第6話 木の上からの推理


「君の考えた通り、笑み少納言は、ジシだ。」


 ジシが、すなわち『自死』である、と気付いた瞬間、土筆は息を呑んだ。


 この男は、なんて恐ろしいことを口にしているのだろう!!

 あの少納言さまが、自ら命を絶ったなどと。


「なぜ……なぜ、そんなことをおっしゃるのですか?」


 すると木の上の橘貴匁たちばな たかめは、「白々しいな。」と鼻で嗤った。


「君も、そう思っていたくせに。」

「そん…なこと……」

「ない……とは、言い切れないだろう?」


 男が、土筆の心の内を見透かしたように言う。土筆は思わず、下唇を噛んだ。

 男が構わず続ける。


「なぜか……と問われれば、それしかないから、というのが私の答えになるだろうね。」


「それしか、ない………」

「そうだ。他に犯人となり得る人がいないのだから、それしかないのだ。」


 大部分が橘の葉に隠れた顔の中で、唯一、葉の隙間から浮かび上がる白い顎と赤い唇が、「君もそう考えたのだろう?」と、どこか挑発的に言った。土筆は、戸惑いながら、


「でも………でも、入水でもなく、刀を自らに突き刺して命を絶つなど……」


「そりゃあ、人間が死ぬ方法で、自分に対して出来ることなら、どんなやり方だって、自死は成り立つだろう?」


「それは…そうですが……」


 一般的な自死といえば(自死に『一般的』というのも、おかしな話だが)、入水自殺たろう。


 過去を紐解けば、他に、服毒自殺というのもあるが、貴族の男が自らに刃を突き立て命を絶つような野蛮な自死をするなど、信じられない。


 すると、男が聞いた。


「じゃあ、他に犯人になり得る人間はいるのか? ちなみに、旅に出た息子や娘たちを疑っているなら、無理だと言っておこう。彼らが誰一人引き返したりしていないことは、すでに私が調べている。」


 勿論、屋敷に残っている者たちーーー身体が弱っている者や老いた者たちに偽りがないかも確認済みだという。


「強盗は、嘘の証言。さりとて、北の方には難しい、家の中には、他に少納言を殺せそうな人間はいない。」


 男は、「ほら、誰も犯人になりそうな人間はいないだろう?」と肩をすくめた。


「君も本当は思っていたのだろう? 北の方は、少納言が自害したことを知っているのだ、と。だから、あんなにも彼女の証言は不自然なのだ、と。」


 そこまで言われたら、もう隠すことはできなかった。


 男の言う通り。土筆は心の片隅で疑っていたのだ。


 強盗でもなく、北の方でもなく、橘貴匁でもない犯人の存在を。

 そして、その人を北の方が知っていて庇っているのではないか、と。


「先程、申し上げた通り、最初に気になったのは、壺の位置でした。」


 壺が簀子に置いてあったのなら、あの晩、やはり少納言は、簀子にいたのだろうと考えた。

 だが、そうなると、壺を眺めながら月見酒に浸っていた少納言が、いきなり塗籠の中で強盗と戦い始めるのは、不自然だ。簀子から塗籠までの過程の動きが繋がらない。


「私が、刀傷を塗籠にしかなかった、と言ったのが、決め手だね?」


 土筆が頷く。


「だから相手は、見ず知らずの強盗ではなく、少納言さまのよく知っている人物ではないか……と。」


 顔見知りの人間が来て、家に上げた。あるいは、初めから一緒に酒を飲んでいて、何らかの都合で少納言が塗籠に引っ込んだのではないか。


「まず疑ったのは、旅に出ている息子さんでした。」


 一人だけ旅団から抜け、父親を殺したのではないかと思った。だが、そんなことをすれば、彼らが京に戻ってくれば、あっという間に知れるはず。


 少納言が亡くなってすぐに、その知らせを携えた人が行っているはずで、その直前に、息子が旅の一行から長く離れていたとなれば、真っ先に疑われてもおかしくない。

 知らせの者は無事に息子たちに会えたようだし、そんな疑惑が沸いているという話は、今のところ、父からも聞いていない。


 では、少納言が会っていたのは、他の人間か。

 少納言が屋敷の中に招くなら、それなりの身分の者。

 その人を北の方が知っているのか。


 もし、その人物を北の方が庇っているのだとしたら、北の方の証言する『強盗』は、真犯人とはかけ離れた人。あえて真逆の人物像をあげているはずだ、と土筆は考えた。


 ところが、北の方は、その証言を覆した。


 それも、白い着物という、極めて具体的な人物を想起させる証言に。

 勿論、そのに、罪を擦りつけるためだったとも言える。だが、随分と危険な橋だ。少なくとも、相手は、強盗より貴族社会に接点を持つ人物で、しかも軽々しく名を告げるには、危険な人物。下手したら、真犯人に近づいてしまうかもしれないのに。


