第21話 精神世界

更に深掘りすれば、嘗ての事件、その生き残りと聞く。

その内の一つは、親友から得た炎命炉刃金だとも。


「(異質なのですよ、彼は、その手に握り締める刀によって、契りを結んでいる)」


手放す事が出来ない呪い。

一度でも離してしまえば、奈流芳一以は立ち直る事が出来ない。

だけど、烽火妃は特例を以て奈流芳一以に、千子正宗の炎命炉刃金の使用を許可した。


「(呪いとすら思える、千子正宗との約束が、どれ程暗闇に墜とそうとも、…諦める事はしなかった)」


刀を手放せば、奈流芳一以は闇に惑う。

これは確定している事だ、だけど、奈流芳一以は決して烽火妃に靡く事は無い。

ならば…恩を売り、義を抱かせ、情を以て心を熔かす。


「(何よりも…彼の斬神が、奈流芳一以から離れようとはしなかった)」


斬神には意思が宿る。

刀は持ち主を見て、そこに力を与えていた。

奈流芳一以は、斬人としては認められていなかったが。


斬神・襲玄は、決して奈流芳一以から離れようとしない。

炎命炉刃金から放たれる炎が、奈流芳一以の精神に深く根付いた。


どれ程、精神を火による伝播で入ろうとも。

斬神・襲玄が彼の精神を守護していた。

だから、彼女は奈流芳一以に深く這入る事が出来なかった。

しかし、斬神・戟羅によって。

奈流芳一以と、斬神・襲玄が強制的に引き剥がされた。

好機と感じた烽火妃は漸く彼の精神世界に触れる事が出来る。


「(あぁ…千子正宗、一以さまの親友)」


長年、奈流芳一以の心に住み着いてきた。

奈流芳一以の心を支えて来た千子正宗を。


「(私が…どれ程、あなたの事を目障りだと思った事か)」


烽火妃は嫌う。

千子正宗が居たからこそ、奈流芳一以との距離は縮まらなかったのだから。


「(けれど…今はもう、あなたの役目は終わりました…あなたが作った偽りの火ではなく…私の産む、偽りの火を以て彼を闇に誘いましょう)」


奈流芳一以の心臓に手を添える。

そして、烽火妃は自らの肉体から炎を放出した。

その炎が、奈流芳一以の中へと入っていき。

奈流芳一以の精神世界へと伝わっていく。


最初に感じたのは熱だ。



肉体、精神。

そのどちらにも生命力によって維持している。

生命力を消耗する事によって、肉体は疲弊感を憶え、身体機能の一部が低下する。

精神に関して言えば、記憶の蒙昧や、自我の崩壊などにも繋がる。


火の全てを操る火汲みの巫女。

彼女の精神は炎と同化している。

奈流芳一以の精神へ流し込む事で、彼と意識を混ぜ合わせる。

精神世界では、彼の深層心理が具現化していた。

奈流芳一以の精神世界へと烽火妃は侵入した所で、周囲を見回した。


「…これが、一以さまの精神世界ですか」


灰色の空。

空間は罅割れて、亀裂の間から砂嵐の様なモノクロが流れている。


その中心には、一振りの刀が地面に突き刺さっていて、奈流芳一以は刀を背にしながら座っていた。

虚ろな瞳で、床を見つめている。彼の視線に何があるのかと烽火妃は下を見れば、晴れやかな空が広がっていた。

地面は鏡のようで、鏡じゃない。

灰色の空は色彩豊かな空を描き、地面には、幼少期の頃だった奈流芳一以や千子正宗、そして千子小狐が楽しそうに遊んでいる姿が映っている。


「…」


それを懐かしそうに、奈流芳一以は掌で地面をなぞる。

奈流芳一以が望んだ世界は、決して奈流芳一以が手に入れる事の出来ない理想だ。


「一以さん」


奈流芳一以に話し掛ける烽火妃。

彼女の肉体は現実世界とは違い、精神世界の上に立っている。

故に、彼女の足は自由自在に動き、歩き回る事が出来た。

その足を動かしながら、奈流芳一以へと向かって行く。


「…さあ、一以さん、私の御剣、どうか、その心を私に」


指先から火が漏れる。

炎を操る彼女は、奈流芳一以の肉体に火を灯す。

熾された炎は、彼女の感情を元に生まれた恋慕の火。

この炎を灯されれば、奈流芳一以の精神は、烽火妃に好感を寄せる。


炎を奈流芳一以に授けようとした寸前。

烽火妃の前に、複数の鎖が出現する。


「ッ…これは、炎を模した…鎖…あぁ…」


憎々しいと、烽火妃は歯を食い縛る。

それは呪縛、奈流芳一以には未だ、約束と言う呪いが精神を蝕んでいる。


「千子正宗の約束が…刀を手放した後でも、残っているとは…」


斬神・襲玄が奈流芳一以の精神世界に深く根付いていたが故に、奈流芳一以の精神世界に這入る事が出来なかった。

こうして侵入出来たが、未だ奈流芳一以には、襲玄の炎。約束の呪縛が残っていたらしい。


「直前まで、此処まで来たと言うのに…」


これでは計画が進まない。

だからと言って、強制的に進める事も推奨出来ない。

であれば…烽火妃は一つの手段に移る。


「…奈流芳一以、私の御剣」


ゆっくりと、烽火妃は語り掛ける。

奈流芳一以は俯いたまま、地面の先で楽しく遊んでいる嘗ての自分たちを眺めていた。


「このままで良いのですか?…このまま、終わっても良いのですか?」


烽火妃は、奈流芳一以の呪縛を歪める方法を取った。


鎖の前で、烽火妃は話を行う。

柔和な笑みを浮かべているが、それは現実世界の奈流芳一以には向けない、悪意に満ちた表情だ。


