに慌ただしく土木院の使いが駆け込んできた。白蓮様が私を呼んでいるという。
しぶしぶ箸を置いて最初の部屋に戻ると、命じられたのは資料探し。なんでも白蓮様の執務室の奥にある資料室に参照したい書籍があるらしい。私は残してきた昼餉に盛大に後ろ髪を引かれながらも土木院を後にした。何ならいっそ本当に泣いていた。本当に久々の真っ当なご飯だったのに……。くうくうと悲しげに鳴る腹を抱えて、私は医薬院長室を目指してひた走る。
とはいっても、私一人だと近道はできない。そもそも前宮に不案内な私には白蓮様のような抜け道の知識などない。自分の野生の勘をフル回転させて何とか医薬院の方向を目指すのが精一杯だ。本当は誰かに道を尋ねればいいのだが、自院への道順もろくに知らない侍従だと思われて身元を怪しまれるのが怖く、とてもではないが声をかけられなかった。
決して自分から望んで前宮のこんなところに入り込んだわけではないのだ。この世界に神様に相当する何かがいるのかどうか知らないが誓っていえる。しかし現実にはそんな言い訳など何の役にもたたない。もしも下女が侍従になりすまし、こんな前宮の奥にまでまぎれこんでいると知られたら、その場で切り捨てられても仕方のない重罪だ。
私は内心ではいつ正体がバレるかと心臓が縮みあがる思いをしながら、しかし表面上はとにかく場慣れたそれなりの侍従に見えるように必死で頭をあげて澄ました表情を取り繕った。途中で何度も警備兵に誰何で足止めされ、その度にもう駄目かもしれないと心が折れそうになる。それでも私は何とか医薬院まで辿りついた。顔パスの警備兵に軽く片手をあげて挨拶された時の私が、どれほど安堵したことか。
白蓮様の執務室まで駆けあがる。目的の書籍はすぐに見つかった。私は資料を胸に抱えると再び階段を駆けおりて一路土木院を目指す。帰りは別の意味で真剣だ。なんせあの美しい弁当が私を待っている。顔パスの警備兵の前を堂々と歩き過ぎ、廊下の隅を探しては影のように気配を消して先を急ぐ。広い廊下から次第に狭い廊下に入り、また中くらいの廊下にでる。最初の角を左に曲がり、しばらく歩いて右に曲がる。そして次に右に曲がる角にきた時、私は足を止めた。
薄暗い廊下の奥を凝視する。男性の影に隠れるようにして小柄な誰かが、細く開いた扉の向こうに押しこまれるのを見た気がしたのだ。しかし見たのはほんの一瞬で、しかも視界の端に映った程度だから確証はなにもなかった。それどころか扉が閉まった薄暗い廊下は、何事もなかったように静まりかえっている。男性かどうかもあやふやだ。影になっていたので、顔立ちはおろか体の輪郭もよくわからない。
しかし私の視線はその廊下の奥に釘付けになったままうごかせなかった。小柄な影は十四、五歳に思えた。押し込まれたように見えたのは私の目の錯覚だろうか。その小柄な影がまとっていたのが下女のお仕着せに思えたのは勘違いだろうか。そして頼りなく細っそりとした後ろ姿が、雪ちゃんに似ていると思ったのは私の見間違えだろうか──。
私の足は何かに引き寄せられるようにふらふらと廊下の奥の扉に向かう。頭の一方では、こんなに日の高い昼日中に、下女が前宮をうろついているはずがないと冷静に考える自分がいる。しかし考えれば考えるほど先ほどの影が雪に思えてならなかった。
自分から雪に持ち場の交代を申しでておきながら、勘違いに巻き込まれて逆に大変な迷惑をかけてしまった。時間になっても戻らないどころか行方もわからなくなった私に、下女頭の早はかんかんになって雪を責めていることだろう。まさかその流れで、何かよくないことに巻きこまれたのではないだろうか。
あるいは優しい雪のことだ、とっくに終わっているはずの時間になっても戻らない私を心配して、探しにきてくれたのかもしれない。そこを誰かに捕まって、難癖をつけられて、それで、それで……。
考えはじめると悪い想像ばかりが広がる。一目確認できれば気がすむのだ。ここからあそこまでほんの二十メートルほど。行って帰ってきても大した距離ではない。多少弁当は冷めるかもしれないがそれだけだ。あれが雪ではなくて仕事の誰かだと確認できればそれでいい。たった少しの勇気をだしてあの扉をノックすれば、余計な心配をしないですむ。怒られても間違えましたの一点張りで走って逃げてくればいい.。私は自分をそうやって自分を説得するとふらふらと脇道に逸れた。
「見つけた、澪ちゃん」
壁にへばりついて振り向くと真後ろに雪が立っていた。
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