第4話

 

 味は濃い目で量は多い。その割には値段も高くはない。


 客層は十代後半から三十手前の男性ばかりという典型的なアレ系のラーメン屋だ。


「確かに旨かった覚えはあるが」


 ラーメン屋だ。カウンター席しかないような。


 恋人と行くような場所だろうか。反語である。


 麺も啜らずに会話をしていたら他の客にも店員にも睨まれそうな雰囲気の店だぞ。


 恋人と行くような場所ではない。ストレートに断言も出来る。


「友達と行けば良いだろ。実際、四人でも行ったわけだし」


「四ヶ月も前に一回だけな」


 わざとらしい不満顔を理央が見せる。


「……そんなこと言ったってしょうがないじゃないか。ラーメン屋だけに」


 先程の理央をならって佳樹も上村の真似をしてみた。


「ははは」と理央は笑ってくれた。


「あの頃はまだ部活に入ってたのが俺だけだったからな。他の三人が時間を合わせてくれて食べに行けたけど。上村も高橋もすぐに部活に入って。牛尾も何か。アレだ」


「何かって何だよ。バイト始めただけだし」


 ああ。そうだった。牛尾はバイトだ。思い出した。


 佳樹の雑なイメージでは上村も高橋も理央も佳樹も放課後はそれぞれ、好き勝手に動いていた。その詳細は気にしていなかった。


   


 クラスの中では仲良し四人組であった佳樹達だが、それはそれとして各々の部活やバイト先にはその四人組とはまた別の「仲良し」が居る事だろう。また居るべきだ。


 授業間の短い休み時間や昼休みなどは四人で集まる事が当然のようになっていたが放課後はどちらかと言えば部活やバイト仲間達との時間だった。


 意識して区切っているわけではないが物理的距離の関係で自然とそうなっている。


 佳樹にとってそれは当たり前みたいな事だったが、


「笹野はさあ。アレから何回くらい、あのラーメン屋に行った?」


 理央にとっては違うのか。


「んー? 何回だろ。毎週って事はないけど。まあ、ちょこちょことは」


「一人で?」


「いや。柔道部の連中と」


「ほらぁー!」


 佳樹が「柔道部」と口にするや否や、だった。


 理央は何故だか佳樹の事を咎めるみたいに大きな声を上げた。


「……びっくりした」と佳樹は呟く。


「何が『ほら』だ。急に」


「俺もラーメン屋に行きてえ。行きてえ。行きてえ。行きてえ」


 駄々っ子みたいにわめき出した理央だったが冗談半分の行動だと分かる。


 だが冗談と混ぜている残りの半分が本音だという事も分かる。


「牛尾もバイト先の仲間とでも行けば良いじゃねえか」


「俺のバイト先、この駅じゃねえし。わざわざ連れてなんか来れねえよ」


 ……良かった。「俺、バイト先に友達なんて一人も居ないし」なんて寂しい言葉が返って来なくて。佳樹はこっそりとほっとしてしまった。


   


「だったら一人で行けば」


「無理。俺みたいなのが一人で行くような店じゃねえ」


 即答だった。


「ああ? そうかあ?」


 と返した佳樹ではあったが理央の言い分も、まあ、分からなくはなかった。


「つまり」と佳樹は大きく息を吐き出した。


「牛尾は、あのラーメン屋に一緒に行きたかったから、俺に告白をしたのか?」


「んー……」と少しだけ考えた後、


「……そうなるのかも」


 理央は頷いた。


「はあ……」と佳樹は息を吐く。


 告白の原動力が「恋」じゃなくて、まさかの「食い意地」とか。


 何だったんだ……。


「何で俺に告ったんだ。ラーメンが目的なら上村でも高橋でも良かったじゃねえか」


「そりゃあ、四人でもまた行きたいけど。なかなかタイミングも合わねえしさ。でも二人なら行けそうかなって思って。んで。二人で行くならって考えたらやっぱり『笹野だな』って思ったんだよな」


「だから何でだよ」と佳樹はツッコむ。すると、


「笹野の事が好きだから」


 と理央がまたボケた。ボケたとしか佳樹には思えなかった。


「……聞くんじゃなかったぜ」


 大袈裟に頭を抱えてみせた佳樹を「ははは」と理央が笑った。


「好き」か「嫌い」かの二択ならば佳樹も理央の事は「好き」だ。でもそれは決して恋心ではない。断じて。


 理央の言う「好き」もつまりはそういう事だろう。


 何せ「ラーメンが食いたい」だ。


   


