魔法少年ボタニカル★フレンズ

九JACK

樹木草花魔法使い編

第1話 樹木草花魔法使い

 吹き荒れる風。それは「吹き荒れる」程度の表現では甘いほどに激しい風だった。人々は立っているのがやっとというほど。この嵐の中前に一歩でも進めたなら、それは猛者だろう。

「きゃーっ」

 スカートを押さえる制服女子の悲鳴。普段から短くしているから、そんなあられもない姿を晒すことになるのだ、ということは置いておいて。風の勢いはスカートがめくれるどころの騒ぎではない。傘なんて開いた日には空をふわふわ飛ぶことになるだろう。いや、ふわふわでは生温い。きっとびゅんびゅん風に振り回された揚げ句、地面に激しく叩きつけられるのだ。

 人間の環境破壊が進んだ結果、今の地球はこういうイレギュラーな天候が続いている。……というわけではない。地球は全世界がエコロジーを意識したことにより、少しずつ回復し始めていた。それには「ある病気」が犠牲になるのだが、その「病気」に救われていることも事実である。

 さて、雨こそ降っていないものの、普通の人間なら立っているのがやっとなその場所に、一人の少年が舞い降りる。青紫のカーディガンを羽のようにふわふわとさせて、風の中に佇む少年は神秘的にも見えた。暴風のせいで周りなんて見る余裕がなくても惹き付けられるほどに……

 と、思ったところでふと周辺の人々が気づく。自分たちを押したり揉んだりしていた風が、いつの間にか凪いできている。少し足が楽になり、崩れ落ちそうになるところを、ふわりと今度は柔らかな風が支えてくれた。

「鎮まれ」

 少年はまだ声変わりも来ていないような声でそうとだけ呟いた。ぶわりと少年の周りを針葉樹の葉のようなものが舞い、それを見たうちの一人が嗄れた声をこぼす。

「樹木魔法使い……」

 その呟きを聞いたのかそれとも偶然か、少年は振り向いた。幼さのまだ残る顔。何のとは断定できないが、宝石のような瞳を綻ばせて問いかける。

「ご無事ですか?」

 周囲は皆、唖然としていた。

 気象庁がお手上げになるような嵐を瞬き一つの間に鎮めるとは。

 ──樹木草花魔法使い。

 彼は間違いなく、神がもたらしたとも言われる人々を救う使命を「病気」として授かったその人だった。


 魔法。

 非科学的存在として、現実に否定された概念。おとぎ話やアニメや漫画の中でくらいしか取り扱われず、誰もが憧れ、「異世界に転生したなら魔法使いになる」的なブームが生まれたほどの存在。

 それが現代、信じ難いことに「病気」として存在する。

 何故魔法が病気なのか。それは「不思議の国のアリス症候群」にも例がある通り、おとぎ話の現象が起こった状態であるとしか見られないからだ。

 更にこの魔法という病気は病原菌が存在せず、病気と呼んでいいのかすらわからないが、それは言ってしまえば精神病も同じである。

 それに魔法を「病気」にしなければならないのには理由があった。


「ふうー、この時期の風はよくないんだよなー。みんな、帰ったら手洗いうがい……あー、その前に服ほろった方いいよ? 花粉ついてるだろうから」

 今は二月。まだ学年末前である。学校に通う者、仕事に通う者、様々いる。

 この自然災害を鎮めてくれるのは、樹木草花魔法使いだけだ。といっても、「魔法使い」という存在、今まで存在しなかったのに、突然現れて、突然特別扱いされたのでは、人々も受け入れにくいだろう。

 故に、魔法使いは「病気」を持つ「障害者」として特別待遇を取るのが現代社会では一番やりやすかったのだ。

 魔法使いたちも、その甘い蜜を吸うだけではなく、特別待遇の分、こうした近年見られる夥しい自然災害への対処を行うことにされている。

 本来なら、ここに現れ、風を鎮めた少年に感謝すべきなのだが……?

