第5話 勇者じゃない!?

「あ、あの!」と、彩良は慌てて声をかけた。


「ジェニール様は王子様ということでお忙しいようですけど、あれからも毎日のように魔物討伐にお出かけになったりするんですか?」


「いや。あれはたまたまだ」


「……はい?」


「いつも行っている奴が留守で、俺が代わりに行ってやっただけのこと」


(ええー!? てことは、この人、勇者じゃないの!?)


 これでは今度の討伐に連れて行ってほしいとお願いしたところで、いつになるかわからない。


 ここはいつも行く人にお願いしなければならない。おそらくそっちの人が勇者だ。


「いつもはどなたが行かれるんでしょう?」


「アリーシア第二王女だ」


「王女様って……お姫様が討伐なんかに行かれるんですか?」


「あれは王女だが、近衛騎士団の小隊長でもある。まあ、そうでなくても、討伐には王族の誰かが指揮官に立つものだ。王都近隣は王族が守っているということを民に示すためにな。あくまで権威的存在で、実戦は軍の兵士たちがやるものだが、アリーシアは別だ」


「なるほど……」


「アリーシアのことを詳しく知りたいなら、そこにいるメイドに聞け」


「ティアにですか?」


 ジェニールがひんやりとした視線をティアに向けるので、彩良も隣に立っている少女を振り返った。


 ティアはガタガタと震えて俯いていた。


「アリーシア付きになりたいと言っているメイドだ。あっちと通じて色々な情報を持っているだろうよ」


「わ、私はジェニール様の使用人ですから、ご主人様を裏切るようなことはしておりません!」


 そう言ったティアの声は、悲痛なくらい甲高かった。


(なんだかかなり微妙な空気が……)


 どうやらジェニールとアリーシア王女は仲が悪いらしい。


 この状況で『じゃあ、アリーシア様にお願いして、今度の討伐に連れて行ってもらうことにします』という話に持っていくのは、さすがにマズい。


 それに、ティアがアリーシア王女と親しいのであれば、ティアと話をした方が早い。ティアとなら、ここでなくてもいつでも話はできる。


「ジェニール様、あたしがアリーシア様のことを知らなかったように、ティアは仕事中に余計な話を一切いたしません。そんな風に疑っては――」


 彩良は「ぐぇっ」とうめいて言葉を切った。


 ティアが『余計なことは言うな』とばかりにグィッと鎖を引っ張ったのだ。首輪が首に食い込んで、一瞬息が止まった。


(フォローしてあげてるのに、その仕打ちは何!?)


「だから?」と、ジェニールが彩良をジロッと睨んでくる。


「……いえ、何でもありません」


 彩良はティアを恨めしく思いながらも口をつぐんだ。


「ほう、ずいぶんしっかりと躾けたようではないか」と、ジェニールがティアに向かって言う。


 普通なら褒め言葉のはずなのに、それはどこか意地悪く響いた。


「そ、それほどのことは……」と、ティアはおどおどと小声でつぶやく。


「つまり、お前は俺様のお楽しみを奪ったわけだ。勝手なことをした罰が必要なようだな」


 ジェニールが立ち上がって、細い棒状の鞭を片手に近づいてくる。ティアは震え過ぎて、彩良の鎖さえ手からこぼれ落としていた。


「なーに、勝手なこと言ってるわけ!?」


 彩良はカッと頭に血が上って叫んでいた。


「何か言ったか?」と、ジェニールは彩良に視線を移してニヤリと笑う。


 この男が勇者でないのならへりくだる必要はないし、ましてや更生させる意味もない。


(ただの悪役なんだから、嫌われるの上等! 言いたいことを我慢する必要なんかない!)


「だいたい、あたしを連れてきて半月も放置していたのは、あんたでしょうが! それが忘れた頃になって呼び出して、今さらティアが躾けたから罰を与えるって、そういうのは単なるイジメって言うのよ!」


 途中でティアが止めようとしていたようだったが、彩良の耳には届かなかった。


「いくら使用人だからって、か弱い女の子を痛めつけて喜ぶなんて、こーの変態暴力男――!!」


 さらに続けようとしたところ、突然頬が焼け付くように熱くなって、彩良はそこで止まった。


 ジェニールの手にしている鞭が頬に飛んだのだ。ひりつく頬に恐る恐る手をやったが、血が出ている様子はない。


 彩良は生まれてこの方、両親にも叩かれたことがなかった。


 初めての暴力に遭遇してショックを受けたと同時に、全身の血が沸騰するほど怒りで熱くなった。


「お、お、女の子の顔に何してくれんのよ!? 傷が残ったらお嫁に行けなくなっちゃうじゃないの!」


 ジェニールは彩良が一歩でも動いたら鞭が届く、そんな距離を保ち、必要以上に近寄ってこない。脅しをかけるように手にした鞭を揺らしながら嫣然とした笑みを見せた。


「ほら、ずいぶんいい目になったではないか。そういう反抗的な態度でないと、面白くないだろう? 俺をもっと楽しませろ」


(……あ、ヤバい。こいつ、真性のイカレ野郎だわ)


 ジェニールの目が心底楽しそうに笑っていることに気づいて、彩良はこれ以上歯向かうのをやめた。


 嫌われようが無視されようが今となってはどうでもいい相手ではあるが、逆らえば容赦なく鞭打たれる。


 最悪なことに、痛めつけるのが大好きなこの王子様は、鞭打つ理由さえ勝手に作り出して、自分の楽しみを増やすらしい。


 こんな奴は関わらないに越したことはない。二度と顔を合わせずに済ませたいところだ。


「うん? もう終わりか?」


 ジェニールの問いかけに彩良は黙ったままゆっくりと息を吐き、自分を落ち着けた。


「口が過ぎました。申し訳ありません」


 自分が悪くないのに謝るほど気分の悪いことはない。彩良はムカムカしながらも努めて穏やかに言った。


 そのおかげか、ジェニールはつまらなそうにチッと舌打ちして踵を返した。


(とりあえず、事なきを得たってところかしらねー)


 ほっとする間もなく、「ひぃっ」というティアの悲鳴が聞こえ、彩良は反射的に振り返った。


 ティアは目を見開いたまま窓を指差し、真っ青な顔で唇をわなわなと震わせている。この部屋に来てからずっと震えていたが、それ以上に怯え、今にも気を失って倒れそうだ。


「ティア?」


 彩良がティアの指の先を追うと、窓の外、バルコニーの手すりに鷹ほどの大きな鳥が止まっているのが見えた。


 猛禽類らしい鋭い顔をしているが、身体がエメラルドグリーンで尻尾だけが赤色、巨大化したインコにも似ている。


 その姿に彩良は見覚えがあった。


「ピッピ――」


 彩良が窓際に駆け寄ろうとしたと同時に、「魔物か!」というジェニールの吠えるような怒鳴り声が響いた。

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