「どれ程望もうとも…奈流芳一以、あなたは、そちら側へは行けませんよ?」


奈流芳一以に語り掛ける。

奈流芳一以は俯いたまま何も答えない。


「…」


だがそれで会話を辞める烽火妃では無い。

奈流芳一以の心を揺り動かす為に…奈流芳一以にとっての禁句を口にする。


「あなたは、千子正宗を見殺しにしたのですから」


身体が揺れる。

恐怖に怯えている。

奈流芳一以にはこの言葉が人以上に効く。


「…違う、」


この空間内では自分しか存在し得ない。

その認識が、先程の彼女の言葉によって歪む。

奈流芳一以は、この精神世界で、他者と言う存在を認識した。


「違う、俺は…」


指先が震えている。

唇も震えていて、身体が極寒の地に居るかの様に小刻みに震撼していた。

奈流芳一以の否定に対して、烽火妃は変わらぬ口調で責める。


「なにが違うのですか?何も違わない」


奈流芳一以の根底。

表に出す事の無い、奈流芳一以の裏側を、さも当然の様に真正面から告げる。


「あなたが刀を握り締めるのは…貴方が、祅霊と戦うのは」


危険な地域へ赴き、祅霊と戦う。

人によっては忌避するべき討伐任務も奈流芳一以は二つ返事で了承する。

自分の命を、投げ出している、それも当然の事だ。


「全ては、貴方が責任を感じ、その重荷を脱ぎたいが為に、戦っていたのでしょう?」


責任。

幾ら考えても、筋の通った思考を浮かべても。

その奥底、奈流芳一以の心の内では、この責任を棄てたいと思っていた。

肉体的に精神的に、重く圧し掛かる罪業が、奈流芳一以を狂わせる。

だから、この責務から逃れる方法があるとすれば。

それは、奈流芳一以と言う己自身を押し殺して、他の人間を演じる事だった。

他人に成り済ませば少しでも苦しみが紛れると思った。

体の良い言い訳を用意しても、その本質がそれでしかない。


「千子正宗の後を追う事で、少しでも自分が許されたいと思っていた」


約束を守り続けたのは、奈流芳一以は、千子正宗の意思を体現しようとしたからだ、しかし、その代わりに、時間が過ぎる度に、奈流芳一以としての生き方が不明瞭となる。


「生きている実感も、死への感触も、何もかも感じないのは…」


奈流芳一以として生きていないから。

そうする事でしか、千子正宗に成れないから。


「奈流芳一以としての人格を薄れさせようとしているからでしょう?」


だから。

自分自身に生死の頓着が無い。


「そう、あなたは…千子正宗になろうとしていた」


そうすれば。


「自分の罪を消せると思ったのでしょう?」


それが、奈流芳一以の本心だ。

それを突かれた奈流芳一以は、声を荒げる。


「お、れは…俺は、…俺はッ!!」


感情が溢れ出して、そして一気に萎む。

彼女の言う事が、間違いでは無かった事を認めた。

そして、思い出に浸りながら郷愁を抱き、奈流芳一以はか細い息と共に呟く。


「ただ…元に戻りたかった、だけだ…」



幼少期の頃を思い出す。

奈流芳一以の精神が一番安らいだ期間。

両親が死んで、孤児院送りにされた後。

恐怖を覚えた奈流芳一以が、人生に置いて一番楽しかった時間。

それが、千子正宗と斬術を学び続けた日々だった。


「俺は、何も出来ない、何も成せない」


奈流芳一以は、自分と言う存在は千子正宗に劣っていると自覚している。

それが現実的に見れば、奈流芳一以の技術が千子正宗に勝っている部分はある。

だが、奈流芳一以は卑下をする、自分は何よりも下であると妄執している。


「だって、奈流芳一以は…弱い」


憧れを超える事が出来ない。

何時までも、奈流芳一以の上には千子正宗が居る。

それは、幼少期の時からそう思っていた。


「臆病者で小心者で、敗北すればすぐに自分を卑下して」


あの時もそうだった。

奈流芳一以が鍛神師になる為に火群槌へと入学した際。

宝蔵院珠瑜と模擬戦を行い、一度の敗北で敗けを得た。

その時点で、自分は何も成せないと思い込んでしまった。

鍛神師になる事など、絶対に出来ないと。


「諦めが早くて、打ち込んだ斬術の経験を、一瞬でゴミだと思うような、最低な人間だ」


全ての経験を無駄にして奈流芳一以は生きている事が苦痛だった。

大好きな友と、同じ領域に立つ事が、何よりも嫌だった。

それなのに、あの事件によって千子正宗は死に、奈流芳一以は生き残った。

こんな何も出来ない無能が、千子正宗より価値がある筈が無い。

だから、常日頃から思う。


「こんな俺じゃなくて…正宗が生きていたら…どんな悲劇も救えた筈なのに」


それなのに、何故。

自分が千子正宗の代わりとなったのか。


「なんで、俺なんだ、なんで、俺ばっかり」


生きるだけでも幸福だと思われるだろう。

だが、生きる事は死ぬ事よりも辛く、一身に受ける不幸の波は、死んだ方が幾らかマシだと思えてしまう。


「どうして、どうして。どうして…どうして…俺、が…」


悩み、苦しみ、奈流芳一以は闇を覗き込む。

その闇とは、烽火妃が求める真の闇では無い。

黄昏の如く、甘い夢に現実逃避する様な、絶望と希望を反芻する様な生温い状態の事では一切無い。


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