 なぜ、北の方はそんなことをしたのだろう。


 その時、土筆はふいに思った。


 もしかして、最初から遠ざけるべき真犯人像など、なかったのではないか、と。


 真犯人は、いない。

 だが、少納言は死んだ。


 では、殺したのは誰か。

 北の方がよく知っている人物で、しかし、名誉を守らねばならぬ人。


 土筆の脳裏に浮かんだのは、笑み少納言本人だった。


 少納言が、塗籠の壁に自ら傷をつけ、そして立てた刀に、自分の喉を突き刺した。


 そんな訳はない。

 馬鹿げている。


 あり得ないと分かっているのに、その筋書きは、他の誰を犯人とするよりも、犯行可能なものに思えた。


 だが、それでも、それで全てが説明できるわけではない。


 簀子に残された壺の理由は曖昧だし、北の方が橘貴匁を犯人にしようとしたのも謎だ。


 そして、何より……


「分からないことがあります。」


 土筆は思い切って、目の前の男に探りを入れた。


「仮に、本当に少納言さまが自死だったとして、少納言さまは、何故あのような不可解なことをしたのですか?」


 わざわざ争ったみたいに刀傷をつけ、自ら喉を突き刺す。


「同じ死ぬにしても、何故、あんな死に方を選んだのでしょう?」


 すると、男が言った。


「選んだわけじゃあないと思うよ。」

「選んだのでなければ、なぜ死んだのですか?」


 男の言うことは、訳が分からない。


 男は、黙った。


 その沈黙は、答えを持っていないからではないから、ではなく、持っているけど、何をどこまで話そうか迷っているように見えた。


 やがて、男が口を開いた。


「少納言は、錯乱していた。」

「錯乱?」

「気が狂って、幻覚を見ていたのだ。」


 男は言い直したが、やっぱり土筆には意味が分からなかった。


「極楽香………って、知っているか?」

「極楽香?」


 いいえ、知りませんと首を横に振る。


「練香なのだが、特別な植物の花か、葉か、茎か、根か……ともかく一部を乾燥させて、粉にしたものを混ぜ合わせているのだが、これが良く効くのだそうだ。」


 練香は、粉末状の香原料を混ぜ合わせ、蜂蜜や梅肉で練り合わせて固めた香だ。火種と灰を入れた香炉ににれて焚く。


「効く……というと、練香に薬のような力があるのですか?」

「うん。薬とも言えるし、毒とも言えるね。」


 薬と毒は、紙一重。つい最近も、こんな話をした気がする。


「ともかく、その特別な香には物凄い力があって、焚くと、とても良い気分になる………らしい。」


「良い気分になる?」


「あぁ、そうだ。私は使ったことがないが、それを使うと、この世の全てが美しく、素晴らしく、愛おしく思え、とても幸せな気持ちになる。至福の薫香とも言われるほどに。」


「至福の薫香? それは……良い薬、ということですか?」


 問い返しながら、土筆の頭は、その考えを否定していた。


 なんだ、その香は。とんでもなく胡散臭い。


 香の良い香りは、確かに焚くことで心が落ち着いたり、幸せな気持ちになることがある。


 だが、男の言うことは、一般的な香の力を超えている。


 そんな香が、本当にあるのだろうか。


「良い薬だよ。初めのうちはね。」


 男が答えた。


「初めのうちは、ですか?」

「使い始めたうちは、この上なく幸せな気持ちになるのだけれど、この練香には、一つ大きな欠陥がある。」


 男が控えめに指先を一つ立てた。


「この香は、使うとやめられない。」


 言ってから、「…………らしい。」と付け足したのは、この男自身の体験したことじゃないからだろう。

 

「やめられない練香………」


「そうだ。一度、どっぷりハマってしまうと、薬の効果が切れた頃に、頭痛と吐き気と幻覚と、ありとあらゆる体調不良が襲ってきて、新しい香を、それはもう、欲しくて欲しくて、たまらなくなるのだ。それそこそ……狂おしいほどに。」


