第14話

 飛び去って行く絨毯機を見送ってから、僕は地上に目を戻した。目的地の神殿はすぐそこだ。事前の資料によれば、神殿の入口は四辺の外壁に造られている石段を登った先にあるとのことだった。

「とにかく入口を目指そう」

 いって、僕はチームとともに亡者の群れを抜け出して、入り口へと続く石段を駆けあがる。既にほかのチームも異なるルートから神殿に到着しており、互いに援護しあいながら僕らは神殿の頂上で合流した。神殿の入口は巨大な石板で塞がれていた。魔導式に使われている魔法文字によく似た模様が掘り込まれていることから、十中八九、魔法によって封じられているだろう。もちろん、こういう時のために封印解呪専門の特殊術技兵を連れてきている。

 すぐに解呪に取り掛かった隊員から、少し時間がかかるといわれ、僕は背後を振り返った。ここまで僕らが辿ってきた道は亡者によって埋め尽くされている。それどころか、町中の亡者が僕ら目指して押し寄せているのが高台に上がったおかげで良く見えた。いまや、この四角錐の巨大な建造物は亡者の海に浮かぶ孤島と化している。

 あの津波に飲み込まれるのだけは勘弁だなと思いながら、僕はチームに全周防御の隊形を取らせた。有難いことに、亡者たちは傾斜のついた坂道を這いあがるのに手間取っている。それでも後から後から押し寄せてくる後続に押し上げられる形で、徐々に包囲の輪は狭まりつつあった。

「どうする、ウィル?」

 アダムスが石段を這いあがってくる亡者に杖の狙いをつけながら、僕に視線を送った。

「こいつはちょいと面倒だぜ」

 確かに、と僕は頷いた。亡者の足止めだけなら幾らでもできる自信がある。それに使い魔たちの支援も未だ、効果的に機能している。けれど、それは魔力がもてばの話だ。それなりに準備してきたとはいえ、この後にも戦いが待っていると考えれば残るマガジンの数は心許ない。それに使い魔たちの内蔵魔力だって無尽蔵というわけではないのだ。先頭の亡者はもう、石段を半分も登ってきている。余り悩んでいる時間はなかった。仕方ない、と僕は空を仰いだ。

「バアル。こちらハウンド6。ちょっと助けて欲しい」

「はぁい、ハウンド6。もしかしたら、お声がかからないのかと思って心配してたところよ」

 交信具で呼びかけると、すぐに応答があった。女性の声だった。“嵐のバアル”などという物々しいコールサインから、てっきり男だとばかり思っていたが。しかし女性のパイロットは別に珍しいものじゃない。

 そもそも、空を飛ぶ魔法は昔から女性魔法使いの独壇場だった。空を飛ぶ魔法は他の魔法と異なり、繊細な魔力の操作が必要とされるらしいのだが、一般的に女性魔法使いは男性魔法使いよりもそうした魔力操作に長けているからだという。

 また、空を飛ぶための術式は未だに不完全で、完璧に飛行を制御しきれない。そのため、航空機パイロットになれるのは今でも魔法使いだけという理由もあって、民間でも軍でも航空機パイロットには女性が多い。それどころか、空軍の花形である戦闘機乗りなどはほとんどが女性だ。


「僕らの周りに群がっている連中を出来るだけ長く足止めして欲しい。殲滅までする必要はないけれど。できるか?」

「お安い御用だわ。でも、かなりの至近になるわよ?」

「そこは君の腕を信頼するよ」

 そう返した僕に、交信具からバアルの好意的な笑いが響いた。

「おいおい。お前さんにはもう相手がいるだろ」

 やりとりを聞いていたアダムスが横から口を挟む。何のことかと訊き返そうと思ったところで、頭上から青白い閃光が地上へと降り注ぐ。

 バアルからの援護は素早く、かつ決定的だった。

 僕らのいる神殿を取り囲むように、上空から六つの魔法円が立て続けに投射された。質量すら伴うほど高密度の光によって地上へ穿たれた破壊の刻印から、一斉に雷が迸る。それぞれの印から放たれる電流は亡者を引き裂き、焼き焦がしながら互いに引き寄せられるようにして絡み合い、神殿を取り囲む雷の城壁が出来上がった。

 大気を焦がすような熱を頬に感じながら、僕は構えていた杖を下ろした。雷の城壁内に取り残された亡者の数はわずかだった。外からはなおも亡者の群れが押し寄せてくるが、彼らではあの雷の壁を突破できない。雷電の壁に自ら飛び込んでは弾き飛ばされるだけだ。それでもなお、亡者たちは行進を止めなかった。生きるために最も大切なものを失ってしまった彼らはもはや、何を失おうと気にならないのだろう。高電圧に焼かれて手が、足が、頭が弾け飛んでなお。腐り、焼き焦げた肉体を引きずって、ただただ僕らに近づこうと無謀な前進を続けている。

