第5話 夜長兄妹

 着地した杉原と少女は改めて互いの顔をまじまじと見る。

「健くん……健くん……? これは、夢……?」

「美桜ちゃん……君はやっぱり……」

 くしゃりと泣きそうに顔を歪める杉原に少女がわたわたとする。

「あ、あの、泣かないで! わたしは大丈夫だから!」

 魔法花によって片目が潰れた状態で言われても説得力はない。それに、男女の差があるとはいえ、男性でも華奢な方の杉原が軽々と抱えられそうなほどに、少女の体は軽かった。

 少し遅れて到着した姫川が呆気にとられる。

「桜の魔法少女……」

 そう、魔法花に侵食されたその姿は桜の魔法少女に相違なかった。咲いている魔法花が桜なのだ。

 けれど、姫川は桜の魔法少女がこんな状態であることを想像してもみなかった。魔法花の侵食、というのは稀な現象で、桜の魔法少女以外はほとんどならないと聞く。だから目にしたことはなかった。想像もできなかった。いや、体から魔法花が生える、くらいは聞いて、ちょっとくらいは想像していたが。

 杉原に支えられて立つ少女の左目は小さいとはいえ完全に桜の木に呑み込まれて、元の色すら窺えない。肌には血管に潜り込むようにして木の根が張り、痛々しい。色白の肌に次第に溶け込むようにして、木が植えられているようだ。

 そんな、痛ましい姿なのに……恐ろしいほどに彼女は美しい。普通なら吐き気を覚えてもおかしくないような光景だ。けれど、何故だろう。そこには神性のような優美さが感じられ、痛ましさより、神秘的な美しさの方が際立って、涙が出そうなほどに感動してしまう。

 桜の魔法少女は幻と言われるに相応しく、神々しい、と噂では聞いていた。だが、五十年に一度現れればいい方、と言われているような存在。そんな存在に自分がたまたま偶然会うことになると誰が想像できようか。

 そこへ更に舞桜が到着する。あちゃー、と頭を抱えた。

「健には入学してからのお楽しみのつもりだったんだがなぁ」

「舞桜さん!!」

 杉原が怒りの表情で振り返る。無意識なのだろうか、少女を大切に抱きしめて。

「なんで言ってくれなかったんですか!? 美桜ちゃんが桜の魔法少女だって!!」

「ここ図書室ー。音量下げてなー」

 参ったなー、とでも言うように首元を掻きながら、舞桜が言葉を連ねる。

「……本当は、お前にこんなとこ来てほしくなかったんだよ。だから言わずに消えた。美桜が桜だって知ったら……お前、どんな無茶するかわかったもんじゃないからな」

「それは……」

 桜の魔法少女についての知識は杉原にもあった。桜の魔法少女が何故「幻」とまで言われるのかまで。

「杉原くん、その魔法少女さんと知り合いなの? それに、夜長さんも?」

 話が見えず困っていた姫川がそう口にする。すると、美桜が微笑んで、上を指差した。

「閲覧室で話しましょう」

 階段の途中でいつまでも立ち話をしているわけにもいかなかったので、杉原も一つ深呼吸をしてから頷いた。


「んー、まずは紹介しておくか」

 閲覧室の四人かけのテーブルに座った四人。口火を切ったのはこの中で最年長の舞桜だった。

 隣に座る少女を示す。

「こいつは夜長よなが美桜みおう。まあ、名前からわかる通り、俺の妹だ」

 ということは必然的に杉原と幼なじみになるのでは? と姫川が隣の様子を窺うが、杉原の表情は暗い。殺されかけたときでさえ、こんな表情はしなかったのに、と思うと、胸の辺りがきゅ、と締め付けられて、何故かわからないが姫川は目を逸らした。

 気を紛らすように質問を投げる。

「杉原くんは妹さんが桜の魔法少女なのを知らない様子でしたが……隠していたんですか?」

「んー、まあ、隠していたっちゃいたな」

 言葉を濁らせながらも、舞桜はきちんと答える。

「健だけに隠していたわけじゃない。最初は親にも隠していたんだ。俺たちが魔法使いってことはな。まあ、なんとなく親は気づいていたみたいだけど。俺も美桜も、健と同じで先天性の魔法だからな。さすがに赤ん坊のときまでは面倒見切れんよ」

