一緒に召喚されるはずの聖女がいませんが、平凡な私は帰るために騎士になります ~異世界の騎士は恋をする~
永野水貴
第1話
『子供ができた』
高校時代からの友人が言ったその言葉が、いまだ静かな衝撃となって耳の奥に残っていた。
(でも、おかしなことじゃない)
夏もすぎ、夜八時近くまでしぶとく残っていた明るさや暑さはもうない。ようやく暑さが一時なりをひそめ、舞子はどこへともなく歩き出した。
いつものように、高校時代の友人たちとファミレスで会って他愛のないお喋りをした帰り道――解散し、みなそれぞれの帰路についた。
夫や子供のいる家に戻る友人たちを横目に、舞子が向かうのは、一人暮らし先のアパートだった。今日は日曜、今の時刻は午後六時。
(……帰って寝たら、また月曜かぁ。しんどいなあ)
せめてどこかで寄り道しようかと考えても、この時間に一人でふらついたところで疲れるだけだった。
高校時代から慣れ親しんでいる、駅近くの商店街。かつて通った書店やファストフード店はいつの間にか姿を消し、別の建物が入っている。
よく見知っているようで、まったく同じではない何かだった。
胸に、しんとした寂しさのような、不安のようなものがわきあがってくる。
(……あっという間だ)
ここ数年、特にその感覚が強くなっている。大人になれば、年をとれば時間は加速するという。
その加速が予想以上で、気づけば自分だけが世界から急速に取り残されているような気分だった。
化粧をするたび目にする鏡の中の自分は、学生の頃からあまり変わっていないように思えるから余計にそう思うのかもしれなかった。
何の変哲もない、肩につくくらいの長さの黒髪。これといってクセもなく、垢抜けた色に染めているわけでもない。たぬき顔、と何度か親しみまじりに笑われた、やや大きくて丸い目に高くも低くもない鼻。ごく平均的な色と形の唇。
同じように高校から変わらないと思っていた友人たちはみな大人になり、結婚し、妻となり母となっている。
それが成長するということ、大人になるということなのだ。
――なのに、自分にはそれがない。
ドラマや雑誌が騒ぎ立てるような――アラサーの危機などというのにも実感がなかった。
(三〇歳、かあ……)
かすかに溜息をついた。
女性は、二九歳と三〇歳で大きな壁があるという。たった一つしか変わらないのに、二十代と三十代という属性分けがそこでなされてしまうのだ。その属性分けはそのまま、結婚相手としての価値評価に繋がる。
舞子にはそれがひどく息苦しく、忙しないものに感じられた。――まだ十代のような夢見がちなところが残っているのかもしれない。
(……このまま独り身かもしれないなぁ)
寂しいとは思っても、焦燥感や悲観はそこまで強くない。田舎で一人暮らしできるくらいの収入はあり、これといって打ち込むものも金のかかるものもない。
ただ――。
(……何か……)
何か、打ち込めるものがほしいと思う。熱中できるもの。結婚や出産ではない、別の――何か、自分の心を強く揺り動かされ、打ち込めるものがほしい。
仕事とか、そういったものとはまた違った何かだ。
(恋愛したら変わる……のかなあ)
二十代のとき、大恋愛のすえに失恋して大泣きしていた友人の姿を思い出す。あのとき彼女は、全身全霊で人を愛していたのだと思う。その友人も、いまは良き夫と出会って人妻となっている。
淡泊、あるいはのんきすぎる舞子を見て友は親身に心配してくれる。
普通に恋愛したら変わるよ、という。
(別に……この年になってまで白馬の王子様を期待したりなんてことじゃないんだけどなあ)
首を傾げてみる。自分がどれほど高望みをしていけないかは自分が一番よくわかっている。相手に望むのは、普通の大人であることだ。ごく普通の、これといって難もなく輝くような長所もない……。
物思いに耽りながら歩いていた舞子の耳を、ふいに高い声がつんざいた。若い笑い声だった。
目を向けると、高校生と思しき男女が仲睦まじく歩いている。
女子高生のほうは楽しげに笑っていた。短めのスカートからすらりと伸びたは、若さの特権たる素足だが、引き締まっているせいか健康的で不埒な感じはない。少し挑発的に開けられた襟とやや傾いたリボンが若々しい。
その隣を、同じように笑いながら男子高生が歩いている。背が高く、長袖をまくり、襟を少し開けた姿が妙にさまになっていた。モデルを思わせる好青年だった。
二人はかなり距離を詰めて歩きながら笑い合っている。友人というにしては近すぎ、恋人というにはぎこちない。友情以上恋人未満。互いにまんざらでもないが、お互いに一歩を踏み出せずにいる――というような。この時間に歩いているということは、部活などを終えた帰りかもしれない。
舞子には眩しすぎる光景だった。二人のシャツの白が鮮やかに見える。
(甘酸っぱい……)
あんな学生時代を送ってみたかった――などと羨望と人生の悲哀を覚えてみたところで、ふいに女子高生のほうが顔を上げた。
まともに目が合い、舞子は思わず肝を冷やした。
(うわ……!)
目が合った彼女は、弾けんばかりの若さと端整な顔立ちで輝いているようだった。
野次馬のようについまじまじと見てしまったこともあって、舞子は怯んだ。
女子高生の大きな目が見開かれた。そして舞子を指さした。
舞子はどきりとした。少し狼狽え、いや自分ではないと思わず背後を振り向く。
今度は自分が目を瞠る番だった。
――光。
夜に、うっすらと発光して浮かぶ少女の姿があった。
車道の中に立ち尽くしている。
白い光に包まれた少女は、西洋人形のように整った横顔を見せていた。顔だけではない、その華奢な体を包む、おとぎ話のようなドレス。
日本の、夜の田舎町にはあまりに馴染まない。――現実にさえ思えない。
これほど目立つ少女がいるというのに、周りの誰も目を止めない。まるで誰も気づいていないかのように。
舞子はにわかに混乱した。
(――うそ!?)
幽霊という言葉が思い浮かび、一瞬肌が粟立った。
白い少女は周囲を見回すような仕草をしたあと、やがて舞子に目を向けた。
目と目があった。少女の目もまた、大きく見開かれる。
そして、舞子に向かって手を伸ばす。
「え――」
舞子は怯み、硬直する。
そのとき、少女の後ろから車が走ってくるのが見えた。濃い色の車体で、白い少女の姿がことさら鮮烈に浮かび上がる。少女の泣きそうな目。伸ばされた補足儚げな手。
「――危ない!!」
気づけば舞子は飛び出していた。
少女に手が届こうとしたとき、誰かの悲鳴が聞こえた。
衝撃――そして、舞子の意識は突然途切れた。
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