第3話 怨霊屋敷の探索2


 怨霊屋敷は、近づいてみると、やや不自然な景観の家だった。


 時峰が最初に、自分の家の対屋たいのやに似ていると思ったのは、その通りで、おそらく、元はどこかの屋敷の対屋(別棟)であったのだろう。


 母屋もやはとうに毀れ、この対屋だけが残ったのだろうか。

 建物はしっかり残っているのに、長年の風雨で薄汚れているのが、不気味さを引き立たせる。


 元は母屋と通じる渡殿わたどの(渡り廊下)があったと思われる場所が、現在の入口らしい。途中で途切れた、その廊下の足元の地面に、階段代わりの大きな置き石があった。

 先程の足跡は、その石の下で途切れている。


「ここから上がればいいんだろうねぇ。」


 明衡あきひらが、石の上にくつを揃えて脱ぐと、屋敷に上がった。時峰もそれに続く。


 入口には、妻戸つまどがあって、その扉には、物々しいほどの大きなかんぬきがしてあった。


「掛け金じゃなくて、閂とは……」


 随分、厳重だなと、時峰が呟く。


 やはり右京のあたりは、人通りが少なく物騒だからだろうか。


「しかし、コレ、馬鹿に重いな。」


 時峰より体格の良い明衡が、「ヨイショ」と力を込めて持ち上げると、閂が外れた。

 明衡が手前に引くと、ギギギと音を立てて、扉が開く。


「どうだ?」


 明衡の後ろから、時峰が覗き込む。


「別に、どうと言うこともない。」


 明衡が正面を譲ってくれたので、時峰からも中がよく見えた。


 確かに、明衡の言うとおり、内部は、どうと言うことはなかった。


 というか、物があまりないのだ。


「御格子は全部降りているのか? その割に明るいな。」 

「多分、あれのせいだろう?」


 寝殿造りの家屋には、所謂、壁はない。柱と柱の間は、開閉可能な御格子で閉じている。だから、全ての御格子が閉じられると、部屋は暗くなるのだが、明衡が指差した先には、御格子の上半分を塞ぐ板が剥がれて、なくなっていた。

 格子状の骨組みから、外の光が差し込んでいる。


「なるほど。『御格子の向こうに、女の姿』が見えた理由は、これか。」


 これなら、屋敷の内側で明かりをつければ、御格子ごしに、ぼんやりと浮かび上がる。


「となると、時峰の言う、屋敷の外に霊がいた説は、可能性が低くなるな。」


 信じてもいないくせに、と明衡に言い返す。


「しかし、本当に物が少ない部屋だな。」


 あの、夕星ゆうづつの部屋といい勝負か。

 いや、几帳がない分、こちらの方が殺風景見える。


 部屋の真ん中には、置き畳。使い古しなのか、い草の表面は黄ばんで、毛羽立っている。

 それから、部屋の隅に大きな唐櫃からびつのような箱が置いてあって、あとは引き出しのついた小さな物入れと、その上に鏡箱が一つ。そして燭台。

 それが、部屋の調度類の全てだった。


 明衡が中に入ったので、続いて、時峰も、屋敷の中に足を踏み入れた。


 その瞬間………ーーーゾクリ、と冷たい何かが、背から項にかけて走った。


「ッ?!」


 驚いて後ろを振り返ったが、誰もいない。


 気のせい…かーーー?


 明衡を見ると、


「誰も住んでいないわりには、綺麗だなぁ。」


 ズカズカと奥まで上がり込んでは、呑気にキョロキョロとあちらこちらを見渡している。

 かと思えば、腰を屈めて、床を指で擦り取って、


「やはり、誰か住んでいるんじゃないのか? 埃も溜まっていないし。」


 確かに、畳の上も物入れも唐櫃も、定期的に掃除されているのか、砂埃は溜まっていない。


「しかし、ここには、煮炊きできる竈がないぞ。暮らすには不便じゃないか?」


 寝殿造りの邸宅において、台所は、雑舎と呼ばれる別棟に置かれるのが普通だ。対屋だけが残っている、この屋敷では、その機能を持つ場所がない。


「別に、屋外に竈を作ればいいだろう?」

「周囲は、ぐるっと草に覆われている。竈を作ってあったとしても、今は使えるような状態じゃない。」


 埃がないなら、ここ最近まで人が出入りしていたということ。

 住むには不便なこの場所に、何のために?