「わーわーっ!! 黄色い粉! 汚い! 可愛い制服だから気にいってたのに、どうしてくれんのよ!?」

「へくしゅっ。わぷしゅっ。んずー……花粉症なのに……最悪……」

「貴様、杉の魔法使いだな!? こんな時期に風飛ばして杉花粉蒔きやがって!!」

「え、いやそれはさっきの暴風が……」

「こいつ魔法花使えるぞ。きっと花粉も出していたにちがいない……」

 そう、全ての魔法使いがその行いの悉くを評価されるわけではない。特に二月、花粉症真っ盛りとなってくるこの時期は杉の魔法使いが勘違いで詰られまくる季節なのだ。

 殴られたりしないだけ、まだましなのだろう、と少年は自分に言い聞かせる。

 以前はもっと魔法使いに対して理解も敬意もなく、不可思議な事象を起こす不気味な存在だとか、そもそもこの異常気象は魔法使いたちが起こしているのではないかとか、謂れのない罪で心や体に傷を負わされた者たちが多かったのだ。石の一つも投げられないだけいいだろう。

 人々の意識が変わったのも、魔法という病気に関しての法整備が整ってきた証拠でもある。

 まあ、この異常気象を魔法使いが起こしている、というのはあながち間違いではないのだが、その部分は魔法使いたちにのみ伝えられ、世間には秘匿されているようだ。

 文句を垂れながら人々が自分から離れていったところで、少年は深々と溜め息を吐いた。

「毎年毎年、この時期の僕は、損な役回りなんだよなー……」

 そう嘆く少年はへたり込んで、自分で出した針葉樹──杉の葉を手の中で弄んだ。

「杉の魔法使いは風を操る能力を持ち、どんな嵐や竜巻も鎮め、台風でさえ退ける、だっけ? ……僕ってすごい存在のはずなんだけどなー」

 二月の突風は普通の人々だけでなく、風を扱う杉の魔法少年にも悪意の牙を剥いていた。少年はしょんぼりとしながらも、その役目を全うする。

「まだ燻ってるね、ロスト。本当は鎮魂か浄化の力があればもっと速いんだけど、今いるのは僕だけだから」

 少年が緑がかった黒髪を持ち上げて、近くにある木を見据える。おそらく、銀杏の木だ。葉はないが、そこからずずず、と何やらおぞましい姿が現れる。

 一言で言うなら、黒い風の塊。口のような、渦のようなものが無数にあり、辺りに風を撒き散らしながら、敵と認定したらしい少年の元に近づいてくる。

 黒い塊からは突然がっと手のようなものが生え、少年に遅いかかる。少年は杉の魔法を使って宙に浮き上がり、移動していた。

 尚も塊の攻撃は縦横無尽に続き、少年はひらりひらりとそれをかわしていく。逃げるだけでは当然埒は明かない。

 少年は地面に降り立ち、何やら唱え始めた。

「堅固なる杉の力よ、その真価を示せ。ボタニカルブルーム」

 迫り来る鋭い爪を伴った腕。寸分違わず、少年を押し潰した──かのように見えた。

 ぶわり、と風が起こり、塊の腕を押し返す。透明な風の渦ができて、少年を囲っていた。

 渦の中心にいる少年は先程と服装が少しだけ変わっており、首元にチェックのネクタイ、中には緑色のベスト、その上から青紫のカーディガンを羽織っていた。足元は制服のズボンらしく足のラインに沿っていたのが、ふわふわと風にゆらめく幅広のズボンになっている。その様はロングスカートをまとっているように見えなくもない。

「還れ」

 少年の一言で、ごうっ、と風が黒い塊を押し返し、潰していく。

「還ってくれ」

 その言葉は呪文や言霊というより、悲しみの吐露のように感じられた。

 やがて、風の塊は黒い塊の風と同調し始め、柔らかく、優しく包み込むように黒い中に渦巻く害ある風を宥め、鎮めていった。

 黒い塊が消えると、少年はカーディガンをくるりと翻す。すると、元の格好に戻っていた。

「……報告に、行かなきゃな……」

 悲しげに顔を歪め、彼は学校ではなく、役場に向かった。


杉原すぎわらけんさま」

「あ、はい」

 先程の少年は役場にて、「魔法課」という部署で手続きを取っていた。

 魔法課というのは、魔法という病気にかかった者を支援する課であり、魔法使いたちが処理する無数の異常気象の把握を行っている課である。

 今、少年──杉原健がしているのは先程行った黒い塊の処理報告だ。

 あれが暴風などの異常気象を起こす原因とされている存在「ロスト」と呼ばれるもの。正式名称は「ロストボタニカル」という。

 魔法が病気とされるのには特別措置を取らなければいけない医学部にも理由があって、それがロストの存在に繋がる。

 樹木草花魔法使いと呼ぶことからわかる通り、彼らは樹木や草花の力を借りて魔法を行使している。ここからは原因不明なのだが、魔法を使う者はいつしか体を司る植物によって侵食され、その侵食が全身を覆ったとき、魔法使いたちは人間ではなく、樹木や草花となるのだ。