 雷に打たれてぶすぶすと燻っている亡者の一体が叫ぶように大きく口をあけながら、ほとんど炭化した片腕をこちらに伸ばしているのが見えた。まるで救いを求めているようだと思った。なるほど。肉体とは魂の牢獄に他ならない。死してなお、その肉体に魂を縛り付けられるというのはいったい、どれほどの苦痛なのだろうか。


「支援に感謝する」

 雷に焼かれ続ける亡者たちを見下ろしながら、僕はバアルにそう呼びかけた。ほぼ同時に、入り口の封印が解けたと背後から声がかかる。僕は亡者たちがあげる苦痛の呻きの合唱に背を向けて、神殿の入口へ目をやった。入り口を塞いでいた石版が観音開きに開いている。継ぎ目のようなものは見当たらなかった気がするが、まあ、気にしても仕方がない。魔法とはそういうものだ。

「本部、これより神殿内に突入する。しばらく、交信が途切れるかもしれない」

 神殿の中は真っ暗だった。全てを飲み込むような深淵を前に、僕は本部にそう報告を入れた。すぐに了承を示す応答が帰ってくる。

 さあ。ここからが本番だ。


 神殿内に入った僕は、入り口を再び封印させた。何か間違いがあって、後ろから亡者に襲われるのを防ぐためだ。結界術の特殊技能を持つ術技兵が何事かを唱えると、観音開きに開いていた石板がもう一度ぴたりと閉まる。

 入り口を閉じてしまうと、真っ暗になった。僕は光術バイザーを起動させて、神殿の奥へ目を向ける。薄い光の膜を通して見えたのは、古ぼけた石の通路だった。軍の情報部がどこかの古代魔法史研究室から見つけ出してきたこの神殿の調査記録によれば、内部は下に向かって三階層に分かれていた。僕らが今いる最上層と、その下の中階層は迷路のように道が入り組んでいる。軍事施設でもないのにどうしてかと思ったが、何やら魔法的に意味のある形をしているのだそうだ。

 僕は近くにいた二人の術技兵に魔法探査をしつつ、先導するよう命じた。

「曲がり角には注意しろ」

 その二人に今さらのような言葉をかけて、僕らは慎重に神殿の奥へと踏み出す。外とは打って変わって、神殿の中は静まり返っていた。自分たちの足音と呼吸音、装備が擦れる音以外、まったくの無音だ。静寂を乱さないように気をつけつつ、僕らは可能な限りの速度で進んだ。結局、最上層では敵に遭遇することはなく、僕らはなだらかな傾斜のついた通路を下ってゆき、中階層へと降りた。


 中階層に入ると、そこはちょっとした広間のような空間になっていた。そこからは僕らが下ってきた通路から見て正面と左右に一つずつ、別々の方向に向かって伸びている通路があった。それぞれの通路へ入るところの床には、何かしら意味があるらしい文字が刻まれている。

「大尉、これを」

 先導していた術技兵の一人が僕に振り返って、足元を指さした。見ると、石の床の上に真っ白な灰がうっすらと積もっている。煙や煤の出ない特殊な魔法火を燃やした跡だという。

「まだかなり新しいです。つい先ほどまで燃やされていたような――」

 と、彼がそこまで報告したところで。突然、部屋の隅から真っ赤な閃光が飛んできて、彼を貫いた。

「伏せろ!!」

 僕は警告を叫びながら、自分も床に飛び込むようにして身体を低くする。背後の隊員たちが一斉に、僕に倣う。その目の前で、閃光に貫かれた隊員の身体が赤黒い炎に包まれて燃え上がった。隊員が悲鳴を上げながら、石の床を転げまわる。火を消そうとしているのだろう。だが、呪いの魔法火はそんなことじゃ消えやしない。そうこうしているうちに、隊員の身体を包んでいる赤黒い炎がまるで生き物のようにうねりだした。そして、まるで蛇のようにくねりながら、隊員の口や鼻の奥へと入り込んでゆく。隊員は溺れるような音を喉から出して、全身を大きく痙攣させた。酷く悍ましい光景だった。しかし、たとえ仲間が目の前で炎上しようとも冷静さを失ってはならない。


