第10話 訓練中の鬼ごっこ ―前編―
毎日、毎日、訓練の日々。
訓練は一向に終わりの気配を見せない。
後から、基礎体力を上げるための訓練だと知らされたが、一朝一夕で僕の基礎体力が上がるとも思えない。
なのに、今ではマラソンまで追加されてしまった。
皆も僕と一緒に走っているのだが、いつも周回遅れにされる。
そして、今もすでに周回遅れだ。
先頭を走っていたレイラさんとコニーさんが、僕を追い抜いていく。
追い抜きざまに、コニーさんが余裕の投げキッスをしてくる。
悔しい……。
ヘトヘトになりながらも、これ以上、二人から引き離されないように必死に食らいつく。
いつの間にか、僕の脇にはフレッドさんが並走していた。
「ソラ、ただ走っていたらダメだ。いいか、あの二人の尻に飛び込むつもりで走ってみろ。そうすれば、あごが上がらないから、今よりもましになるはずだ。それに、あの尻を追っかける事に集中すれば、身近な目標が出来て気が紛れるから、苦しいと思っていても走れるはずだ」
彼は、前を走るレイラさんとコニーさんのお尻を指差し、アドバイスくれた。
だが、信じてもいいのだろうか?
以前、彼にはひどい目にあわされたが、今回はお尻を追いかけるだけだから大丈夫だろう。
僕は、二人のお尻だけを見て走り続けた。
おかげで彼女たちから引き離されないで、何とかついていけている。
フレッドさんのアドバイスは、正しかったようだ。
これならいける。
僕は二人のお尻だけに意識を集中し続けた。
ピッピー。
ドムさんがホイッスルを拭いた。
マラソンを終了していい合図だ。
皆が速度を落として、走るのをやめる。
僕も走るのをやめるが、フレッドさんのアドバイスのおかげで、今日はいつもと違い、速度が乗っていたため、いつものように止まれず、そのままレイラさんに飛び込んでしまった。
ドン。ドサッ。
やってしまった……。
僕は、レイラさんを巻き込んで転倒した。
目の前は真っ暗で、両頬に柔らかい弾力があり、ちょっと湿った温もりが伝わる。
そして、いい匂いがした。
両頬にあたるものを手で掴み、顔を上げると、両手にも柔らかくも弾力のある感触が伝わってくる。
僕の前には、うつ伏せで横たわり、身体をフルフルと振るわせているレイラさんがいた。
気付けば、彼女のお尻を僕はしっかりと掴んでいた。
本当に、彼女のお尻に飛び込んでしまったようだ。
「アッハッハッハッハ。ソ、ソラ君、胸まっしぐらの次は、尻まっしぐらって、面白すぎるよ。フハハハハハ」
「ソ、ソラ? 俺はそこまでしろとは言ってないかならな! 巻き込むなよ」
コニーさんは、笑いながら、また余計な一言を加え、フレッドさんは僕に念を押すと、困った表情を浮かべて、遠ざかっていく。
ドムさんたち他の面々は、またかといった表情で困惑し、僕を見つめる。
僕はレイラさんから飛び退き、正座をすると、彼女の雷が落ちるのを覚悟して待つ。
「ソーラー! お前はいつもいつも、どうしてそうなんだ! まともな行動はできないのか? それほどバカなのか? それとも私への嫌がらせか!?」
彼女は起き上がるや否や、雷を落としてきた。
「違います。単なる事故です。ごめんなさい!」
僕は、そのまま土下座をして謝る。
グニュ。
彼女は頭を下げた状態の僕の後頭部を踏みつけた。
何だか、いつも彼女に踏みつけられている気がするのは、気のせいだろうか……。
しばらくの間、僕はこの状態で、彼女のお説教を受け続けた。
レイラさんのお説教が終わり、解放された僕にドムさんが近付いてきた。
「ソラ君、そろそろアレもやってみようか」
彼が指差す先には、障害物があった。
「は、はい……」
絶対無理と思いつつも返事をする。
「では、さっそく始めてみよう」
ドムさんに連れられ、二メートルちょっとはある木製の壁の前に立つ。
僕がその壁を見上げていると、レイラさんが壁を蹴り上がるようにして乗り越えてしまった。
「ソラ、こうするんだ。分かったか」
「う、うん」
僕も彼女を真似て、壁を駆け上がる。
ズリッ、ベタン、ドサッ。
足を滑らせ壁に激突、その反動で尻もちをつく。
「ソラ、明日からはこの壁をマラソンコースにいれるからな」
「えー!」
僕は、レイラさんに睨まれた。
「わ、分かりました」
そして、納得……させられた。
◇◇◇◇◇
翌日から、マラソンコースに障害物の壁が加わった。
皆は忍者のように、いとも簡単に乗り越えていく。
僕は、ズリッ、ベタン、ドサッと壁に跳ね返される。
なので、一度失敗すると、壁の横をすり抜け走り出す。
「ソラー! 一度失敗したくらいで諦めるな! まじめにやれ!」
レイラさんに見られていたらしく、彼女から喝が入る。
まじめにやっても無理なものは無理だ。
やっと、筋トレと走り込みになれ出したところだというのに、パルクールまで加えられた僕の身にもなって欲しい。
再び、壁が現れる。
すぐに諦めると、レイラさんにどやされるし、どうしたものか?
