第175話 あなたの庭に花束を

 その頃、『我が友よ戦士たちよウォリアーズジョイナス』の艦橋内では。


「閣下! 『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』が!」


 コズロフもモニターで最期の瞬間を見届けていた。

 艦首の大きな教会の鐘が、爆風で投げ出されながら、音もなく揺れるのを聞いていた。


「ドルレアン」


 常に軍人として芯が通っている彼の、めずらしく圧を感じない声。


「まさか卿が、オレを庇って死ぬことになろうとは」


 歴戦の男も、思うところはあるらしい。

 ぼんやり、ではないが、頭が回っているかは微妙な佇まいでモニターを眺める。


 その姿を横目に見る副官エールリヒには、その心境が分かる。

 一見彼は無骨で冷血な武人だが、いや、だからこそ。


 深く悲しんでいるのだ。

 若き才能が散ってしまったことを。

 悔やんでいるのだ。

 未来へ渡すべきものを、落としてしまったことを。



 ……閣下はたびたび、ドゥ・オルレアン閣下を『オレ好み』とおっしゃっていたが。


 本当に愛しておられたのだ。

 女性としてや、軽口ではなく、


 その才覚を。



 その後、しばらく静かに悔恨と追悼を示したコズロフは、


「今はもう、何も是非もあるまい」

「……御意」



「退却する!」



 この場は自らの敗北と定め、潔く撤退した。



 このことについて後世の歴史家たちは、


『全体の趨勢では決着していないのに、彼にはめずらしい判断』

『普段の彼ならば、リヴェンジ精神でむしろ深追いをする場面である』

『まったくもって不可解』


 と、概ねこのような論調で書き立てている。


 この時エールリヒが察したことが伝わっていれば、謎にはならなかっただろう。

 しかし当の彼はというと、手記に



『チープな物言いになるが』

『“聖女の祈りが届いた”という他ない』



 と書き残すにとどめている。



 また、こののちコズロフは、提督の任こそ解かれなかったものの。

 ユースティティア艦隊との折り合いが悪くなり、別方面へ転任となった。






 一方皇国艦隊はというと。

 シルビアは完全に機能停止。


「敵艦隊、撤退していきます!」

「これだけの乱戦から罠ってことはないだろう! 追撃! 艦隊、追撃せよ!!」


 カークランドが副官としての責務を果たすこととなり、彼は立派に任に堪えた。

 同盟軍を散々に打ち破り、余勢を駆ってのディアナ侵攻を決める。



 その後17日。

 二度目の攻防も、追撃戦で兵力差を稼げたこともあって勝利。

 18日にディアナ基地へ入ると。

 もともと失陥から日が浅く、敵の支配が浸透していないこともあり、



 21日。

 惑星ディアナは完全に奪還された。



 そのかんのシルビアはどうしていたのか。

 悲劇の当日はともかく、ずっと意識があれば泣いていたのか。

 記録によると、


『翌日には、戦闘や必要があれば艦橋には出てきた』

『カークランド准将の補助もあって、最低限の指揮はとっていた』

『が、それ以外の時は艦長室や司令官の私室に籠って出てこず』

『食事は喉を通らない、風呂も女性士官が引っ張っていって丸洗い』

『日常生活、いや、「人間という存在」に支障をきたしていた』

『数日ですっかり痩せ細り、顔色悪く、生きながら地獄の住人のような』


 クルーたちの動揺と心配ぶりが見てとれる。

 カークランド自身も


『本人に知られたら怒られるが、あの時ばかりは本気で』

『流れてきた讃美歌がセイレーンの歌声で、閣下は引っ張られたのかと』


 とある日の取材で答えている。






 シルビアがまともに動いたのは、23日とされる。

 軍の公式記録に残るような行為ではないが、多くの人物が記憶している。


「花を買い占めるわよ」