 だから、この花は別名、「狂い香」と呼ばれているのだ、と男は言った。


「どうだ? 至福の薫香とは、真逆だろう?」


「狂い香……狂おしいほどに……求める?」


「欲するがあまり、錯乱するのだそうだ。その香りを摂取すれば、一時的に落ち着くが、しかし、それも回を重ねる毎に、だんだんと効かなくなる。どうだ、大したクスリだろう?」


 男の「クスリ」という言い方には、どこか皮肉めいたものがあった。


 しかし、土筆の頭は、そんなことに構っている場合ではなかった。


 なぜなら、男が説明した状況にピタリと重なり合うような出来事を、目にしたばかりだから。


 男も、土筆の顔色の変化に気づいたのだろう。


「何か知っているね?」


 低い声で尋ねた。


「私が言ったこと、身に覚えがあるのだろう?」


「えっ………と、そんな…」


 土筆は思わず、視線を反らした。

 橘の木からーーー菫の部屋に。あの、少納言の北の方のいる部屋に。


「やっぱり、そうか。」


 目ざとく気づいた男が言った。


「少納言の北の方が、なのだね?」

「わからないわ。」


 咄嗟に否定したが、それは結局、土筆の疑念を男に教えたのに等しかった。


 事実は分からない。でもーーークロなんじゃないか、という疑念。


「君がそう思った根拠を、聞かせてくれないか?」


 そんな土筆の心の中を、男は、お見通しらしい。


 土筆は諦めて、「実は、昨夜………」と、あの土筆が目にした光景についてーーー狂ったように、頭を打ち付け、歯ぎしりしながら亡き少納言に謝っていたていた北の方の姿と、翌日、嘘のように晴れやかな顔をしていたことを話した。


「間違いない。」


 男が言った。


「貴女の直感は正しい。私も同意見だ。」


「しかし、そうだとすると、その妙な練香とやらを、北の方さまは持っているのですか?」


「そういうことになるだろうね。」


 男はチッと舌打ちして、「結局、北の方も毒されていたのか。」と呟くいた。


「全部、捨てたものだと思ったのにな。」

「え? 捨てた?」

「あぁ。少納言が死んだ時に、北の方はその薬を全部、池に捨てたんだ。壺に入っている薬をね。」

「壺? …もしかして?!」


 そうか。割れた壺。

 そして、北の方の指先の傷。


「私が内々に調べていたところでは、少納言は、『至福の薫香』を定期的に使っていた。いつ頃からかは分からないが……ともかく、ある時、その練香と出会い、そして、虜になったのだ。」


 そんな恐ろしい香に、あの少納言さまが毒されていただなんて……。にこやかな笑顔の裏に、そんな秘密があっただんて……。


「北の方は、その香にのめり込む夫の様子が怖かった。だから、息子たちや使用人が少なくなる頃合いを見計らって、香を取り上げた。いや、ひょっとして夫婦で話合って、狂い香への依存を絶とうと決めたのかもしれない。だが、最悪なことに、夫は精神の錯乱に耐えらず、塗籠を滅多切りにし、自ら命を絶った。」


「では……では、あの北の方さまの言葉は……?」


ーーーごめんなさい………しか、なかったの…


 『こうする』というのは、何をしたのかと思っていたが、夫から狂い香を取り上げたことだったのか。


 塗籠の刀傷は、ひどい有様だったと言っていた。

 もしそれが、狂い香のせいだとしたら、その練香は、なんて酷い『薬』だろう。


 木の上の男が話を続けた。


「夫の惨状を目にした北の方は、夫の名誉を守るために、強盗のせいにしようとした。狂って自害だなんて、悪評もいいところだからね。だが、この香は見つかったら困る。皆に見つかる前に、庭の池に薬を捨て、戻そうとしたときに、壺を割ってしまったのだろう。」


