ファンタジックホース

チャラン

第1話 夢の始まり

 馬をブラシで丁寧に洗っている男がいる。


 中年の男で黒いひげを蓄えている。馬の扱いには随分慣れているようで、その馬はいななきもせず気持ちよさそうに洗われている。


「よし、今日もいい子だな。もう少しで終わるからな」


 男は馬に話しかけながら、手際良く作業を進めた。


 少し経ち、馬を洗い終えたようだ。


「よしよし、御苦労さん。また後で来るからな」


 そう言った男の目は優しかった。


 男は一通り馬達の世話を終え厩舎から出ようとしたが、一人の少年が厩舎の前で待っているのを見止めた。


「こらこら、勝手に厩舎に入っちゃいかんよ」


 男は注意したが、少年は動かず男に話しかけてきた。


「ハワードさんですね。僕は隣村のパラレイクから来たファルスと言います。ここで働かせて頂きたいと思い、やって来ました」


 中年の男ハワードはファルスと名乗った少年の意外な言葉に驚き、厩舎の入り口にいる少年の所まで近寄った。


「あんたはわしのことを知っているのか?」


 まずハワードはそう訊いた。ファルスはこくりとうなずいて答えた。


「ハワードさんの育てた馬はどんな馬でも素晴らしい駿馬になると、僕の村までも評判は届いています。その評判を人づてに聞いてあなたのことを知りました」


 少年にしてはしっかりした物の言いようだとハワードは思った。少しこの少年に惹かれ始めているようだ。だが、ハワードにはもう一つ気になることがあった。


「ふむ……それでこの調教施設で働きたいと思ったのか。しかしあんたはまだかなり若い、親御さんとはちゃんと話をしたのか?」


 ハワードがそう問うとファルスは少しの間、言葉を考えた後、答え始めた。


「両親とは話をつけています。お前の思うようにやりなさいと言ってくれました。僕は馬が大好きで、ここで働くことを夢見ていました。どれだけこき使って頂いても構いません。ここで働かせて下さい」


 ファルス少年の熱意は本物らしい。ハワードは改めてファルスを見てみた。体つきはそう大きくないが、芯が一本通っている頑丈そうな体をしている。なによりハワードは、その澄んだ瞳が気に入った。


「あんたの熱意に負けたよ、じゃあ明日からここで働いてもらおう。分かっているだろうが仕事はきついぞ」


 ハワードはそう言うと、この施設のある建物へファルスに来るように指示した。この馬の牧場兼調教施設における雇用人用の建物で部屋を与えるつもりのようだ。


「ありがとうございます! 精一杯がんばります!」


 ファルスはこの上なく嬉しそうで、昼の柔らかい日差しの中をその建物に向かって全速力で走って行った。




 ハワード調教牧場。


 メイランド王国における名門で、王室、王国士官、はたまた豪商など様々な名士が駿馬を買い付けに来る。


 しかし、牧場の規模としては大きいものではない。雇用人も少ない。そこには、少ない頭数の馬を手塩にかけて育てたいという牧場主兼調教師であるハワードのこだわりがあった。


「おい! こいつに餌をやって、洗っておいてくれ!」

「はい! 分かりました!」


 ファルスがハワードから働く許可をもらった翌日、早速、厩舎内できつい仕事を頑張っている彼の姿があった。


「しかしお前は若いのに変わっているよな、こんなきつい所に働きたいと飛び込んでくるなんてな」


 ファルスに指示を与えている先輩の牧夫が自分の作業を進めながらそう言った。


「馬が大好きなんです、それだけなんです」


 ファルスも馬に牧草を与えながら答えた。


「相当馬が好きなんだろうが、それだけの理由でよく親元から離れて来たもんだな」

「ジンさん」


 ファルスは何かを伝えようとして、先輩牧夫の名を呼んだ。


「なんだ、何か悪いこと言ったか」


 名前を呼ばれたジンは作業を進めながらも、若干自分の言ったことを気にしたようだった。


「いえ、そうじゃないんです。僕がこれだけ馬が好きなのは特別な理由があるというのを言おうと思って」

「ふん? そうなのか、聞いてやろう。話してくれ」


 聞く気になったジンに、ファルスは馬が大好きになるきっかけとなった出来事を話し始めた。


「ジンさんは純白の馬を見たことがありますか?」

「芦毛馬のことか? それならこの牧場でもたまに生まれるぞ」

「いや、芦毛とは違うんです。僕はその馬を見たんですが、本当に綺麗な純白の毛づやをしていました」


 ジンは怪訝な顔をして聞いていたが、ピンとくることがあったようで手をパンと叩いた。


「白毛のことだな、話には聞いたことがあるが、俺はまだ見たことがないな」

「白毛?」


 今度はファルスが怪訝な顔をした。


「生まれつき真っ白で生まれてくる馬がごく稀にいるらしいんだ。白毛ってのはそのことだ」

「なるほど、それなら僕が見た純白の馬も恐らく白毛馬だったんでしょう」


 ファルスも合点がいったようだ。


「で、その馬の話には続きがあるんだろ?」


 ジンは話に興味を持ち始めたようで、一端作業の手を止めた。


「はい、僕の故郷パラレイクには近くに森が広がっているんですが、その森の中に広い開けた場所があるんです。そこは野生馬の絶好の住みかになっています」


 ファルスの話を聞きながら、ジンは相槌を打って言った。


「ああ、そこは知ってる。ハワードさんと何回かそこへ行って野生馬を慣らして連れて帰ったことがあるからな」


 ジンがその場所を知っているのを聞いて、ファルスはうなずいて話を続けた。


「そうでしたか。僕もよくその場所へ行き野生馬を見ていましたが、ある日その場所で偶然、純白の馬を見ました」

「まあ、白毛の馬なら野生馬にもごく稀にいるかも知れないな」

「ええ、非常に運が良かったのかも知れません。僕はその馬をもっと近くで見ようと木陰に隠れながら、ゆっくり近づいて行きました。しかし、その純白の馬に途中で気配を悟られ、逃げられてしまいました」


 ファルスはその時の光景が思い出されてきたようで、言葉にやや興奮を伴っていた。


「それはおしいことをしたな。もっと近くで見たかったろうに」


 ジンはいつの間にか腕を組んで話を聞いている。


「逃げられはしましたが、その純白の馬の速さを見ることができました。それは信じられない速さでした。他の野生馬も僕の気配に勘付いて逃げ出しましたが、それらの馬の二倍以上は速かったはずです。まるで地に足が着かないようで、地面すれすれを飛ぶように駆けて行きました」


 興奮して話すファルスを見て、ジンは首をかしげた。


「おかしいな、白毛馬ってのはそんなに速く走らないって話だが、二倍以上の速さか……」

「はい、ともかくその純白の馬の走る姿に感動して、ますます馬が好きになってしまったので、ここに来てしまったんです」


 ファルスの話は終わった。ジンはそれを一部始終聞いて、ファルスの馬に対する熱心な情熱を十分感じ取った。


「まあなんだ、その話でお前が本当に馬が好きなのがよく分かったよ。ここで精一杯、頑張りな」

「有難うございます」


 ファルスは嬉しそうに笑って礼を言った。


「うん……おっといかんいかん、話過ぎたな。仕事に戻らないと日が暮れちまうぞ」

「はい」


 二人共、それぞれの仕事に戻り、しばらく厩舎内でせっせと働いた。

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