 確かに。それでも二人の両親は二人が魔法使いであることを明かさなかったという。

 舞桜は声を潜めた。

「紅葉寺にはいい噂を聞かないってのは昔からだったんだ。まあ、魔法使いのための法改正やら医療改革やら何やらで一見魔法使いを助けているようには見えるがな。

 まあ、詳しいことは話せないが……隠そうにも、桜の魔法少女だ。魔法花が咲いたら目立つからな。いずれはバレることだった」

「僕に隠していた理由の説明になっていません」

「お前、美桜のことになるとすぐ熱くなるからな」

 どうどう、と向かいに座る杉原の頭をくしゃりと撫でる舞桜。馬じゃないやい、と反目しつつ、杉原の表情が緩んでいるのを見て、扱いに慣れているな、と姫川は思った。

「健くん、これはわたしがお兄ちゃんにお願いしたことでもあるの。よくない未来が訪れるかもしれないことは、幼心にわかっていたから、せめて、健くんは巻き込みたくなかったの」

 その一声だけで場の空気が澄み渡るような声で美桜が健に言う。あったなら両目を真っ直ぐ健に向けていたのだろう姿勢で。

 その姿には、魔法花の侵食が早い故に短命であるという運命さだめに狼狽えた様子はなく、見ていた姫川は人知れず敗北感を抱いていた。自分はこんなに堂々と自分が何の魔法使いであるかなんて言えない。譬魔法花が体に咲いても。

 そんな傍ら、少し怒りは鎮まったが、今度は寂しそうに杉原が問いかける。

「僕はそんなに頼りないかな?」

「そんなわけないよ! 健くんはいつも、傍にいなくても、わたしの胸の中にいて、元気をくれた。健くんと過ごした日々や、健くんと話したこと、今頃どうしてるかな、とか想像するだけで笑顔になれちゃうくらい」

 朗らかに語る美桜は、普通の一人の女の子そのものだった。桜の花言葉の通り、「純潔」そのものだ。

 それに追随して舞桜が言う。

「それに、杉の魔法使いだって稀な存在であることはお前も知ってるはずだ」

「それは、まあ……二十年分くらいカルテひっくり返して症例探したお医者さんの話は耳がタコになるくらい聞かされたよ」

 そう、杉の魔法使いも、「幻」とまでは言われないが、症例が少ない魔法なのである。

 なんとなく、舞桜の言わんとするところはわかった。

「まあ、カルテは二十年も取っておくかはともかく……さっき紹介するのだって、本当は嫌だったんだぜ? 裸子植物魔法使いは珍しいからな。なんでも、紅葉寺はお家を上げて捜索してるらしいからな。銀杏、松、杉、蘇鉄……蘇鉄はそんなに希少じゃないらしいがな。厄介事に確実に巻き込まれるだろ、お前」

「え? 信用ない?」

「おっと言い忘れた」

 舞桜は隣の美桜の肩をぽんと叩き、ほとんど囁くようにして続けた。

「『美桜を人質にされたら』な?」

「……っ!? 舞桜さん、まさか」

「それ以上は言うな。俺はこの選択を間違っていないと思ってるからな」

 血の気がさっと引く一言だった。まさか、何も言わずに消えたのではなく、この人は何も言えずに、杉原の前から姿を消したのでは?