 すると、明衡が言った。


「足跡を見たろう? 暮らしていたのは男ヤモメだ。食事なんて適当に済ますから、ここでは煮炊きしないんだろう。川で魚でも取って、焼いて食ってから、ここに寝に帰ればいいしな。」


 幽霊の正体みたり…だな、と明衡が朗々と言った。


「大方、その大工に黙って、何者かが空き家に住み込んでいたのさ。それで明かりをつけたときに、外を誰かが通りかかった。人が住んでいたなら、夜中に明かりが灯って、人の影がチラついても不思議じゃないだろ?」


「しかし、怨霊は女という話だぞ?」


「女と男を見間違えたんだろう? 見たのは夜中だ。しかも、怯えている状態で。それくらいの見間違いは、なんの不思議もないさ。」


 そう言いながら、明衡が、板の剥がれた御格子に手をかけた。それを上に跳ね上げて開けようとしたのだが……


「何だ、コレ。上がらないじゃないか。」


 剛力の明衡がガタガタ揺らしても、御格子が開かない。


「掛け金は?」

「外れてる。」


 この御格子は、半蔀はんじとみと呼ばれるタイプで、真ん中辺りで上下に別れている。その上部分を外に向かって跳ね上げるのだが……


「おい、時峰。ちょっと手伝ってくれよ。」


 頼まれ、時峰も御格子の枠に手をかけたが、びくともしない。


「建付けが悪いな。あんまり使ってないからかなぁ?」

「ちょっと、外を見てくるか。」


 時峰は、妻戸から外に出て、御格子の外側、簀子すのこの方に回った。

 簀子の上は、部屋の中と違って、砂塵が薄く積もっていて、大工が置いていったのか、山と積まれた木片や木の棒、板、編んだ麻縄、そして……


「おい。明衡!ちょっと来てくれ!」


 雨や砂で薄汚れた簀子の表面に、よく見ると、等間隔に砂塵を踏んだ、何者かの跡。時峰に呼ばれ、出てきた明衡が、


「足跡? それも、少し泥が落ちてる。」

「あぁ。比較的新しい。」

「誰かが、ここを歩いたのか?」


 足跡は御格子や木材が積まれた辺りで立ち止まって、何かをしたように乱れていた。

 明衡はしばらく屈んで眺めたが、やがて立ち上がると振り返って、


「よかったじゃないか。これで、時峰の言う、屋敷の外に怨霊説も再浮上だ。」

「怨霊が泥を落としながら歩くか?」

「はは。」


 時峰が、「それも、そうか。」と笑う。


「怨霊じゃないなら、ここに住んでいる人間が歩いたんだろう。屋根に登って、雨漏りの具合でも見たのかもしれない。そこに、梯子もあるしな。」


 明衡が指したのは、木材の横に無造作に置かれた麻縄の束。よく見ると、縄には、確かに横木がついている。


「屋根の上………か。」


 時峰は、上を向いて呟いたが、明衡が言う以上の考えは、何も浮かんでこなかった。


 二人は再び部屋の中に戻り、今度は調度類を検めることにした。


「しかし、やっぱりこの家には、女人がいたんじゃないかなぁ……?」


 時峰が、鏡箱の下の物入れの引き出しを開けて、言った。

 中には顔に塗るであろう白粉と、眉墨、そしてお歯黒に使う黒い粉がある。


「妙齢の女性がいるような御道具類だ。」


 明衡も「どれ、どれ?」と覗き込んだ。


「まぁ、確かに女性が住んでいるようにも見えるが……とすると、この…………変な行李こうりの中は着物が何かか?」


 明衡が、部屋の中の最も大きな家具ーーー唐櫃らしき箱を、コンコンと叩いた。乾いた木の小気味よい音が鳴る。


「行李? これは、唐櫃だろう?」


「何言ってるんだ、お前。唐櫃ってのは、箱の下に足がついてるモンだろう? これは、地面に直置きしているじゃないか。だから、行李だ。」


「明衡こそ、何言ってるんだ。行李ってのは、竹や葛で編んだ、被せ蓋の箱だろう。これは、どう見たって木でできているんだから、唐櫃だろう?」


 時峰に言われて、明衡は、「ふぅむ。」と唸った。


「そう言われると、変な箱だ。木製であり、足がなく、蓋板が乗せられているだけ。表面を覆うは……組子細工か?」


 組子細工は、小さな木片を組み合わせて、様々な意匠を作る細工物だ。殿中や神社仏閣の装飾に使われる。

 この箱の組子細工は、上半分は麻の葉、下半分は菱形の模様で組まれている。


「それに、随分とデカい。中が全部着物だとすると、相当な衣装持ちだ。」


 時峰が軽く両手を広げたくらいの幅がある。


「どれ、一つ中を覗いてやろう。」


 明衡が手をかけて蓋を開けようとしたが、これも開かない。


 それで、しばらく、押したり引いたりガタガタ揺らしたが、蓋は、一向に開く様子がない。


「………これもか。」


 鍵がかかっているようでもないのに、開かないのだ。


「これは、箱じゃないのか。」


 明衡は、諦めて唐櫃……らしき箱に、寄りかかって座った。


「開きもしない、こんな物体、何に使うのか、俺にはサッパリ分からん。」

「これだけ見事な細工物だ。箱の機能はなく、ただの大工の作品なのかもしれぬな。」

「ふぅん?」


 明衡は、チラリと組子細工を見たが、あまり納得していないらしい。


