55話
「ふぉふぉ、やっとるかね」
「あ、校長先生。それに早乙女先生も」
「……」
そこへやってきたのは、圭五郎と乱菊のコンビだった。
この二人よく一緒にいることが多いのだが、決してそういった邪な関係を持つ間柄ではなく、乱菊の暴走をいち早く止めるため圭五郎が監視という名目で行動を共にしているだけなのだ。
乱菊が治乃介に執着する以前においては、彼女の方が脱線する圭五郎を止めるためのストッパーの役割を果たしていたのだが、今となっては完全に彼が彼女の目付け役としてその立場を確立することになってしまった。
「せん……おはようございます治乃介君」
「……ども」
「なんとも美味そうじゃ。どれ、一ついただこうかの」
「私の分が含まれておりませんよ校長。それとも、彼の作ったたこ焼きを独り占めしたいということなのでしょうか?」
「誰もそんなことは言うておらんぞい。であれば、二つもらおうかの」
「当然、校長の奢りですよね」
「……」
乱菊の言動に何とも残念感が漂っていることに圭五郎のみならず、治乃介もまたそんな感想を抱く。もともと、おかしな人であるという印象を抱いていただけに、最近の彼女の奇行にますますの磨きがかかっていた。
乱菊の奢り宣言に致し方なく同意する形で圭五郎が二人分の代金を支払う。文芸祭を主催する学校の職員ということでタダでもよかったのだが、頑張っている生徒たちに報いたいということで、頑なにタダでは受け取ってくれなかった。
「はふはふ、これはなかなか……」
「美味しいです。さすがはせんせ……校長何をするんですか?」
「ほっほ、はて何かあったかの?」
「……」
先ほどから失言を繰り返している乱菊に注意を促すため、彼女の足を踏もうとした圭五郎であったが、寸でのところで回避されてしまう。
突然の攻撃に乱菊も訝し気な雰囲気を纏い、それをごまかすように彼女の追及をのらりくらりと圭五郎が躱す。
「今、私の足を踏もうとしましたね」
「偶然じゃ。たまたまお主の足がわしの足の上にあっただけじゃ」
「明らかに踏みつけようという意思を感じましたが?」
「このわしが、そんな子供染みたことをすると思う――」
「思います」
「……」
圭吾朗の弁解の言葉を遮るように乱菊が反論する。その瞬間、二人の間の空気が凍り付き、両者とも目を眇める。
そして、お互いに距離を取りながら臨戦態勢を取り、まるで格闘技の試合のような間合いを窺うような状態へと移行した。
いきなりのことに治乃介を含めた周囲が一体なんだと思う中、先に動いたのは乱菊だった。
「女性の足を不躾に踏もうなんて、それでもいい年をした大人ですか!」
「甘いわ! ものには限度というものがある。それを超えた者を諫めることもまた年長者としての責務じゃ!!」
「その程度でどうこうなるとお思いですか!! ふっ」
「なんの! 間合いが甘い!!」
言っていることはまともなのだが、いかんせんやっていることは実に下らない。
一体何かといえば、お互いの足を踏みつけようと相手の懐に入り、足踏み攻撃を仕掛けているのだ。さらに、片手にたこ焼きの入ったプラスティック製のパックを持ちながらである。
それは一見すると何かの競技を行っているようであり、ある意味では白熱した戦いが繰り広げられていた。
それを呆れ半分結末がどうなるかという期待半分の面持ちで見守る周囲をよそに、二人の戦いはさらに過激さを増す。
「なかなかやるのう。ただの小娘風情が」
「あなたこそ、年寄りが無理すると危ないですよ」
両者一歩も引かず戦いが長期戦に突入するかと思われたその時、それを止めた人間がいた。言わずもがな、治乃介である。
「ほげっ」
「ふがっ」
「二人とも営業の邪魔だ。やるなら体育館裏とかでやってくれ」
二人がお互いの間合いに入った瞬間を狙い、治乃介は脳天にチョップを振り下ろした。急な不意打ちに、堪らず二人はその場にしゃがみ込む。
