第29話 教会の代り火

奈流芳一以は彼女に言われるがまま、後ろを歩いていた。

建物の中を徘徊する彼女。

奈流芳一以は、その彼女を後ろについて行った。


「(胃痛がする…俺、怪しい奴じゃない、のに)」


彼は全然生きた心地などしていなかった。

建物の中を歩く人々の視線。

その殆どが女子生徒だった。

奇異な、あるいは好意的な視線が奈流芳一以に貫いてくる。

自分がこの場に居ることなど場違いだと奈流芳一以を理解している。

だからこそ歩くたびに堅苦しく身が縮まる思いをしていた。


「(はやく…小狐の元に行かないと…)」


なんだか悪い事をしている気分だった。

唾を飲み込むだけでも重罪にあたりそうだ。

罪悪感が酷くて、まともに前を向く事ができない。

廊下を見つめながら歩いている。

先頭を歩く彼女の足元しか見ていなかった。


「あぁ、そういえばぁ、コンたんのお兄さぁん」


金髪の彼女に話しかけられる。


「…え?!あ、お、俺か、えっと…何、ですか?」


ある種の地獄を感じていて早く解放されたいと思っていた奈流芳一以。

彼女の言葉に一瞬遅れて反応する。


「少しだけぇ、聞きたい事があるんだけどぅ」


彼女の歩みが止まった。

足元を見ていた奈流芳一以はそれに気がついて自分も足を止める。

彼は怯えた瞳を浮かべながら彼女の方に視線を向ける。


「コンたんって、お兄さんの前だと、どんな娘なのぉ?」


話の内容が千子小狐に関する事だと気がついては頷いた。


「そう…だな、…大人しい子、だった気がする、昔っから、俺と、…アイツの後ろを付いて来てたな…それが当たり前の様に感じてたけど、…あぁ、今とはもう違う…なぁ」


千子小狐がどういった存在であるのか。

奈流芳一以は子供の頃を思い浮かべながら言った。


「(あぁ…あの頃は、本当に…良かったよ)」


あの頃の思い出は美しいものだった。

千子小狐がいて、千子正宗がいて、奈流芳一以がいる。

三人で遊んだ思い出は色褪せる事はなかった。

何故ならばもう二度と戻らない日々だったからだ。


「(もしも、あの頃に戻れたら…なんて話は、無理だな…俺も、小狐も、大人になってしまった…なによりも)」


誰よりもその記憶を大事にしている奈流芳一以。

戻りたいのであればあの頃に戻りたいと思っている。

だけどそう願いは叶う事はない。


「(昔だからこそ…俺の記憶に残ってる)」


時間とは一方通行だ。

現在から過去へ戻る事は決してできない。

楽しかった日々は更新されていくものだろう。

だけどあの時間はもう二度と元には戻らない。


「(何よりも、過去の再現なんて出来やしない…正宗は、もう居ないんだ)」


思い出の中に存在する人間が一人欠けてしまった。

だからあの頃を再現する事はもはや不可能。

二度と手に入らないからこそ思い出は美しいのだ。

思い出に取り残された人間は思い出を守ろうと必死に記憶する。

奈流芳一以は、せめて記憶を守る為に、必死になって覚えている。


「…昔より、少しだけ綺麗になった、…元から、綺麗だったからな」


現在の千子小狐の姿しか知らない彼女にとっては千子小狐の事はとても新鮮に聞こえたのかもしれない。

彼の話を聞いた彼女は、率直な感想を口にした。


「ふぅん…なんだか、お兄さんって言うより…恋人って感じなのね、コンたんのお兄さんって」


「…いや、俺はそういうのは…居ない」


恋仲。

それを連想するだけで罪悪感が湧いて来る。

彼が真っ当な恋愛関係を結ぶにしても、順序を無視して女性と肉体関係を結んでしまった、だから彼が望む様な健全な付き合いと言うものは、二度と出来ないと、奈流芳一以は思っている。