僕は壁をよく観察して、何か登れる方法はないかと考える。
……。
ん? 壁を支える柱に注目する。
壁の平面を上ろうとするから滑り落ちるんだ。僕は壁の端にある柱に手足を掛け登ると、すんなり登れた。
そして、壁を乗り越えて飛び降りる。
「で、出来たー!」
「ソラ、やればできるじゃないか。見直したぞ!」
レイラさんに褒められ、嬉しくて泣きそうだ。
皆からもパチパチパチと拍手をされ、褒められると、さすがに、ちょっと照れ臭くなってくる。
また、同じ壁が現れた。
僕はさっきの要領で壁を越える。
そして、地面に着地すると、再び走りは始めた。
「ぐえっ!」
いきなり服が引っ張られ、のどが絞まると、そのまま尻もちをついてしまう。
顔を上げると、僕のえり首をレイラさんが掴んでいた。
「ソラ、今のはなんだ?」
「今の?」
彼女が何を言っているのかが分からず、首を傾げる。
彼女は掴んでいた僕のえり首を放し、腰に手をやると、空いている手で眉間を押さえていた。
彼女の後ろでは、コニーさんが腹を抱えて笑っている。
そして、他の皆は困った表情で僕を見つめていた。
「ソラ。今、どうやって壁を乗り越えた?」
「えーと、登りやすいところを見つけて、そこを足場にしたんだけど?」
「それじゃあ訓練の意味がないだろ!」
ゴツン。
頭頂部に彼女のげんこつが炸裂した。
「ぐぉー。くー」
僕は痛みで、頭を押さえて転げまわる。
ひどい、そして、痛い。
「お前を見直した私のあの気持ちを返してくれ!」
彼女はうなだれてしまう。
そもそも壁を乗り越える事しか言われてないのだから、どんな方法を使ってもいいじゃないか! この仕打ちはひどすぎる! 僕がいつまでも大人しく従っていると思ったら大間違いだ!
僕は彼女に
「次からは、壁の真ん中を登るんだ。いいな!」
彼女はそう言って僕に呆れると、背中を向けて歩きだす。
今がチャンス!
「すきあり!」
ブスッ。
「ひゃん!」
「「「「「!!!」」」」」
僕のカンチョーが彼女にさく裂する。
僕の反抗は皆をも驚かせ、その衝撃的な光景に彼らの思考を停止させた。
本当は、背後から胸をわし掴みにするか、お尻をわし掴みにしようと思ったのだが、それではすぐに捕まってしまう。
それに、そんなところを掴んだら、僕自身が余韻に浸ってしまう。
そこでカンチョーだ。
これなら、彼女も動きが止まり、僕が逃げる時間を稼げる。
そして、とても屈辱的だ。
僕は、レイラさんと皆が驚いて動けない間に、ダッシュで逃げ去る。
こんな開けたところでは、すぐに捕まってしまうので、森の中へと飛び込んで隠れると、息をひそめて様子をうかがう。
「ソ、ソ、ソ、ソーラァー!」
レイラさんが、空に向かって大声で僕の名前を叫ぶ。
ヤバい、かなり激怒している。
これは捕まったら、絶対に殺される……。
僕は自分の浅はかさを後悔した。
「アッハッハッハッハ。ソラ君、面白すぎ。本当にレイラとソラ君のコンビは、見てて飽きないわー。それに、私たちの思考を一瞬で止めるなんて芸当、ソラ君以外、誰にもできないわよ。アハハハハ」
「あいつ、大丈夫か? レイラはかなりお冠だぞ。ソラが捕まったら、俺たちが助けてやらないと、殺されちまうぞ」
コニーさんとフレッドさんの会話はこちらまで聞こえてきた。
こ、殺されるって……。冗談だよね? ヤバい、ヤバい、ヤバい。レイラさん、そこまで本気で怒っちゃったの? そりゃ、怒るよね……。
今、出て行って謝っても殺されるし、捕まっても殺される。詰んでるじゃん、どうしよう……。
自問自答する僕の頬に汗が垂れる。
レイラさんが動き出した。
こっちを見回すように眺めている。
そして、こちらへとゆっくり歩いてきた。
バレた? この場を移動した方がいいのだろうか? 悩ましい。
彼女は目を凝らすようにして、こちらを見つめながら足を止める。
「そこかー!」
バレた! こっちに向かって走ってくる!
