第5話 待ち遠しい処刑命令
ジェニールはイライラとしながら自分の部屋の中を歩き回っていた。
森から連れ帰った娘をフィリスのいる北の塔に放り込んですでに半月が経つ。しかし、一向にフィリスの処刑命令が下らない。
(まさかあの男はご馳走を目の前にして、まだ正気を保っているというのか)
そういうところが昔から気に食わなかった。
一つ年上の異母兄は何をやらせても優秀で、いつも冷静沈着、感情を表に出すことがない。当たり障りのない笑顔で本心を覆い隠し、誰とも深く関わろうとしない。
それにもかかわらず、やわらかい物腰と礼儀正しさで老若男女を惹きつけ、幼い頃からすでに崇拝者を獲得していた。
そういうところは母親であるクレア妃の素質を充分に受け継いでいるらしい。男を溺れさせるだけではない辺り、クレア妃より性質が悪いと思う。
ジェニールは比較されて劣等感に腹が立つというより、フィリスのおよそ人間らしくないところが嫌いだった。
こちらがわざと気に障ることを言ったりやったりしているのだから、それに見合う感情を見せろと、逆に自分の方が苛立ちを覚えさせられる。
魔物の呪いにかかって北の塔に幽閉が決まった時もそうだった。もっと自分の人生に絶望して泣きわめくくらいのことをしてほしかった。
聖女の回復薬が尽きてからのこの十数年、たいていの人間は呪いにかかったと知ると、正気を保っているうちに自ら命を絶つ。そうでなくても半年も経たない間に発狂する。
一度発狂してしまえば、呪いにかかった者同士を同室にし、片方を喰わせ、片方を殺人罪として死刑に処すというのが暗黙の了解。
回復薬という財源を失ってから財政難となっている国の現状、先行きのない被害者に割く食料すら惜しまれる。
いずれにせよ、呪いにかかったら待つのは死だけだ。
ところが、フィリスは半年が過ぎても呪いの症状を抑え込み、『処刑』されることはなかった。
ただ同じ頃、クレア妃やアリーシア王女の面会を拒否するようになったという話は聞こえてきた。さすがのフィリスも血肉への欲求に抗えなくなっていたのだろう。
それでも普通の人間よりはずっと長く正気を保ち続けている。
『フィリス殿下ほどの方ならば、聖女召喚まで理性を失わずに済むのではないか』
ここ最近、ジェニールの立太子に反対する勢力から、そんな噂がまことしやかに流れるようになった。
(あいつは死を目前にして、また人間らしくないことをやって見せようというのか)
腹が立った。あの男をただの人間に貶めたい。ジェニールは日に日にその思いを強くしていった。
フィリスが生きている獲物を欲しているのは間違いない。
それなら別の被害者を発狂したことにしてフィリスの独房に突っ込めば、さすがのあの男も正気を保っていられないだろう。喰らいつけば、そのまま殺人罪で処刑になる。
ジェニールはすぐにでも決行したいところだったが、このところ魔物の被害がぱったりと止まってしまったせいで、北の塔の収容者はフィリス以外すでに死に絶えていた。
そんなある日、ジュードの森の近くで魔物が出没したという報告が舞い込んできた。
いつも先頭に立って討伐に行くアリーシアは、遠征中でちょうど留守。『呪いにかかった者』を作るのなら、この機を逃すわけにはいかない。
そうして、ジェニールはアリーシアの代わりに討伐隊の指揮官として名乗り出たのだ。
ところが、ジュードの森まで行って魔物を見つけたものの、ちっとも襲ってくる気配がない。それどころか逆に逃げて行ってしまう。
討伐に初めて参加したジェニールは、魔物とはこれほど臆病なものなのかと思ったくらいだ。
結局、その魔物を河原まで追い詰めたものの、そこにいた娘に逃がされてしまった。
負傷者ゼロ。フィリスの独房に入れられる兵士は得られなかった。
腹立ちまぎれに魔物を逃がした娘を連れて帰ってみたものの、よくよく考えてみれば、魔物が生息する森に棲んでいた娘だ。
見たところ呪いにかかっている様子はなかったが、発症前だとすると下手に触れたら自分の身が危うい。
数日は様子見ということで使用人に世話をさせてみたところ、特に凶暴性も見られず、おとなしくしているとのことだった。
それならちょうどいい。しばらく遊んで飽きたら、呪いで発狂したことにしてフィリスの独房に突っ込む。
なかなか反抗的な娘で楽しめそうだと思っていたところ、その娘のせいで王宮に魔物が出没。おかげで予定より早く娘をフィリスの元に放り込むことになった。
ジェニールは娘が喰われたという報告を今か今かと待っていたのだが、その日はまだ来ない。
(あの男、まさかクレア妃に寝返ったか?)
娘は市民権を持たない自由民の扱いになる。たとえ北の塔でフィリスに喰われたとしても、収容記録を改ざんすれば、いくらでも『なかったこと』にできる。
手下に『男』を使ったのは失敗だったかもしれない。クレア妃に誘惑されれば、裏切ってもおかしくなかった。
その時、部屋の扉がノックされ、待っていた男がようやく姿を現した。
「いったいどうなっている? 娘はとっくに喰われたのではないのか?」
おどおどした様子で戸口に立っている男――北の塔の衛兵を睨みながら聞いた。
「いえ、殿下のご命令通り、食事は三回とも私が運んでいますが、いつも二人分食べられています」
怯えた様子は見せているものの、男の言葉に嘘は感じられなかった。
発狂したかは、差し入れられた食事を丸一日以上拒否することで認定される。娘を北の塔に入れた時点では、フィリスはまだ食事をしていたので、当然のことながら『発狂』の扱いにはならなかった。
フィリスを発狂したことにして娘を同室にすることもできたが、クレア妃の耳に入れば『正気である』ことがすぐに発覚してしまう。
息子を何が何でも助けたいと思っている彼女ならば、きちんと調べろと人を派遣することくらいするはずだ。
そこで、すべてを事後承諾にするために、この男に食事の管理をすべて任せ、フィリスが娘を喰らった時点で、『発狂したので自由民の娘をくれてやった』ということにしたかったのだ。
「二人とも生きていると見せかけるために、どちらかが二人分食べているという可能性は?」
「それはないかと。食事を運んでいくたびに話し声が聞こえますし。ですから、フィリス殿下はまだ正気を保たれていると思われますが」
フィリスに対する感嘆が男の目を横切ったことに気づき、ジェニールは拳をテーブルに叩きつけた。男はその音にビクッとしたように身体を震わせる。
(あいつは獲物を目の前にしても発狂しないのか……!?)
忌々しいことこの上ない。
ジェニールはひと息ついて自分を落ち着かせてから、男を振り返った。
「殺せ」
「はい? こ、殺せとは……?」
男は聞き間違いであってほしいといったように繰り返した。
「あの娘を殺せ、と言ったんだ。目の前に血肉が転がっていれば、さすがのフィリスも狂って喰らいつくだろう」
最初からこうすればよかったのだ。実に簡単な方法。生きた娘ではなく死体を放り込めば、これほど何日も待つ必要はなかった。
(俺としたことが遠回りをした)
ジェニールの気が変わるのを期待でもしていたのか、男は戸口に突っ立ったままだった。
「何をボケッとしている? もたもたしていないで、さっさと準備をしておけ。今夜にでも決行だ」
「か、かしこまりました」と、男はビクついたまま部屋を飛び出していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます