第9話 お仕事は皮算用から(前編)

 朝議の次は外商院がいしょういんとの打ち合わせだ。私は先ほどの二人のやりとりに頭の片隅を奪われつつも、白蓮様に続いて廊下に飛びだした。斎峰に足止めをくらったため外商院との約束の時間が迫っているのだ。

 外商院は前の世界で言うと経済産業省に近い部署だ。街の商業組合との折衝、国単位の購買や米や塩といった王制品おうせいひんの販売管理、輸出入政策など、国の産業振興や商売に関わる執務を担っている。そのため市井の商人や他国の使者など外部とのやり取りが多い外商院は、執務室を城の正門近くに構えている。業務上は便利な場所なのだろうが、奥宮の方が近いこの朝議の間からは非常に遠い。白蓮様の長身でも早足で二十分はかかかるだろう。子供の私ならなおさらである。


 小走りでの長距離移動を想像し私はげんなりした。先程の筆書き議事録に私の本日分の気力は使い果たされているのだ。まだ朝日の眩しい時間帯だというのにすでに燃えかすだ。それに先ほどの斎峰とのやりとりにも色々と気になることがあり、私の頭はパンクしそうだった。

 当然一番の気がかりは自分に対する白蓮様の勘違いだが、いまだ解ける気配も解けさせられそうな隙もない。とやかくいわずに一刻も早く説明しなければならないことはわかっている。しかし予定が大幅に遅れている白蓮様は声をかけるなモード全開で、迂闊なことはとても言えそうにない。

 しかし議場の扉をにでるとすぐに声をかけられた。廊下で待機していた外商院の二人組である。一人は先程、院長の不在を釈明していた副院長、もう一人は購買局こうばいきょくの局長と名乗った。


「近くにお部屋を用意しております」

「助かる」


 白蓮様は軽く頷くと二人の後に続いた。私も胸をなでおろす。移動先は廊下の先に規則正しく並んだ扉のひとつだった。中は過不足のない打ち合わせ室だ。まさにこういう用事のために使用される部屋なのだろう。正面には風雅な坪庭を望む窓があり、中央にどっしりとした広い長方形の卓が、そして卓を挟んで両側に座席がゆったりと配置されている。白蓮様は迷わず長椅子に腰掛けると、自分の隣をとんとんと指先で叩いた。


 これは……、ここに座れということですか? 私が恐るおそる長椅子に近づくと白蓮様は再び長椅子の隣を指の腹で軽く叩いた。意を決し、私は彼の隣にちょこんと腰かける。外商院の二人も向かいの椅子にそれぞれ腰を下ろした。二人ともとてもにこやかな笑顔だ。彼等も私の存在は相当気になるはずだが、そこはプロ根性。視線を送るのもぐっと堪えて余計な詮索は一切しないので助かった。まあ、事情を聞かれたところで、誰よりも私自身が一番この状況を説明できないのだが──。


 全員が席に着くと、何処からともなく小綺麗な女官が現れてお茶を淹れてくれる。茶器から立ち上るのは爽やかな花の香り。下女など一生口にすることもない高級茶である。女官は優雅な仕草でお茶を注ぎつつ、私達の方にちらちらと視線を送ってくる。彼女は何故か頬を桃色に染めながら静々と退席していった。


 うーん、これはもしかして……。私は前髪を払う振りをしてちらりと周囲の様子を伺った。男女で一緒の長椅子に座るとか、この世界ではとんでもない破廉恥行為だったのか?

 いやいや、そもそも隣の席を私に勧めたのは白蓮様だ。隣に座っていても何も言われないということは、あれはやっぱりここに座れという合図だったのだろう。上司に相席を勧められて断れるわけもないし……。


 ──てか待て、私っーーー!

 白蓮様は上司でもなんでもないっつうの!! でも傍若無人な上司に振り回されるこの感じ、なんだかとってもしっくりくるのだ。体が勝手にってやつなのだ、とほほ……。


「さて、市井向けに販売している薬種やくしゅのことで話があると聞いたが?」


 一口茶を含むと、白蓮様が早速話を切りだした。


「はい」副院長が両手を揉み合わせながら頷く。「薬種局で生産いただいている万霊丹ばんれいたんの件で少々ご相談が」


 居心地のいい応接室に香り高い高級茶、小綺麗な女官の給仕、揉み手の歓待。この雰囲気はどう考えても会議というより商談。というか商談というよりも密談……? まあ私としては、お役所仕様の堅苦しい腹の探り合いよりも、切った張ったの商売の話の方がずっと馴染みやすくて助かるのだが。いや、この状況で何が助かっているのか意味不明だが……。


「薬効に何か問題でも?」

「いえいえ! 薬自体に問題は何も。万病によく効くとかなりの評判で。薬種局にも予定通り供給いただいております」

「ふむ、では一体何の相談だ?」

「それが、我々の予想以上に国内の販売が好調でして」


 二人は一層にこやかな笑顔を作った。しかし深まった笑みとは裏腹に視線は急激に鋭く厳しいものになる。二人と白蓮様の間の空気がぴりりと引き締まり、話が本題に入ったのだと分かった。私が急いでメモを取るための紙を広げようとすると、白蓮様が手を振ってそれを制する。どうやら明確には記録に残したくない内容らしい。


