御簾の向こうの事件帖

里見りんか

第1章 姉妹だけが知っている

第1話 花房家の土筆姫


 昔むかし。花の都、平安京。

 権勢誇る権大納言、花房資親はなぶさ すけちかには、それはそれは有名な3人の娘がいた。



 長女は華やかに麗しく、昨年、今上帝の女御に入内したばかりの「牡丹ぼたん」。何事にも秀で、皆が羨み、憧れる貴婦人の鏡。

 三女は、花房家の奥の間で可憐に咲く、深窓の姫、「すみれ」。ほとんど表に出ては来ないが、一度姿を見たならば、誰もが手を伸べ、守りたくなる愛らしさ。



 そして、次女はーーー 十人並みの容姿に、手足ばかりがヒョロヒョロ長い。女だてらに漢詩を読みこなす『頭でっかち』……と、専ら噂の姫、「土筆つくし」。



 しかし、その土筆姫。意外や意外、優れた洞察力があるとか、ないとか。


 この物語は、厚い御簾の向こうから、世相を眺める姫君の、ほんの気まぐれの暇つぶし……なのかもしれない。




◇  ◇  ◇


 ある春の日。

 権大納言、花房邸は、いつにもまして賑やかだった。


 いや、これは……賑やかを通り越して、喧しい。


 脇息きょうそく(肘置き)に身体を預け、先だって手に入れたばかりの分厚い本を読んでいた土筆は、ついに、ページを捲る手を止めた。


 土筆の部屋の前を、先程から同じ女房が、幾度となく行ったり来たりしている。


 そのあまりの騒々しさに堪えきれず、ついに土筆は、


「タマぁ〜? おタマちゃーん?」


 自分の側付きの女房、お玉を呼んだ。


 ちなみに、このお玉という娘。元は玉野という場所の出で、それにちなんで初めの頃は、きちんと「玉野」と呼ばれていたのだが、段々面倒になってきた土筆が、「タマ」、「おタマ」と呼び始めたのがキッカケで、結局、今では皆からそう呼ばれるようになった。


「はい、はい。姫さま、お呼びですか?」


 呼ばれたタマが、慣れた様子で寄ってくる。


「ねぇ、今日はどうして、こんなに騒がしいのかしら? これじゃあ、集中して本も読めないわ。」


 するとタマが、「あら、姫さま。お忘れですか?」と、やや咎めるように顔を顰めた。


「今日は、毎年恒例の花の宴じゃないですか。旦那様が、3日も前から、大張り切りで準備していますよ。」

「それは、分かってるわよ。」


 そういうことじゃなくて……と、唇を突きだしたが、ハタと思いついて、聞いてみた。


「ねぇ、もしかして今日、姉さまが、お里下がりをされるのかしら?」

「牡丹さまですか?」


 華やかで美しい長女の牡丹は、半年前に、帝の女御ーーーつまり后として、入内したばかり。

 今上帝にとっては、3番目の女御だが、帝直々に、是非にと望まれての後宮入りだった。


「さぁ……聞いていませんねぇ?」


 タマの返事に、土筆は、「おかしいわねぇ。」と首をひねった。


「どこがおかしいんですか? 花見の宴は、毎年、旦那様肝煎りの、当家一大行事イベントじゃないですか。うちの庭の素晴らしさを、皆々様にお見せするのですから、力も入るものですって。」

