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 そのとき頭の中に浮かんだのは、さっき家で見た鍋の中のシチューだった。でもすぐにそこから映像がスライドしていって、「お母さんは色んなもの作ってくれたな」って思い出す。

「お母さんは料理が得意で、それがきっかけでお父さんと付き合うことになったんだよ」って得意そうに教えてくれただけあって、確かに上手ではあったと思う。きれいでふわふわの卵焼きとか、レストランで出てくるみたいなオムライスとか、バスケットいっぱいのサンドイッチとか――

 今まで食べたそういうもの全部、体の中から出してしまいたかった。

 わたしの想像なんか当たっていなければいい。全然的外れなカン違いなら、それが一番いい。「厄への耐性は早い時期から、時間をかけてやらないとダメだ」なんて、わたしにはまるで関係のない話であってほしい。

 あとちょっとで吐きそうだった。わたしはつかまれていない方の手で口元をおおった。すっぱいものが喉の奥からのぼってきて、目からぼろぼろ涙があふれた。

「どうしたの? 大丈夫?」

 先生がテーブルの向こう側から身を乗り出す。「気分が悪かったら吐いちゃっていいからね。それくらいで話止めたりしないから。ねぇ」

 泉さんは頭がいいね。

 先生はうれしそうにそう言った。

「これからわたしが何を話そうとしてるのか、もうわかったんでしょ。そうだね、たぶん泉さんが考えてることが正解だよ」

 先生の話を聞いているうち、全身がガタガタふるえ始めた。

「泉さんのお母さんはね、よく協力してくれたよ。こう言ったら悪いけどさ、泉さんとはちがって、お母さんはあんまり頭がよくないよね。目先のことしか考えられなくて、それで何度も失敗してきた。そうでしょ」

 と、先生は歌うように話し出す。

「わたしと初めて会ったときもそう。既婚者とつきあってバレたら、周りからどんな目で見られるか、どんなペナルティがあるか、そんなこと中学生にだって想像がつくのに、泉さんのお母さんは全然考えてなかった。お金がないのに子供作って、その上不倫の慰謝料も払わなきゃならない。なのにどこも雇ってくれないって騒いでて、ああこのひと、そういうことあらかじめ想像できないんだなって――見てたらなんか、悲しくなったんだよね。だからわたしを雇ってくれた人に頼んで、仕事を紹介してもらったんだ。って、厄をくっつけてから焼いた御札の灰を渡してね。お母さんは引き受けてくれたよ。まぁ、断れなかったんだけど」

 大人になってから急にやったって、厄への耐性はつかない。

 だったら、小さい子どもの頃から始めなきゃ――

 だからお母さんは、わたしの食事に厄を混ぜてた。何年も何年も――

「お仕事のために、お母さんとは時々連絡とってたの。泉さんが元気でいるかどうか、確認しないとならないからね」

 先生は優しい口調で続ける。

「夏に熱を出したって聞いて、ドキドキしてたんだ。あの子もダメだったかなぁ、くっつけてきた厄にやられちゃったかなぁって。でも泉さんは死ななかった。ほっとしたよ。それと同時に、ああ、定着したなって思った。案の定、それからどんどんおかしくなってきたって、お母さんが言ってたよ。だからためしに小動物買ってみてって頼んで――ああいう小さい生き物って、厄に弱いんだよね。ね、ふつうに飼ってるつもりなのにすぐ死んじゃったでしょ。だんだん生きてる期間が短くなっていったんだよね? それに泉さんのお父さんもだよ。あのひと、自殺したんだって。家に帰ったとたん様子がおかしくなって、自分で安全カミソリで喉をぐじゃぐじゃに切って死んだんだって。お母さんだってもう結構やばいでしょ。おかしくなっちゃうんだよ。生きてるものはダメになっちゃうの。あなたがそばにいるとね、泉さん」

 限界だった。片手じゃどうしようもなくなって、わたしはとうとうテーブルの上に吐いてしまった。さっき飲んだばかりのココアとマシュマロが、テーブルの上にこぼれて広がった。

 先生はようやくわたしの手を離し、テーブルの横を通ってわたしの横に座り直すと、背中をなでながら言った。

「わかる? そのうち泉さん自身が、強い厄そのものみたいになるんだよ」

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