第4話 エーゼルランド島の怪物④

 それからしばらくして、とうとう祭りの日がやってきた。

 山に向かうのは夕方からということで、それまでは街の中で祭りを見てみることにした。この日ばかりは普段研究に勤しむ研究者の中にも、街の中で祭りを楽しむ者がいるようだった。服装がずいぶんと違うために目立った。

 そういえば祭りなのだから、なにか神を象徴するようなものがあるのではないか。そう思って、きょろきょろとあたりを見回す。だが、やはり存在しなかった。結局、ブランチャードは少しぶらぶらとしただけで宿に戻り、夕方になるのを待った。

「あなたは幸運な方ですな」

 案内人であるネハクトルは心底嬉しそうに頷いた。

「祭りに参加できることがですか?」

「それもそうですが、なにより今年は十年に一度、山の祭壇に特別な供物を捧げる年でもあるのです。これは私たちにとって、なによりもいちばん大事なことなのです。あなた方も、この日は特別大事である祭りや祈りというのがあるでしょう?」

「ええ……。そう、ですね」

 ブランチャードは頷いた。

 一度につれていけるのは二人までということで、ブランチャードの他にはサリムが行く事になった。サリムが行くのは驚きだったが、彼は「そこに神がいないことを証明できれば間違いを正せる」と息巻いていた。

 二人は登山用の衣服や用具を貸してもらい、それに着替えた。慣れない服装に四苦八苦しながらだったが、ひとまずは確認してもらって着ることができた。

「では、聖域にご案内致します」

 こうして巡礼がはじまった。山の途中までは車に乗って移動し、そこからは徒歩になるらしい。中世の景色に車があるのはますます異様に見えたが、昔は馬に乗ったり、馬車を使ったりしていたらしい。

「聖域に向かうのに、車まで使って、そのうえこんな恰好でいいんですかね」

 サリムは鼻で笑っていた。

 とはいえ、客を安全に聖域まで運ぶにはこんな恰好でもしないと無理なのだろう。

「夜になってから登山――というのも危ないのではないですか」

「多少は危険がありますね。しかし、神様は我々を守ってくださいます」

 しかしそう言うネハクトルも他の同行者も、多少装備を身につけていた。

「それに、目的地は中腹にありますからね」

 次第に険しい道に入ったものの、数十分もしないうちに広い場所に到着した。周囲には灯りが点けられていた。そこそこ上がってきたらしく、既にあたりは森の中だ。あるのはだだっ広い広場だけ。そこに車をとめて、あとは徒歩で上まで登るということだった。他にも何台か車がとまっていて、そこにいた人々がネハクトルに会釈をしている。

「他にも人がいるんですね」

「肉や果物などの供物は昼間にうちに運んでしまいますからね。あとは夜になって神に捧げ、儀式をして終了となります。ここからは灯りがありませんから、電灯をどうぞ」

 二人は懐中電灯を受け取り、何人かがたいまつに火をつけた。登山着で電灯を持っているとはいえ、たいまつを持った人々に周囲を囲まれていると複雑な気持ちになる。十字架は背負っていないが、処刑台に連れられていくようだった。

「では、行きましょう」

 ここから一時間ほどだというが、道は登りやすかった。整備されていないという割に、ちゃんと歩く場所は確保されていた。目の前に勝手に道が作られていくようだ。そんなはずはない、と自分に言い聞かせる。きっと祭りの前にきちんと整備するのだろう。

 それでも道のりは長く、ふうふうと息を切らせ、少しだけ上を見た。前に見たように、既に暗くなってきた空から見下ろされているようでぞっとした。心臓が冷える。何かいやな予感がする。ざわざわと周囲から音がするのは、風が吹いているからだろうか。得体の知れない場所に連れて行かれるのではないかと思ってしまう。目線を逸らし、登ることに集中することにした。最初は何かとしゃべってきたサリムも、しばらく喋らなくなってきた。

 予定より少しオーバーした頃、拓けた場所に洞穴のようなものが見えてきた。

「こちらです。荷物はここに置いてください。ここからは電灯も無しでお願いします」

 洞穴はずっと奥まで続いているようだ。

「……やっぱり、しょせんは土着の信仰ですね」

 サリムは疲弊していたが、ようやくいつもの調子を取り戻してきたようだった。重い荷物を下ろして寒さから身を守るものだけになると、一行は奥へと向かった。たいまつのぱちぱちという音がする。轟々とどこからか、滝が流れているような音がした。

 先頭でたいまつをもつネハクトルは、何事か小さくぶつぶつと呟いている。

「なんて言ってるんですかね」

 サリムが微妙な顔をした。

「ふうむ。すべて翻訳できるわけではないが……、言っていることとしては、『神よ、聞き届けください。祈りとともに供物を捧げます。この祈りが響きますように』……かな」

「ふうん。言ってることは普通ですね」

 轟々。

 轟々。

 轟々。

 音が次第に大きくなってきている。どこへ向かっているのだろう。どうしてたいまつがあるのに、こんなに暗いのだろう。思えば、こんなところに来てよかったのか。寒気がする。壁が次第に遠くなる。大きな空洞の中にいるようだ。だが壁はもうとっくに広がっているのに、周囲をがっちりと囲まれている。音が妙に反響している。何も見えない。土ではない、なにか生々しいにおいがする。べちゃべちゃという奇妙な音が、そこらじゅうからしている。ここは、どこだ。