 処理が終わった北の方は、叫び声をあげて、使用人たちを呼んだ。そして、恐ろしいから、出歩くなと、強盗を探しに行かぬよう、使用人たちを屋敷に留めたのだ。


「そういうこと……なのね。」


 それならば、あの不可解な壺の位置にも説明がつく。


「でも狂い香だなんて、どうして、そんな危険なものが少納言さまの手に?」

「そうだよ。とても危険な物だ。それを、誰かが持ち込んだ。」


「持ち込んだ? どこから……大陸からですか?」


 この国の植物には、元々ここに自生していたものもあるが、大陸から持ち込まれたものも多い。

 例えば先日、時峰から贈られたアサガオも、元は大陸から入ってきて、この地に根を張ったものだ。


「いや、幸いにして、まだ植物そのものは持ち込まれていない。あくまで、乾燥して練香になったものだけだ。」

「それは、どんな植物……なのですか?」

「さぁ?」


 男の肩が僅かに持ち上がった。肩を竦めたのだろう。


「極楽浄土に咲くような豪華絢爛、色とりどりの花だとも、大地を優しく覆う初雪のように真っ白な花だとも言われている。」


 まるで伝説上の代物だ。


「ただ、私が調べで、我が国への侵入経路は判明している。」

「侵入経路? 大陸からの、ですか?」

「左様。」


 希少な物だ。そんなに簡単に持ち込めはしないのだという。


「それは………どこですか? 誰が……持ち込んだのですか?」


 男の唇が動いた。


「摂津だ。」

「摂津ですってッ?!」


 摂津、という言葉を聞いた瞬間、思い浮かんだのは、時峰。そして、須美姫ことマナツ。

 マナツは、逃げ出さなければ、危うく摂津の守に嫁がされるはずだった。


「摂津は、大和田泊おおわだのとまり(港)を有した、大陸との交易の要だ。」


 土筆は、ゾッとした。

 マナツは、思っていた以上に危険な事態だったのかもしれない。


 そして必然、今、気になるのは、時峰だ。

 時峰の叔父は、何故、マナツを嫁がせて、摂津の守と繋がりをもとうとしたのか。


 もしかして、その狂い香のことと関係があるのではないか………ーーー


「どうした? 何か、思い当たることでも?」

「いいえッ……」


 土筆は、慌てて首を横に振った。


 まだ何も、確かなことはない。

 この、正体の分からない男に知られるわけにはいかないわ。下手に話して、万が一、時峰に類が及んだら……。

 土筆の背筋がブルリと震えた。


「なんでも……なんでも、ありません。」


 男が更に、追求して聞いてくるのではないかと懸念したが、男は、「そうか。」と短く答えただけだった。


「……北の方は、どうなるのですか?」


 もうすぐ息子が帰ってくる。

 そうすれば、この屋敷からは引き上げる。

 彼女は、それを心待ちにしているようだった。


「そうだね。強盗に襲われた、ということになっているらしいから、なにか理由をつけて、多分………保護。」


「保護?」


 それなら良かった。と、安堵した矢先。


「という名の、取り調べを受けるんだろうね。」

「取り調べ? な……何をですか?」


「どうやって、狂い香を手に入れたのか聞かないといけないし、持っている香は、残らず回収せねばならない。」


「回収? でも……そんなことをしたら、北の方さまは……」


 あの、狂ったように頭を打ち付ける北の方を思い出すと、今でも背筋が凍る。


 男の言うことが正しいとすれば、そのクスリとやらを取り上げられた北の方は、理性を保てるのだろうか。

 夫の少納言と同じことに、なりはしないか。


「かなり辛いことになるだろうね。」


 男は、突き放すように言った。


「でも仕方がない。それが狂い香に手を出した者の代償だから。」


 闇の中で白く浮かび上がる、つるりとした男の口元が、酷く冷たく、無情なものに見えた。まるで血の通っていない物の怪のように。


 万が一、その練香が他人の手に渡って、広がってしまっては困るのだという男の理屈は理解できるが、それでも土筆は、男の中の冷酷な一面を垣間見た気がした。


 すると、男が打って変わったような気楽な調子で言った。


「さぁ、もう行かなくては。」


 枝から腰を上げる、ザザザという音がたつのが早いか、唯一見えていた口元が葉の奥にシュンと消えた。


 あ?! 立ち去るつもりだわ。


「待って………!」


 土筆は咄嗟に、男を呼んだ。


「あ……貴方は、橘貴匁ではないのよね?」


 葉の音が止み、男の動きが止まった。姿は隠れて見てないが、まだ気配が残っている。


 男が答えた。


「私は、タチバナではない。」


 それから、何か思い出したように、付け足した。


「私はタチバナではなく、だ。」


「へ?」


 意味が分からない。

 何が言いたいのか問い返そうとしたが、それより速く、


「貴女の話は、とても参考になったしたし、噂どおり………興味深い人だね。」


 と、一方的に告げられた。


 それから、また、ガサリと一度、大きな音。男が去ったのだ、と分かった。


「あ……。」


 男の正体は分からない。 

 でも、橘貴匁でない。


 男が立ち去った後には、凛と澄んだ残り香りが漂っていた。


「橘ではなく、桃……?」


 土筆は、男の残した言葉の意味がわからぬまま、ただ、口の中で小さく繰り返した。


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