「でも、なんとなく分かったわぁ…大切にしてるのねぇ」


彼女の言葉に、奈流芳一以は頷いた。

再び歩き出す二人。

建物を抜けて渡り廊下を歩く。


「(外、か…)」


新鮮な空気が花の奥を突き抜けて肺の中へと入っていく。

軽く息を漏らした。

少しだけ緊張が解けたような気がした。

抜けた先は巨大な扉が一つあった。

巨人のために用意されたのかと思うほどに大きな扉。

扉自体は重たいのだろうか少女の力だけで開ける事ができる。

そういったカラクリになってくるのだろう。

細い腕を伸ばして彼女は扉に手を添えた。

特に力を入れる様子はなく簡単に扉を開いた。

建物の中は薄暗い。

真っ白な中央通路が供託へと伸びている。

中央通路の両棚隣には固定された長い椅子が十数個設置されていた。

鮮やかに七色の光を放つ。

天井付近には様々な色彩に彩られたステンドガラスが設置されていた。

その光の下には成人男性より二回りほど大きい女性を模した石像がそびえ立っている。

奈流芳一以がこの社会に入った時から様々なところで目の当たりにした石像だ。


「(始まりの巫女だ)」


初代・火汲みの巫女だ。

彼女と奈流芳一以は中央通路を歩く。

建物の中にはパイプオルガンの演奏が奏でられていた。

騒動を起こす事は厳粛とされた神聖なる空間。

そこに彼女はいた。


「あ」


千子小狐だ。

千子小狐は両手の指を折り曲げて重ね合わせていて、祈りを捧げていた。

彼女の表情を確認する。

横目から見ているがその素顔は正常のように奈流芳一以の目に映った回るこれまで様々な彼女の側面を見てきたつもりだった。

子供の頃の千子小狐。

兄を思う千子小狐。

そして今の彼女の姿。

全てが別人のように思えた。

今まで見たことない彼女の一面に奈流芳一以は思わず見とれてしまった。


「コンたぁん」


金髪の彼女が千子小狐に声をかける。

静かな不調で他の祈るものの邪魔をしない声の大きさ。

しかし滑舌よく言葉を発しているので声がよく通っていた。

自らの名前を聞いたことで彼女の意識は外界へと向けられた。

ゆっくりと目を開く彼女。

そして千子小狐はまず先に金髪の彼女の方を見た。


「あぁ…」


彼女の顔を見て千子小狐はうんざりした表情を浮かべた。


「…黄泉よもつさん、兄を垂らし込んだりしてませんよね?」


「えぇ?うーん…どうかなぁ、お兄さん、どう思うぅ?」


急に質問が彼の方へと流される。


「…そんな、俺がそんな事をするワケがない…」


ただでさえ、女性と会話するだけでも末恐ろしいと思っている。

千子小狐は祈る手を解くと、奈流芳一以の元へと近付く。

そして、彼の腕を掴んで、自らの方へと引き寄せた。


「どちらにしても…黄泉さん、兄に近付かないで下さい」


彼の身を案じる様に、千子小狐が奈流芳一以の腕を掴んだ。

彼女の体が奈流芳一以の腕に密着する。

修道服の布地の奥から彼女の柔らかな体の感触が腕から伝わって来る。


「…」


居た堪れない表情を浮かべる奈流芳一以。

無理に彼女の手を剥がせば、傷ついてしまう可能性があった。


「あーん…まあ、でも、コンたんに出会えて、良かったねぇ」


微笑みを浮かべて祝福した。

其処まで悪い人では無いと思う。

だが、危険視している千子小狐の表情。

なるべく、深入りしない方が良いかも知れない。

けれど、道案内をしてくれた事実はある。


「あの、ありが…」


感謝の言葉を伝えようとした時。


「でも、この人が、コンたんが学校中に言いふらしていたお兄さんなんだねぇ」


…千子小狐の体が硬直した。

同時に、聞き捨てならない言葉に、奈流芳一以も体を強張らせる。

今、なんと言ったか。


「…こ、小狐?お前」


奈流芳一以が彼女の顔を見る。

バツが悪そうな表情をする千子小狐。


「いえ…あの、その、お、お兄さん、これは…」


奈流芳一以から離れる千子小狐。

説明を求める彼は、彼女の顔を見た。

恥ずかしそうに顔を赤らめている。

その視線は、奈流芳一以を見つめる事が出来ずに逸らしていた。


「俺が…お前の兄って、色んな生徒に言ったのか?どうして?何のために?!」


外堀を埋められた気分だ。


「いえ…あの、入学したてに、…るかくんの事、兄と思ってて…それで、それでね…本当のお兄さんにするつもりだったから…るかくんの事を兄として扱ってて…」


本気で千子小狐が奈流芳一以を兄として扱おうと考えていた時期がある。

武御雷襲撃事件以前の話であり、妄信的に兄であると言う事を、他の生徒に話していたらしい。

自慢の兄が居ると、大切な兄が居ると、大事な兄が居ると。

初恋を語る様に千子小狐は他の生徒に語ったのだ。


だから、千子小狐には兄が居ると言う事実は他の生徒も周知している。

そしてその語り出す言葉はまるで恋人の様で、禁じられた恋のようだと思っている生徒が多数だった。


「…今は、そんな事、言ってないんだな?」


「…えっと」


人差し指と人差し指を合わせる。

もじもじとした仕草は、昔から変わっていない。

何かを隠していると、言葉数が少なくなるのが彼女の悪い癖だ。


「…いや、いい、もう兄として見てない事を、俺は信じてる、…取り合えず、場所を変えよう」


教会の中。

他の祈祷者の邪魔になる。

なので、別の場所で話をする事にした。


「…ごめんなさい」


眼を伏せて謝る彼女。

妄信的になっていた彼女だが、今になって自分の行いを恥じている。

兄として担ぎ上げようとしてた時とは違う反応なので、本当に反省していると奈流芳一以は思っている。


「いいよ…謝らなくても」


奈流芳一以と千子小狐は歩き出す。

黄泉、と呼ばれた女性は教会の中で銅像を見上げていた。


「うーん、兄妹水入らずのお話ならぁ、私はもう用済みかな?」


人差し指で自らの唇を押し込む。

首を傾げる彼女に、改めて奈流芳一以は頭を下げた。


「ありがとう、黄泉さん、何もお礼とか出来ないけど…あ、財布あるから…」


ポケットから長財布を取り出す。

中身から紙幣と取り出そうとする彼に、千子小狐は無理やり止めた。


「お礼なら、今度私がしておきます、彼女にお金は渡さないで下さい…契りを結ばれますよ」


契りと聞かれて奈流芳一以はどういう意味なのか、首を傾げる。


「一万で色んな事してあげるよぉ?」


「え…いや、そういう意味で金を出したワケじゃ…」


「るかくんにとってはそうでも彼女はそう思って無いんです、良いから、来てください!!」


取り合えず二人きりで話せる場所へ、千子小狐は奈流芳一以を引き摺って教会を後にする。

黄泉は変わらぬ様に笑みを浮かべて、手を振りながら二人を見送っていた。

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