「特に先の冬に西側諸国で広まった流感に、万霊丹がよく効くと評判になったようでして。周辺国からも販売して欲しいとの要望が急増しております」


 白蓮様は片方の手を無言で私に差しだした。私は抱えていた書類から、薬種の生産量と販売量に関する資料を抜き出してその手に載せる。白蓮様は長い足を組むと膝の上に資料を広げてページをめくる。


「ふむ、それで?」

「我々としましては、この機会にぜひ国外含めて販売を強化できればと」

「なるほど、販売の好機というのは理解した。しかし薬種は原料の手配に時間がかかる。次の供給は早くとも初秋になるだろう。具体的にはどの程度の数量を想定している?」


 向かいの二人がちらりと視線を交わした。


「今回、最初にご用意いただいた三千袋は一月で、追加供給いただいた千五百袋も五日で捌けてしまいました。市井での評判や国外からの要請も鑑みると、今秋は三万袋のご用意をお願いしたいと──」

「三万袋?」


 一呼吸おいて白蓮様が足を組み直し、長椅子の背にゆったりと寄りかかった。それだけで部屋の空気がずっしりと重くなる。


「薬種の製造を軽々しく考えてもらっては困る。薬効の高い品質の安定した薬種を造るには当然それなりの手間が必要だ。数量が十倍となれば、原料の調達から人員、製造工程まで全て見直さなければならぬ。そう簡単に対応できる量ではない」

「ええ、それは我々も承知しているのですが。その……」

「はっきり言いたまえ」 


 外商院の副院長は小さな咳払いをして眼鏡の位置を直すと、卓の上に身を乗り出して声を落とした。


「先日、通商同盟を結んでいる近隣四カ国と我が国が会談を行ったのはご存知でしょうか?」

「ああ、聞いた。だが……まさか、そこで万霊丹が議題に上がったのか? いや、それは幾ら何でも早すぎる……」

「もちろん直接的な議題になったわけではございません。しかし歓迎の宴の際に、先の冬に西側諸国で広まった流感の話題になったようでして」


 副院長が目配せすると、購買局の局長が小さく頷いて話を引き継いだ。


「国境を接する近しい地域で、周辺国と我が国で死者数に大きな差があったのは、万霊丹のお陰だと指摘した使者の方がいたそうです。それをお知りになった陛下が、この取組に大変関心を持たれていたと聞き及んでおります」

「なるるほど、それであの男から話を聞いた五老師ごろうし達が何か言ってきたと?」

「正式にはまだ何も。ですが老師方も万霊丹にはかなり関心を持たれているようです。今回の会談の以前にも、すでに何度か探り入れがございました。どちらかというと、交易よりも国交で活用できないかとお考えのようですが」

「厄介な」


 白蓮様は手にしていた資料を卓へと放る。


「はい。流感は一度は流行ると数年は続くと言われております。この機会に万霊丹を利用して、周辺国への影響力をさらに高めようと考えられるのは必至かと。それでなくとも市井の需要も急増しておりますから、我々の見積もった三万袋でも全く不足かもしれません」

「そのようだ。少なくとも十万袋は必要であろう」

「ですが、そうなると王城の薬種局だけではとても生産が追いつかないかと」

「確実にな」

「実は、もう一つ別の懸念もありまして……」


 副院長が額の汗を拭う。


「先の冬に、あまりにも万霊丹の販売が好調だったものですから、市井の薬種組合から色々と不満がでてきております。我々としては国の福祉策の一環であると説明してはいるのですが……。また既存薬への影響も現れはじめております。最も大きな事例ですと、市井で広く常備薬として普及していた黒葉丸こくようがんが休売に追い込まれました。万霊丹だけが原因というわけではございませんが、きっかけの一つにはなっております。他にも数件、こちらは小規模な薬種ですが市場から姿を消しているものがあります」

「もし外商院の方で黒葉丸の生産元が分かれば知らせてくれぬか? 気になって私も色々と調べたのだが、黒葉丸は仔細がいまいちはっきりせぬ。おそらく製造方法の流出を防ぐために厳重に生産地や身元を隠しているのだろうが。できれば直接話し合って補償などを検討したい」

「かしこまりました、黒葉丸に関しては私どもの方でも動いてみます。賛否はございますが、全体的に見て万霊丹の販売自体は非常に成功していると我々は考えております。新しいことをはじめると必ず多少の摩擦は生じるものですから」

「品質のよいものを安価に販売すれば既得権益から文句が出るのは当然だ。事実、市井への薬種の販売は福祉策の一環とは言え、我々もそれなりの儲けを得ているしな」


 白蓮様がふふっと小さな笑みをこぼすと、外商院の二人も顔を見合わせて含み笑いをした。

 

 ──これ、完全に悪徳商人の顔ですよね?

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