 この御時世、決して口には出せないが。佳樹は強く思った。


 それは恋じゃねえだろ――と。


 だから嫌なんだよ――と。


 同性愛が当然の世の中では友情と恋愛がないまぜになる。


 ……面倒臭えな。


「牛尾もラーメン屋に行きたいだけなら別に俺と付き合わなくても良いだろ。恋人になんかならなくてもラーメン屋くらい幾らでも付き合うし。友達で良いだろ。別に」


「……ラーメン屋に行くってだけならな」と理央は急に意味深な事を言い出した。


「な……んだよ。やっぱり何か他にもあるのか。恋人になってやりたい事が」


 佳樹は身構える。結局、キスか? それともセックスか? 理央の口はどう開く。


「き」か? 「せ」か? 佳樹は理央の唇をじっと見詰めた。


「き――」――キスか!? と佳樹が思ったのも束の間、


「昨日も思ってたんだよな」


 理央は「キス」も「セックス」も出てこない話をし始めた。


「笹野とラーメン屋に行きてえなあって」


「……言えよ」と佳樹は呟いた。


「言われりゃ行くだろ。普通に」


 痒くもない頭を佳樹はぼりぼりと掻いてみせた。


   


「でも。別に。ただのラーメン屋じゃん。遊園地みたいなイベントでもないし、映画みたいな期間限定でもないし。どうしても昨日、行かなきゃいけない理由もなくて」


「遠慮でもしたか」と佳樹は疑問符を付けずに返した。


「遠慮っていうか……本当にただの友達がさ、ただラーメン屋に行こうぜってだけで相手の部活が終わるまで校門で待ってるとか、なんか、ちょっとヤバい感じかなって思えちゃって。なんか……ストーカー的な?」


「……考え過ぎなんじゃねえか」


「いや。ストーカーは悪く言い過ぎだとしても。クラスメイトにでも見られたら『牛尾って笹野の事が好きなんじゃねえの』くらいはゼッタイに言われるだろ」


「そーかあ?」と佳樹は苦笑する。……20年前、30年前なら言われてねえだろうな。


「そうだって。ゼッタイ」


「絶対かよ」


「そう。ゼッタイ。だからさ。だったらいっそ告白しちゃおうかと思って」


 ……ダッタライッソ告白シチャオウカト思ッテ?


「ちょっと何言ってるか分からない」


「なんで何言ってるか分からないんだよ」と理央は大きくツッコんでくれたが、


「いや。マジで」


 別に佳樹はボケたわけではなかった。


   


「ええと。要約すると。牛尾が俺を好きっていうのは嘘だって事だよな?」


「嘘」というか、ただの「勢い」って感じか。


「ウソ? なんで嘘? 嘘じゃねえし。俺は笹野が本当に好きだし」


「はいはい」


 だからそれは友情の「好き」だろう。恋じゃねえ。


「俺としたらさ、笹野と付き合えたらそれは最高なんだけど。フラれたとしても友達付き合いが続くならそれだけでも嬉しいから」


 いや。愛の告白に対して「お友達でいましょう」って断り文句はベタでも、それで本当に今迄通りのお友達に戻れる可能性は低いと思うぞ。


「ちゃんと告白もしないうちから校門で待ち伏せとかしてたらさ、ただの友達相手にストーカー的なコトする距離感のヤベえ奴としてドン引かれてたんじゃねえかなって思うし。でも笹野の事が好きだって認知されてれば、こういう『一緒に帰ろうぜ』が言い易くなるから」


 凄く考えているようにみえて、牛尾理央は根本からずっと間違え続けているような気がする。


「だから。別に告白の返事は要らないっちゃあ要らないんだよな。変に避けられたりとか気を遣わせちゃったりとかしてなければ。関係性は友達同士のままで良いから。返事も保留のままで良い。俺が笹野の事を好きって事だけ、伝わっていれば」


   


 牛尾理央は笹野佳樹の恋人になりたいというよりはもっと仲の良い友達になりたいといった気持ちなのかもしれない。


 言葉にするのは恥ずかしいが「親友」になりたいのだと解釈すれば良いのか。


 とりあえず「笹野の事を好き」だという事は佳樹にも伝わった。


 ……こそばゆい。


 これはもう、理央が言ってくれている通りに「保留で良いんだろうな。あの告白の返事は」と佳樹は思った。


 決まり切っている「答え」をただ先延ばしにする事に対して佳樹が罪悪感を覚える必要も無さそうだった。


 むしろ「OK」なんかして本当に理央と恋人同士になってしまう方が佳樹は元より理央にとっても「不幸な結末」だろう。


 自覚は無くとも理央の本音は「友情の好き」だ。


 佳樹にはそうとしか感じられない。


 佳樹にしたって同性である理央には恋愛感情を抱けない。


 互いに友情しか感じていない二人が恋人同士になったとして、そこからどうすれば「幸せ」になれるというのか。


 理央からの告白は「保留」させてもらい、昨日までと同じ――ほんの少しだけ昨日よりも近しいかもしれない「友達」同士としての付き合いを続ける事がきっと、この二人の最善であろう。


 佳樹は息を吐いた。


「とりあえず。あのラーメン屋にでも行くか」


「え? マジで? 今から?」


「行きたかったんだろ。それとも今日は無理か? 気分じゃねえとか金がねえとか」


「いやいやいやいや。いえーい。行こうぜ。ラーメン、食おうぜっ!」


 理央の顔を見て、佳樹も笑う。ようやく笑えた。肩の荷が下りた。


   


 これにて。一件落着だな。



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