「そう……なんだけど、そうじゃなくって……」


 土筆は、もどかしく言葉を探す。


「なんていうか……こう…今日は、例年にもまして、絶対、失敗できないっていう並々ならぬ気合みたいなものを感じるんだよね………」


 うーんと一生懸命頭をひねってみたが、ついに、


「ねぇ、おタマちゃん。ちょっと適当な女房を、捕まえてきてよ。」


「えぇー………?!」


 タマは、ブツブツ言いながら下がった。かと思ったら、すぐに、さっきから土筆の前を右往左往している女房を連れて戻ってきた。


「なんですか? この忙しいときに……」


 ソバカスだらけの野暮ったい狐みたいな顔した女房が、文句を言いながらやって来た。


「ねぇ、今夜の宴、何かあるの?」


 土筆が問うと、女房は怪訝な顔で、


「何か……?」

「いつもとは違う……特別な計画、みないな。」

「特別な計画、ですか? べ……べ、別に、そんなこと……」


 言いながらも、女房の視線は、斜め上を漂っている。


「あるのね? 何か、お父様の計画……いえ、計略が。」


 女房は、これみよがしに、ため息をついた。

 日頃から勘の鋭い、この姫に、黙っておくのは無理だと判断したのだろう。「仕方がないですね」と不承不承、口を開く。


「いいですか? 今夜の花見の宴では、今をときめく近衛中将、藤原時峰ふじわら ときみね殿がいらっしゃるのです。」


「………はぁ?」


「まぁ?! なんですか、その反応は? 藤原時峰殿ですよ。と・き・み・ね殿。」


 そういえば、聞いたことがある。藤原時峰。見目美しく、文武両道。明朗快活、誰にでも優しい完璧すぎる近衛中将。


 その手の話題に興味の薄い土筆の耳にも噂が届くほどなのだ。その実物や、いかに優れているのだろう。

 いや、そういう大層な噂が流れている人に限って、会えば案外、大したことはないのかも。


「……で、その藤原時峰殿とやらが、どうかなさったのですか?」


「ですから、藤原時峰殿がいらっしゃるから、旦那様が張り切って、上等な酒をたくさん仕入れていらっしゃるでしょう?」

「そうなの?」

「そして、そのお酒を、中将殿は、たくさん召し上がる。」

「お酒がお好きな方なのかしら?」

「で、時峰殿は、程よく酔い潰れるわけです。」

「お酒に弱い方なのね。飲み過ぎは良くないわ。」


 一体、藤原時峰というのがどんな人間なのか、わけが分からなくなってきた。


 と、女房が、「いちいちおかしな合いの手を入れないでください!」と怒る。


「ともかく、中将殿には適当に酔っていただく必要があるんです。それで、酔われた中将を我が家にお泊めして……」


「待ってッ!」


 今度は茶化した合いの手ではない。話の筋書きが見えたから、止めたのだ。


「念のため訊くけど………どっち?」


 自分ではないと分かり切っているが、それでも確認しなくては。


に案内するつもりなの?」


 女房は、すでに土筆が計略の大筋を理解したことに驚きを示したが、すぐに、フンッと鼻息をはいた。


「無論、菫さまですわ。」


 貴女なわけがないでしょう、とでも嘲るように。だが、女房の嘲笑など、土筆にとって些細なことだ。


 つまりは、こういうことだ。


 『将来有望な近衛中将殿』を、我が家の婿に迎えたい父が、花見の宴に誘い、しこたま酒を呑ませて酔わせたところを、我が妹、菫姫の寝室に押し込んで、既成事実を作らせよう、と。


「私が、うっかり間違って、菫様の寝室にご案内するのです。」


 大役を仰せつかったとばかりに、誇らしげに言う女房。


「すでに、三日夜餅みかよのもちいも用意してあるんですよ。」


 三日夜の餅は、男が女のもとに通い始めて三日目の夜に出す餅で、婿取りの儀式の一環だ。


「気の早いこと……」


 タマが呆れたように呟く。

 いや、しかし、そんなことよりも……


「エグい……」


 実に、腹黒く、野心家な我が父が考えそうな計略に、思わず、土筆の心の声が漏れた。


「ねぇ、そのこと、菫は知っているの?」


 念のため尋ねると、案の定、


「ご存知なわけ、ありませんわ。」


 ツンっと言い返された。なんて可愛そうな菫!


「あの子、男性が苦手なのよ。そんなことしたら……」

「心配いりません。近衛中将様は、女性経験豊富でいらっしゃいますから。きっと、菫さまのような女性も、優しくお導きくださるはずです。」


「女性経験豊富って………」


 なんてアケスケな言い方。

 要は、あっちこっちの女に手を出しまくっているわけだ。


 私も一度くらいお相手願いたいくらいですわ、とウットリしている女房に、あなたと菫は違うでしょ、と心の中で悪態をつく。


「ともかく、そういうことですから、今日は土筆さまも、大人しくしていてくださいましね。」


 くれぐれも邪魔をするなと念押しすると、女房は、「あぁ、忙しい。忙しいわ。」と、足取り軽やかに去っていった。



 静かになった自室で、再び本を開いた土筆だったが、やはりどうにも集中できない。


 いや、出来るはずがない。


 パタンと本を閉じると、ガバっと身体を起こして、再びタマを呼んだ。


「タマ。」

「はい、どうされましたか?」

「菫のところにいくわ。」


 先程の狐女房の忠告があったから、一瞬、嫌そうな顔をしたが、すぐに、「まぁ……そうですよね。」と頷いた。


「聞いてしまった以上、知らないふりは出来ないわ。」


 男が苦手な娘の寝室に、酔った好色男をぶち込むなんて、我が父ながら、イカれてる。


 土筆が義憤に駆られて立ち上がった瞬間、タタタと足音が響いた。かと、思うと、「お姉さまぁー」と、鈴が鳴くような声。


 件の妹。菫が、愛らしい顔を涙で濡らして、土筆の懐に飛び込んできた。


 グスン、グスンと泣く少女をみれば、何があったか、聞かずとも分かる。


「誰かに聞いたのね?」


 土筆が尋ねると、菫は、コクコクと首を縦に振った。


「先程、たまたま御簾の向こうで何やら話をしている女房たちがいて、はしたないとは思いつつ、近寄ってみたら……」


 今晩、自分のところに男が忍んでくると聞いたらしい。


 飛び上がった菫は、慌てて姉の部屋に逃げ込んできたのだ。


「お姉さまッ、私、嫌です!!よく知らない男性が、いきなりお部屋に踏み込んでいらっしゃるなんて……」


 そりゃあ、そうだろう。土筆だって、そんなのは、嫌だ。

 ましてや菫は、人見知りが激しく、物静かな娘だ。年は、土筆と一つしか違わないが、年の頃より幼い。良くも悪くも、純真な子だった。


 気の弱い彼女では、大柄な男性に抵抗するなんて、とても無理だろう。


 こうなれば、手は一つしかない。


 助けてくださいと、泣きながら縋る妹を見て、土筆は決意を固めた。


「………いい? 菫、よく聞いて?」


 菫の両肩を持って、ベリッと剥がすと、彼女の丸くて大きな瞳を覗き込んだ。


 深呼吸を一つ。

 そして、大事な、大事な、作戦を告げる。


「今夜は、わ。」



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