僕は森の奥へと走り出す。
草木が邪魔で走りづらい。
それに、後ろを気にしていないといけないのがつらい。
僕は走りながら、こまめに後ろを振り向くと、レイラさんはこちらに真っ直ぐ進んで来ていた。
何でわかるの?
とにかく、今は前だけ向いて必死に逃げよう。
もう、限界。何処かで少し休みたい。
後ろを振り返ると、レイラさんは、やはり一直線にこちらへ向かってきている。
ん? あれ?
僕の逃げてきた方向を見ると、草木が折れ通った跡がバレバレだった。
僕は、近くの木に寄りかかって隠れると、その木を見上げる。
枝がはっていて枝伝いに移動できそうだ。
すぐに木を登り、一番太そうな枝を選んで先端へと進む。
枝が微かな音を立ててしなりだすと恐怖が襲ってくる。
それでも、なんとか隣の木へ移ると、さらに先の木を目指す。
枝伝いに隣の木へ移っては、手ごろな枝を探して、登ったり下りたりを繰り返す。
こんな事をするなら、素直に訓練をしていればよかった……。
枝ぶりのいい大きな木を見つけ、その木へ移ると、レイラさんが何処にいるかを探す。
だが、見つけられない。
木の枝を足場に周りを一周してみたが、どの方角にもいない。
もう少し上に登って、高いところから見つけるか?
「ソーラー、見つけたぞ!」
ビクッ。
声の方向を見ると、真下にいた。
恐怖で体中の毛が逆立つ。
僕は、急いで隣の木へと飛び移り、逃げる。
「ちょこまかとこんなところまで逃げまくって、いい加減に捕まれ!」
「やだよ!」
数本の木を移り進むと、移れる木がなくなった。
仕方なく一番低い枝に移動して、そこから地面へと飛び降りる。
そして、草木をかきわけて逃げた。
後ろを振り返ると、彼女はすぐ後ろを追ってきている。
「ヒィー!」
僕は悲鳴を上げ、逃げる速度を加速させる。
そして、垣根のようにふさぐ草木にぶち当たってしまった。
逃げ場がない!
周りを確かめて逃げられそうな道を探す。
ない! ない! ない! ……あった!
草木の生い茂る根元に小動物の獣道のようなトンネルを見つけた。
僕は、這いつくばってその穴へと逃げ込んだ。
頭を上げると枝が頭に刺さって痛い。
出来るだけ地面に顔を近付け、両手両足を使って進む。
こんな事なら、先に
トンネルを進んでいるうちに、方向感覚が狂ってくる。
しかし、このまま道なりに進んで、このトンネルを抜けるしかない。
トンネルの先に開けた場所が見えた。
やっと、抜け出せる。
僕はトンネルの出口で周囲を確かめた。
よし、誰もいない。
さっさと抜け出し、しゃがんだまま、次に進む方向を探す。
軽く傾斜になっていて、下の方向には小さな川が見える。
のども乾いたから、そっちに向かいたいが、丸見えだ。
正面には森があるけど、そこまで行くのには、開けた場所を通らないといけない。
消去法で垣根伝いに上へ登っていく方向を目指す。
おっと、その前にトンネルの出口をふさがないと。
僕は周辺の草木を足でへし折ってふさぎ、近くに転がっていた石をトンネルの中へ投げ込み、進みにくくしておく。
これで、レイラさんが通った時に時間が稼げるだろう。
垣根から頭を出さないように注意しながら、四つん這いで傾斜を登っていく。
森の端に近付くと、ダッシュで森に飛び込んだ。
そして、身近な木に身を隠し、後方を確認する。
レイラさんが近付いている気配はない。
僕は草木を折ったりして跡を残さないように注意しながら、森の奥へと進む。
絶対に、逃げ切ってみせる!
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