治癒術兵ヒーラー!」

 僕は治癒術兵を呼びつつ、伏せたままの態勢で杖を構えた。呪いが飛んできた位置を確認するが、何も見えない。視線の先、部屋の隅には暗闇があるだけだ。しかし、それこそが敵がそこにいるという証明に他ならない。ただの暗闇であれば光術バイザーの視覚支援で見通せないはずがないからだ。僕は適当に杖の狙いをつけると、数発撃ち込んだ。当たったかどうかはともかくとして、牽制にはなる。

「術技兵は防壁展開! それ以外は援護を!」

 指示を出しつつ、僕は続けざまに結晶弾を放った。そうしながら、暗闇を睨み続ける。すると次第に闇が晴れて、男の姿が現れた。予想が当たった。男は幻で自分の姿を隠していたのだろう。ならば、光術バイザーに搭載されている幻術破りによって見破れる。

 現れたのは浅黒い肌の、でっぷりと肥えた男だった。厚ぼったい下唇を突きだすようにして、呪いの言葉を紡いでいる。僕と男の視線がはっきりと交差した。次の瞬間、男の指先から先ほどと同じ真っ赤な閃光が迸り、僕めがけて飛んでくる。しかし、男の呪いは僕を包み込むように現れた淡い虹色の、光のカーテンのようなものに阻まれて届かなかった。戦闘支援担当の術技兵が張ってくれた魔法防壁だ。

 敵の姿を確認した僕は、今度はきちんと狙いを定めて結晶弾を撃ち込んだ。きん、という硬質な音とともに結晶化した魔力の弾丸が男に向かって撃ちだされる。が、男が片手で虫を払うような動作をすると、結晶弾はまるで融けるように消えてしまった。

 それでも構わず、僕は断続的に呪撃を続ける。他の隊員たちも僕に続いた。結晶弾、火球、氷刃、雷閃。様々な種類の呪弾が男に襲い掛かる。だが、不可視の結界に阻まれて男には届かない。けれど、これでいい。

 以前にもいったように、魔法使いを殺すために最も適した方法は不意を打つことだ。気付かれることなく忍び寄り、一撃で命を奪う。魔法を使う暇を与えない。

 けれど、それが叶わなかった時はどうするか。

 その時は決して一人で戦ってはならない。可能な限り、一対多数の状況を作り出す。そして、敵の対処能力を超える飽和攻撃によって仕留める。それが僕と先生が作り出した、魔法使いを殺すマニュアルの基本手順だった。

 僕らは互いをカバーしつつ、男を包囲するように動いた。幾千、幾万と訓練で繰り返してきた動きだけあって、それこそ息をするように僕らは男を追い詰めていった。

 散発的だが決して途切れることのない攻撃に敵は苛立ちつつも、少し戸惑っているようだった。恐らく、僕らのような戦い方をする兵士を相手にしたことがないのだろう。もしあったとしても、僕らほどの練度では無かったはずだ。そして、苛立ちや戸惑いはやがて、焦りと隙に変わる。完璧なタイミングで撃ちだされた、複数方向からの同時呪撃。男はそれに対応し綺麗頭、遂に一発の呪弾がその脇腹を抉った。男が苦痛に身体を折り曲げる。

 そのチャンスを見逃さずに、僕は男に突進した。駆け寄りながら杖を下ろして、代わりに肩に括りつけてあるナイフを抜く。支援術技兵の一人が身体能力を強化する魔法をかけてくれたらしい。強化された脚力によって一瞬のうちに男へ肉薄した僕は、その喉をナイフの刃でさっと薙いだ。返す刃で、両手と両足の腱を断ち、床に崩れ落ちた男の心臓にナイフを突き立てる。その瞳から生命の光が消えうせるその瞬間まで、男は信じられないという顔で僕を見つめていた。


 男が死んだことを確認して、僕は死体から身を起こす。そこへ一息つく暇もなく、広間にある通路の一つから新手が現れた。飛び出してきたのは二人の男。どちらも酷く慌てている様子だった。広間に入った彼らは、僕らに気付くと驚いたように目を剥き、それから滅茶苦茶に呪いを放ってきた。しかし、敵はよほど慌てているのか。単に練度が低いのか。彼らが放つ呪いにはろくに魔力が籠っていなかった。何人か直撃を食らった隊員もいたが、戦闘法衣コンバット・ローブの魔法防護で防ぐことができている。

 新手を手早く片付けた後で、僕たちは中階層をくまなく捜索した。通路の先はそれぞれ小部屋になっており、中には粗末な布を重ねたベッドのようなものがある部屋もあった。どうやら、敵はここを居住区として使っていたらしい。最下層へと降りるための通路も発見した。その途中、さらに二度の襲撃を受けたがいずれも負傷者を出すことなく切り抜けることができた。

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