 それは第三者である姫川が聞いていてもわかることだった。紅葉寺家……思ったより闇が深いかもしれない。

 と、考え込む二人の思考を遮るように、ぱん、と舞桜は柏手を打った。それは図書室の静謐を打ち破ったが、幸い司書のお怒りには触れずに済んだようだ。

「まあ、隠していて悪かったな。紅葉寺から、杉原ってやつが入学してくると聞いていたからな。美桜とは新学期になってから感動の再会をさせたかったのだが、まあ、さっきのはさっきので絵になるからよし」

「絵になるって……」

 杉原は舞桜の発言にやや呆れたように溜め息を吐く。が、再会を妨げるつもりはなかったことを知り、ほっとしたのか、表情が和らいでいるのが窺えた。姫川も他人事ながら安堵する。入学前から揉め事に巻き込まれたい生徒などいないだろう。

 それに、杉原も、この夜長兄妹も、これまでのやりとりから、信頼に値する人物だとわかった。彼らになら、自分の真実を伝えてもいいのでは、と思うほどに。

 姫川が意を決して、口を開こうとしたとき、柔らかく姫川の唇に人差し指が触れた。向かいに座っている美桜のものだった。

 その菖蒲色の右目に吸い込まれるような錯覚を覚えた。彼女は全てを見通している。そう感じられた。それは先程会った明葉に関してもそうだったが、明葉と決定的に違うのは、眼差し。

 明葉は見通してばらしてやろうという邪な心や畏怖を覚えさせる視線だったが、美桜は知っているけれど、知らないふりをしてくれる、そんな温もりで包んでくれるような感覚があった。

「言わなくていいよ」

 そう心に直接語りかけられているような気さえした。

 やり方は違うが、美桜と舞桜は兄妹なのだな、と姫川はしみ思った。

「さて、と。美桜はまた本を借りに来てたのか」

「うん。ここは娯楽本にも富んでいるからね。何時間いても退屈しないよ」

 話の内容が変わったので、杉原も姫川も、今まで聞いた話は水に流し、本来ここに来た目的である図書棟案内の話に切り替えることにした。

「娯楽本って? 雑誌とか?」

「ううん。ライトノベルとか、絵本とか。著名人のものじゃなくても素敵なお話がたくさんあるの」

 そこで、脇に積まれていた美桜が先程落とした本の一冊を杉原が摘まみ上げる。

 タイトルは「本当は怖い童話の話」。

 一瞬空気が凍る。

 仕方あるまい。これほどまでに明るさ、朗らかさ、純粋さで形成されているような少女が童話界の暗黒面に足を踏み入れているなどと誰が思うだろう。

 しかし、美桜は朗々と語らう。

「一見幸せな物語に見えても、見方によってはバッドエンドに感じられるっていうのは、表現の可能性だと思うの。

 わたしね、もうお医者さまには余命宣告もされて、長くても二十歳までは生きられないって言われてるんだけど、それを『可哀想』だとか『不幸だ』とか『悲劇だ』とかだけで片付けられたくはないの。だから、こういうものの中から、『わたしは幸せでした』って胸を張って言えるエンディングを見つけたいんだ」

 それを世の中では「歓迎された悲劇メリーバッドエンド」と呼ばれることを果たして彼女は知っているのだろうか。知らないのだとしたらやはり、恐ろしいほどに純粋だ。

 と姫川が思っている脇で、杉原が身を乗り出す。その目はきらきらとしていた。

「すごいね、美桜ちゃん! そういう考え方もあるんだ! 入学したら、僕も一緒にそういう道を探すよ!」

 興奮しきりの杉原も自分がものすごいことを言っていることに気づいているのだろうか。世間一般から見たら、告白よりすごいことを言っているような気がするのだが。まあ、美桜も喜んでいるようなので、よしとすべきか。

 ちりり、と姫川の胸が焼けるように痛んだ。こういう杉原を見ていると、時折感じる感情だ。

 感情の正体がわからず、視線を彷徨わせていると、斜向かいの舞桜と目が合った。

 なんとなく、わかった。

 彼もまた、この二人の関係に複雑な心境を抱いているのだ、と。

 なるほどな、と姫川は一人納得した。

 舞桜が司る桜草の花言葉は「純潔」、それから「憧れ」。

 彼自身は他の二人ほどではないにしろ、純粋な思いやりの心を持っている。けれど、この二人のような関係になれる人物がきっといないのだろう。

 だから、こうして静かに憧れるだけ。

 似て非なる桜と桜草の違いを姫川は垣間見た。

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