 朝、カークランドが彼女を迎えにいくと、私室のドアがすぐに開いて開口一番。

 何日ぶりか、清いまでに身支度を整えたシルビアは、そう宣言したらしい。


 あまりにも突飛な発言ではあるが。

 彼女が同盟にいた頃の話を聞いたことがある副官は、


「そうしましょう、それがいい」


 すぐに意図を理解し、肯定した。






 そして25日、午前8時22分。

 戦艦『悲しみなき世界ノンスピール』はディアナ攻防戦が行われた宙域にいた。


「ハッチオープン!」

『了解! ハッチオープン!』


 すっかり艦載機も失ってスカスカの格納庫から

 艦の残骸、たくさんの命が召された形跡残る宇宙空間へ



 たくさんの花束が捧げられる。



 星々に変わって暗い悲しみを彩るように。



 そう。彼女が同盟へ亡命した日、ジャンカルラから聞いた話。

 一人の心優しき少女が、散っていった戦士たちに手向けをした物語。



 きっと、人にしたなら、自分がされてもうれしいはずよね?



 脱帽し、胸に当てる内側。マフラーと、マフラーの切れ端を捧げ持ち。

 艦橋から、流れる光景を見つめるシルビア。

 その脳裏にはジャンカルラから聞いた話も。

 自身がたしかに共に過ごした時間もよぎっている。


 海で、街で、宇宙で。

 遊びで、安らぎで、戦いで。


 彼女が見せた、聞かせた物語が。


「ねぇ、アンヌ=マリー」


 彼女の行為をなぞることで、目の前にあるように思い出される。


「あなた、『最後は御胸に抱かれる』って。『主の元に召されたら、喉に口付けしてくれる』って。そう言ってたじゃない」


 その記憶と感情、温もりが溢れるように。

 シルビアの瞳から、光が落ちる。



「ちゃんと、神さまは褒めてくれた? あなたは今、向こうで好きなだけ歌えてる?」



 瞬間、雫に引かれるように、彼女の膝もくずおれる。


「うっ、うっううっ、あぁっ……!」


 今度は誰も、シルビアを助け起こさなかった。

 思う存分、泣かせてやることにしたのだ。


 そうして彼女が愛する人を思っているうちに。


 花束は漂い、『主の庭は満ちたりヘヴンフィル』の鐘のところまで。



 やがて鐘は、花畑のなかで横たわるような姿になった。











 ちょうどその頃。

 ここは皇国首都星カピトリヌス。

 柔らかい朝日に包まれる『黄金牡羊座宮殿』。

 その佇まいは、クーデターを乗り越えた皇国の行く末を謳うかのよう。


 その一室にて。


「陛下、ガルナチョにございます」

「うん、入れ」


 ここは皇帝の自室。ノーマンただ一人がいる、プライベート空間。

 そんな何人なんぴとも侵さざるべき聖域に、老爺はしずしず足を踏み入れる。


「しかし、何故こちらに? 政治の話であれば、ふさわしき政務室や広間があろう」

「まぁ、なんというのでしょう。まだ『お耳に入れたい』という程度のことでして。そう公式な場でない方が、と」


 先帝がたおれ、当然のように訪れる人事の再編。

 それによって、彼は宰相ではなくなっていたが。

 それでもショーン捕縛の功もあって、彼側の人間ながら大臣の席に並んでいた。


「とは言うのですが、国家の行く末を左右する大事なお話でもありまして。人払いもしておきたく」

迂遠うえんだ。余は忙しく、いつまでも自室に籠っていられない。早く本題に入りたまえ」

「ははっ」


 ガルナチョは曲がった腰を、さらに深々と曲げ、

 頭を上げることなく、静かに切り出した。



「シルビア・マチルダ・バーナード閣下の脅威について」



 また皇国に、シルビアに。

 嵐が吹き荒れようとしている。






       ──『聖女と令嬢とコスモスの花びら』完──

        ──『第二次皇位継承戦争編』へ続く──

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