それでも感心すべきところがあるとすれば、突然の衝撃を受けたにもかかわらず手に持っていたたこ焼きを落とさなかったところであろう。
ただの食い意地か、それとも食べ物を粗末にしてはいけないという教育の賜物かはわからないが、とりあえずせっかく作ったたこ焼きが無駄にならずに済んだことは朗報と言えなくもない。
しかし、急に不意打ちを受けた二人は堪ったものではなく、治乃介に対し抗議をしようとしたが、どう考えても非があるのは自分たちであるということに思い至り、彼への抗議を直前で踏みとどまる。
「で、ではあまり無理せず励むように。早乙女先生、行くぞい」
「は、はい。では治乃介君また会いましょう」
「……」
でき得るならば、もう二度と会いたくないと思った治乃介だったが、このまま学校生活を贈り続けている以上それは不可能に近いため、可能な限り会わない選択肢を取ろうと彼は心に誓った。
そんなこんなで、いろいろとあったがその後もたこ焼き屋は順調な売れ行きを上げていき、かなりの好評となった。
「文豪寺君、休憩行ってないでしょ。行ってきていいよ」
「なら、そうさせてもらおう」
文芸祭が始まってからぶっ続けでたこ焼きを焼いていたため、治乃介は休憩を取れていなかった。それを見たクラスメイトが彼に休憩を促す。
彼がいなくなって店の質が落ちる可能性もあったが、仲良くなった料理好きの女子生徒にたこ焼きの極意を教え込み、及第点をもらっているため、治乃介がいなくなっても大丈夫だろう。
ひとまずは、たこ焼き屋については他の生徒たちに任せることにして、治乃介は文芸祭を見て回ることにした。
「まずは、腹ごしらえからだな」
朝食は食べてきたものの、今までたこ焼きを調理するという労働に勤しんでいたため、腹はそれなりに空いている。ここは、一旦お腹を満たしてからいろいろと見て回ることにし、他のクラスが出店している屋台を見て回った。
ラインナップとしては、フランクフルトや焼きそばなどの定番のものから、変わり種としてトン汁やシシケバブなどの色物の屋台も存在していた。
もっと力を入れるところがあるだろうと突っ込みが入りそうだが、これもまた創作物の一種であると思えば、納得できてしまうため、治乃介はそれについてはあまり深くは考えないことにした。
とりあえず、腹の膨れそうなものを買って近くのベンチで食べる。
「うーん、まあまあかな。学生が作ったにしては悪くはない」
などと、上から目線の評価を下す治乃介であったが、不運にもそれを聞いていた人間が良くなかった。
「聞き捨てならねぇな今の言葉。何が悪くないだって?」
「ん?」
フランクフルトをまるでリスのように頬張りながら食べていると、後ろから声を掛けられる。振り返ると、そこには腕まくりをした鉢巻を頭に巻いた男子生徒が仁王立ちで立っていた。
「ふがふがふがふあ?」
「……一回口の中のものを飲み込んでから喋れ」
「もぐもぐ、ごっくん。俺に何か用か?」
「さっきのおまえの“学生が作ったにしては悪くない”という言葉。聞き捨てならないと言ってるんだ! そう言うからには、それなりのものがおまえに作れるって言うんだろうな?」
「……」
ここで二人の視線が交差する。
それはまるで、互いに様子を窺うような視線であり、その視線には“おまえやれんのか?”というメッセージが含まれていた。
治乃介としては、面倒なことこの上ないシチュエーションだが、こと家事という分野において彼が妥協をするなどということはあり得ないわけで……。
「当たり前だ。でなければ、ただの口だけの人間になってしまうだろう」
「ほう、ならばその実力を見せてもらおうか。ついてこい」
またしても、何かトラブルに巻き込まれてしまった治乃介であったが、今回は彼が興味のある家事……料理に関することであったため、普段は断るところであるが、彼はその男子生徒について行ってしまった。
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