 そんなことなど知らなかった当初は、魔法は奇病扱いされ、感染性がないことが証明されるまで、肩身の狭い扱いをさせられた。不気味がられて、排斥されて、捨てられて。未練に思った魔法使いが何人死んだことだろう。恨みを残して死んだ者が何人いたことだろう。

 そんな死んでしまった樹木草花魔法使いの成れの果てが植物性を失った者ロストボタニカルと呼ばれ、厄災として自然災害を多く引き起こすようになったのである。

 このメカニズムがもっと早くに解明されていれば、人間は困らなかっただろうし、魔法使いももっと気楽にできたはずなのだ。

 結局、目には目を、の格言通り、魔法使いには魔法使いをあてがわれたわけである。しかし、ひとえに魔法使いといっても、能力により、ロストとの戦いに向いていない者もいるため、戦っている樹木草花魔法使いはごく僅かだ。

 その一握りのうちの一人が杉原というわけである。

 ロストが原因の自然災害である場合は、ロストを消滅させれば収まる。ということは気象警報及び注意報などを取り消し、市民に安全を伝えるために、ロストを消滅させたことを役場に報告しに行かなければならない。

 魔法使いが個人的にそういうことをできないのは、個人の力には限界があるということと、魔法への理解がまだ社会に根づいていないということがある。先程のように災害から救っても、二次被害等の罪を押し付けられてしまうくらいだ。それに、ロスト討伐をしている樹木草花魔法使いは少ない。

 以上の点から、発言力のある役場から通達するのが最も効果的、と判断され、役場には魔法課が設けられた。

「それにしても大変ですね、杉魔法使いさまは。この時期だと毎年花粉症にこじつけられて」

「そう思うならなんとかしてくださいよ」

「ロストがいつどこで発生するかわかりませんからねー。無理ですよ。というか花粉症シーズンに暴風って、ロストが狙ってやってるみたいで嫌ですねぇ」

 そうですね、とは頷けなかった。それどころか杉原は怒りすら覚えていた。

 ロストになった人たちだって、好きでロストになっているわけじゃない。ただ死にたくなかっただけなのだ。それなのに不当に詰られて貶されて……怨みの権化になってしまっただけなのに。

 そんなことを言っても、この感覚は樹木草花魔法使いにしかわからないだろう、と杉原は怒りを抑えた。

 正直、辛いのだ。樹木草花魔法使いの最期を一度だけ……間近で見たことがあるから。

 身体中に木の根が張り巡らされ、少し魔法を使っただけでその侵食は瞬く間に進む。やがて、自分に生えた樹木の重さに耐えられず、押し潰されるようにして死ぬのだ。

 それがどれだけ残酷な光景かは、実際に見た者にしかわかるまい。

 杉原はロスト討伐証明書に印鑑を押し、控えをもらって帰った。

 ……嫌になる。

 死にたくなかっただろう人たちの魂を刈ることで得られるこの証明書が、杉原が魔法使いである証であり、魔法使いへの特別待遇を受け取るための証書になるのだ。

 それでも、ロストになってしまった悲しい人たちを野放しにするわけにはいかない。


 学校に戻れば、クラスメイトたちが杉原の手にしている証書を見ておお、とどよめく。

「杉原、またロスト倒したの?」

「すげー、魔法使いさまさまだな」

 まださして魔法の知識を蓄えていない同級生たちの言葉がちくちくと刺さる。まだ中学生の彼らには、全てを教えたとしても理解できまい。魔法使いの辛さなんて。

「しかも来年度からは私立魔法科高等学校入学も決定してるんだろ? 入試の合否にびくびくしなきゃならない俺たちと違っていいよなー」

 一応、その魔法科高等学校にも、魔法使いであることを証明するための試験はあるのだが、まあ、魔法が使えれば合否もあったものではないので黙っておく。

 あと二ヶ月ほどしたら、魔法使いの専門学校に行くのか、としみじみ思った。本当は他の同級生たちと同じように受験勉強なんかに悩んだりして、普通の高校生になりたかったものだが……ないものをねだったって仕方ない。この辺りのロスト討伐戦績は今、杉原が随一なのだ。学校側から目をつけられてしまっても当然、というわけである。

「魔法課作ったり、魔法の研究したり、ロストのメカニズムを解明して法改正したり、のとんでもない一族の紅葉寺こうようじ……怖い人じゃないといいなぁ……」

 普通の学生でいられるのは中学生まで。

 高校生になるのが少し怖く、少しだけ、他にはどんな魔法使いがいるのだろうと好奇心を持っていた。



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