 そのとき、ネハクトルの足が止まった。

 ブランチャードは確かに聞いた。ネハクトルの声で、礼拝用語と同じ言葉を。

「でたらめだ、こんなもの!」

 サリムが我慢できなくなったように叫んだ。

「はい?」

「いったい僕たちをどうするつもりなんだ、え? こんなの間違ってる。お前たちの偽物の神なんかに、神聖な言葉を使うんじゃない、異教徒どもが!」

「サリム君――」

「こんなものでたらめだ。インチキだ。行きましょうブランチャード先生。こんな事に付き合う必要なんてなかった! こいつらの信仰なんて、しょせん寄せ集めに過ぎないんです!」

「サリム君!」

 ブランチャードはなんとか諫めようとしたが、サリムはまだ汚い言葉を投げつけ続けた。何か悪いことが起きる気がした。こんなもの間違っているのに、不安が渦巻く。正しいことのはずだ。こんな方法は寄せ集めだ。ハァハァと息を吐く。

 しかし不気味なことに、ネハクトルはどれだけ罵倒されてもまったく動じなかった。それどころか穏やかに微かな微笑みをたたえていた。たいまつを持った他の人々も同じだった。癇癪を起こした子供を見るような、慈しみの感情さえ見てとれる。

「不思議ですか」

「はっ?」

「私達はただ、心穏やかにいればいいのです。どんな間違った信仰でも、神がいずれ飲み込んでくださる。同化されるのです」

「詭弁だ!」

「その信仰が大きいほど、同化した時に大きくなるのですよ」

 ぐちゃぐちゃという音が、急に大きくなった。

 何かが、サリムを捕まえた。

 赤色の、筋肉にも似た何か細いものがサリムを抱きしめ、そのまま後ろに引き込んだ。

「サリム君……!」

 伸ばした手は、届かなかった。

 悲鳴が響き渡り、サリムの姿はあっけなく暗闇の中へと吸い込まれていった。

「うっ!?」

 その時、ブランチャードは確かに見た。

 暗闇の下で脈打つものを。どくどくと蠢いている巨大な心臓を。

 周辺を守るように、肋骨が見えている。そこから蜘蛛の巣のように壁に張り付いた筋肉のようなもので、中央に吊られている。両側にあるのは肺だろうか。サリムの姿はその巨大な心臓の中に取り込まれていった。サリムが伸ばした手にも優しく絡みついていき、姿が少しずつ見えなくなっていく。

 ざわざわと木々が動いているのは、風のせいではない。座り込んだ巨大な人型が島となっているのだ。そうでなければ、こんな内部に心臓があるわけがない。そして、人型だとしても、人であるはずがない。

「あ……あ……」

 照らされた触手が、ぞわぞわと蠢いていた。既にブランチャードの周囲を取り囲んでいた。

 突如としてパチパチと拍手が聞こえた。

「おめでとうございます、ブランチャードさん。サリムさん」

 ゆっくりと振り向くと、ネハクトルが笑顔で手を叩いていた。

「神はこの地を維持するための供物として、サリムさんを選ばれました。おめでとうございます」

 その後ろから、同行していた人々が拍手をしている。

「神はその偉業を伝える伝道師として、ブランチャードさんを選ばれました。おめでとうございます」

「……」

 ブランチャードは呆然としたまま何か言おうとした。うまくしゃべれない。

「十年に一度、神は人間の生命を必要とします。この地を維持するために、直接、神と同化する命が必要となるのです。特に、どんな神であれ、信仰が強い人を必要とされます」

「……な、にを、言って……?」

「大丈夫ですよ、ブランチャードさん。あなた自身がどんな信仰を持っていようと、どんな信念を持っていようと――この島にいる限り、神はそばにいて、あなたを愛します。あなたの悲しみに寄り添い、あなたの喜びをともに喜ぶでしょう。あなたがどれほど悩み、何が正しく、何が間違いなのか、地の底で迷い果てたとしても、神はあなたのそばで見守っているのです」

 ブランチャードは膝をついた。

「そしてこれは、神があなたに与えたもうた、ただひとつの、素晴らしい仕事です」

 ネハクトルが静かに寄り添う。

「正しくても、間違えてもいいんです。どんなあなたであっても、神はここにいて、あなたを愛します」

 轟々と音がする。これは滝なんかじゃない。血液の音だ。いま、神に包まれているのだ。それは生きている神の証拠だった。心臓から伸びてきた触手が、ゆっくりとブランチャードに絡みついた。もはや抵抗もできなかった。触手はブランチャードを引き込むことはなく、頭を撫でていた。優しく。正しさも間違いも飲み込んで、包み込んだ。

 我知らず、ブランチャードの頬を涙が伝い落ちた。なんの涙なのか、もう自分でもわからなかった。

 泣き続ける彼の前で、ネハクトルが優しく微笑んでいた。


 それから、月日が経った。

 その頃になると再び外から船がやってきて、ネハクトルが歓迎のための準備に追われていた。船から下りてきた人々が、珍しそうに、好奇心と、あるいはほんの少しの軽蔑と嫌悪を持って、様々な目的のもとにこの地に降り立つ。彼らは十人達の好奇の視線を受けながら、入国のための審査場へと入る。

 ネハクトルは彼らの前に立ち、歓迎の言葉を述べた。

 言い慣れた言葉を述べたあと、若い男が声をあげた。

「教会や寺院のようなものが無いというのは、本当ですか」

「去年まではそうでした」

 ネハクトルは微笑んだ。

「実は、牧師を引き受けてくださる方が現れましてね。外からやってきた方なのですが、改宗され、この国に帰化されたのですよ。いま、伝道のための教会を建てている最中なんです。この国ではじめての教会でして、先生のお名前は――ブランチャード・ユタン」

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