第8話 あれは事故だった

 死体の入ったスーツケースが、なぜ諸江先輩に渡ったかを説明しておこう。あれは事故だ。

 今思い返しても、なぜあんなことが起きたのか分からない。


 さっきも説明したが、僕は人殺しではない。死体は先生から受け取り、僕は小指を切断してからその死体を処分する。先生と僕はスーツケースを使って死体を受け渡していた。


 今から3日前の7月22日の深夜、僕は先生と待ち合わせをして、死体の入ったスーツケースを受取った。待ち合わせ場所は繁華街だった。人通りがない場所で受け渡しするのは、お互いに危険だと感じていたのだろう。僕は先生が殺人犯であることを知っているし、先生は僕が死体を処分していることを知っている。犯行を隠蔽したければ、どちらかがもう一方を消せばいい。だから、人通りがある場所を死体の受け渡し場所に選んでいた。


 待ち合わせ場所でスーツケースと死体女性の身分証明書を受取った僕は、自宅に帰ろうと道を歩いていた。その時、急な腹痛が僕を襲った。食中毒だ。多分、夜に食べたポテトサラダだろう。

 僕はたまらずにトイレを借りにコンビニに入った。コンビニのトイレには、大型スーツケースを持ち込めるだけのスペースがなかった。

 他のコンビニのトイレを借りるという選択肢もあったが、ことは急を要する。緊急事態だ。だから、僕はスーツケースを外に置いてトイレに入った。

 そして、用を足してトイレから出てきたらスーツケースが無くなっていた。

 僕は愕然とした。


 緊急事態だった。とはいえ、完全に油断していた。治安のよい日本でスーツケースの盗難はないと思い込んでいたのだ。僕はコンビニを出てスーツケースを探した。


 繁華街を足早に歩いていくと、僕がよく知っている二人組がいた。田畑部長と諸江先輩だ。なぜか僕のスーツケースを持っている。どうして、僕のスーツケースを? なんのために?


 コンビニに不審なスーツケースが置いてある場合、警察は爆弾テロを疑う。警察官は巡回中に怪しいものが置いていないかをチェックする。

 きっと、田畑部長と諸江先輩は怪しいスーツケースを発見したから、近くの交番に届けようとしているのだ。


 僕は二人に気付かれないように近づいた。話し声が聞こえる。


「部長! 部長は今から海外旅行に・・・行くでありますか?」

「そのとーーり! 俺はこれから旅立つ。後のことは任せたぞー!」

「任されましたー! どこに行かれるでありますかー?」

「おフランス・・・ざます」

「ざます・・・。っぷ、つまんねーーー」


 田畑部長のビンタが諸江先輩の顔に入った。


「無礼者!」

「失礼ぶっこきましたー! 部長はおフランスで何をするでありますか?」

「オリンピック! 全部見てくるよー」

「今からでありますか?」

「1年後、なんちゃってー」


 僕は愕然とした。このやり取りを見れば分かる通り、この二人は完全に酔っ払い。怪しいスーツケースを交番に届けようとしているのではない。これ(海外旅行のコント)をやりたかったからスーツケースを持ってきた。人の物を盗んだという意識はない。


――コントの小道具・・・


 そういえば、田畑部長は酔っぱらってケロちゃんを薬局の前から何度も拾ってきたのを聞いたことがある。そうすると、スーツケースは自宅に持って帰るか、どこかで捨てるか・・・


「ちょっとトイレ。諸江、これ持っといて!」


 田畑部長はそういうとスーツケースを諸江先輩に渡した。


――スーツケースを奪うチャンスだ!


 僕が諸江先輩にタックルしたら、諸江先輩はよろけてスーツケースから手を離した。僕はスーツケースを持って立ち去ろうとした。


「もろえーーー、あぶなーーーい!」


 田畑部長の大声が聞こえた。僕が振り返ると、諸江先輩は車と接触して地面に倒れていた。

 諸江先輩は僕のタックルでバランスを崩し、道路に飛び出したようだ。交通事故の加害者は僕。繫華街だから、僕が諸江先輩を押したことを見た目撃者が大勢いる。


 僕はスーツケースを引きずって逃げようとしたが、重くて走れそうにない。しかたなく、僕はスーツケースを諦めて全力で走って逃げた。


 その後、スーツケースは諸江先輩と一緒に病院に運ばれ、田畑部長によって諸江先輩の部屋に運ばれた。この顛末は、次の日、田畑部長から聞いた。

 諸江先輩は事故の後遺症からか、事故のことはほとんど覚えていなかった。諸江先輩は僕が道路に突き飛ばしたこともしらないし、田畑部長も泥酔状態だったから犯人の顔を覚えていないらしい。


 スーツケースが回収できないのは残念だが、僕は諸江先輩が無事で良かったと思っている。諸江先輩はアホだけどいい人だから。


 あれは事故だった。コントのような事故だったと思う・・・

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