「それにしても、おかしな家だ。」


 両手のひらを天井に向けて、肩を竦めた。


「だが、誰か住んでいたのは、確かだろうよ。さっきの御格子も汚れてなかったし、この箱も……」


 明衡は、埃一つない細工の表面を指でなぞった。


 それで、時峰は、先程から考えていたことを口にした。


「その誰かは、ここに住んでいたのではなく……例えば、この屋敷を逢引に使っていた……と考えるのは、どうだろう?」


「逢引ぃ?」


 時峰の言葉に、明衡が聞き返す。


「そう。つまり、何らかの理由があって、自宅で逢えない男と女が、この屋敷を使っていたんだ。」


 それなら、女物の化粧があってもおかしくない。


「なるほど?」


 明衡は、い草の毛羽立った畳に、ごろんと横になって、


「だが、外の足跡はどう説明する? あれは男、一人分だぞ。」

「おや? 数々の女を物にしてきた明衡らしからぬ発言だな。」


 時峰が誂うように言うと、こちらに身体を捻って、「どういう意味だ?」と聞き返してきたので、


「お前なら、ここに大切な女性を連れてくる時に、どうする? あの泥の中を歩かせるか?」


「馬鹿言え。あんなところを歩かせられるか。抱えて行くに決まっている。」


 時峰とて、そうだ。土筆にあんな泥濘の地を歩かせるわけにはいかない。


「つまりは、そういうことだ。」

「なるほど。だから、足跡が一つしかない、と?」


 そうかぁと呟きながら、明衡は、片肘を立てた上に頭を乗せて、


「俺なんか、てっきりドコゾの男が、ここで女の格好をして、楽しんでいたのかと思ったが……」

「何だそりゃ。随分、突拍子もない想像だな。」

「だろう? だが、別に、そういう趣味があったっていい。」

「そりゃあ……そうかもしれないが……」


 だからと言って、普通はそんな事、考えつかない。


 明衡の、こういう、やや型外れな発想力は、少し土筆と似ている。

 変に波長が合うといけないから、この二人は絶対に会わせないようにしようーーーなどと、時峰が思い巡らせているとは露知らず、明衡は投げやりに言った。


「だが、俺のより、時峰の案のほうがずっといい。だから、それを採用だ。」


 幽霊じゃないということが明白になったせいか、それとも探索に飽きてきたのか、明衡は、すでにこの屋敷への興味を失っているようだった。


 それで、兎にも角にも、二人の中で、この屋敷の怨霊騒動は、「男女が逢引に使っていた」ということで、一応の決着をみたのである。



◇  ◇  ◇



 話し終えた時峰が、御簾の向こうの土筆に向けて、得意げに言った。


「どうでしたか? 私の推理は。」

「どう……と言われましても。」

「貴女のように…とまではいかなくとも、なかなか悪くなかったでしょう?」

「そう……ですね。」


 土筆は、どう答えるべきか迷った。それで、結局、素直に思ったことを尋ね返す。


「時峰さまは、その結論でスッキリしているのですか?」

「スッキリ……?」


 一瞬、面食らったように言葉を詰まらせた時峰に、失礼な質問をしてしまったかと気になったが、


「…………いえ。」


 時峰は、さっきまでの自信に満ちた様子をやや潜めて、


「実はいうと、どこか……胸につっかかるよつな気持ちの悪さがあります。」


 何でだろうと、小さく言って、頭を傾げている。


「でも、そう聞く……ということは、貴女も僕の出した結論に納得していないんですね……」

「そういうわけでは……」

「それなら、明衡が言うほうが正しいということでしょうか?」


 苦々しげに問う時峰に、土筆は少し考えてから、


「いえ……お二人の案のいずれも、否定するに足る要素はありません。」


 両案とも、このまで聞いた事実との矛盾はない。だから、完全に否定することは出来ない。


「でも、貴女の頭には、他の案がある?」

「…………」

「では、差し支えなければ、貴女の考えをお聞かせいただけますか?」


 時峰が、真剣な眼差しで、こちらを見ている。


 確かに、土筆の頭の中には、二人の案とは別の可能性が浮かんでいた。


 だが、土筆は、それを口にするべきか、躊躇った。なぜなら、自分が考えもまた、二人と同じくらい荒唐無稽な物に思えたから。


 それでも、時峰が「貴女の考えを聞かせてください。」と話を促すから、土筆は、ポツリと口を開いた。


「………ひょっとして、その屋敷………本当に、怨霊がいるのかもしれません。」


「……え?」


 唐突な土筆の言葉に、時峰が驚いて聞き返す。


「ど……どういうことですか? 何の怨霊です?」


 まるで相反する意見に戸惑いを隠せない時峰に、土筆は慎重に言葉を選びながら、言った。


「落窪の……の、怨霊です」


「……落窪の……姫たち?」


 不穏な言葉に、時峰がゴクリと唾を飲み込む音がした。

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