第11話 壁
この国は、本当はこんな顔をしているんだ、とぼくは初めて知った。
それは、1988年、昭和六十三年の夏が終わろうとしている頃からはじまった「自粛ムード」である。天皇陛下が「吐血」し容体が悪い、と報道されると、それまで浮かれていた世の中はいっきに暗転したのだ。バラエティー番組から陽気なオープニングテーマが消えたり、ニュース番組で具体的な病名を明かさないままに、血圧などのデータを告げるのである。
実際、昭和は必ず「激動の」と冠されるように、日本は何度も大きく変貌した。とくに戦後は天皇も人であると宣言され、「象徴」と位置づけられた。正直、「象徴ってなんだ?」という疑問は常にあった。
親戚の家へ行くと、天皇陛下、皇后陛下の写真と皇居の写真が飾られていたりして、「どういうこと?」と思った。床屋には皇室のカレンダーが飾られていて、「なんで?」と思った。
そして社会も表面的には象徴に対する敬意をときどき見せるものの、通常は素知らぬ顔をして正面から取り上げないできた。
それがまったく変わってしまったのだ。
「困るよね」と、バーのマスターが呟く。「年末は稼ぎ時だけど、こうなるとどうなるかわからない」と。
バブルな景気はまだ続いており、銀座も賑やかさは変わらない。人々は忙しい。おカネのある人たちは夜遅くまで遊ぶ。
殿山が遅れてやってきた。
「来年はどうなるか、わからないね」と彼も言う。
それはふたつの意味があった。時代が変わる。日本がどうなるか、という意味。もうひとつは、まこさん亡きあとの編集部がどうなるか、だ。
あの日、まこさんは九時に大手町のクライアント先で営業企画の経営者インタビューが予定されていて、梅宮と田所けいちゃんが現地で待っていたのに、現れなかった。インタビューは梅宮がこなして問題は起きなかった。一時間半ほどで取材が終わり、田所と梅宮はそれでも出社していないまこさんが気がかりで、総務経理課長の島原とまこさんの自宅へ向かった。
島原は梅宮、田所、まこさんとほぼ同世代でみな四十代に入ったところだった。この四人はプライベートでも仲がよかった。ぼくが入社する前から続く関係性があり、あとから入った者はうかつにそこには入り込めない雰囲気があった。本来、ぼくの上司であるべきクマイもそのひとりなのだが。
島原はまこさんが足立区にあるその団地の一室への引越しを手伝った上に、合い鍵を託されていた。島原は噂では二度離婚していまは独身だった。独身同士で、万が一のときのためにと、合い鍵を交換して保管していたという。それが、まさか役に立つとは思わなかったようだが。
まこさんは廊下で倒れていた。裸だったらしい。朝風呂に入って、具合が悪くなり廊下に出たところで絶命したらしかった。救急車を呼んで、大学病院に運ばれたものの、死亡が確認された。いわゆる突然死である。
山梨の親戚が遺体を引き取っていったので、葬儀は実家で行われた。会社からは社長と島原が出席した。東京では、お別れの会を開いた。普段ならそうそう会えない企業のトップたちが数人顔を出し、まこさんの思い出を語った。経営トップたちの中でも、世代の近い者たちとは飲む機会も多かったようで、武勇伝には事欠かなかった。
記者クラブつながりで他社の人たちも大勢やってきた。
ぼくにとっては、入社以来の精神的支柱であり、なにかといえば、彼女の判断に頼ってきた面もあり、突き放されてしまった気がした。
副編に降格されていた梅宮が編集長に昇格し、ベテラン記者のひとりが副編になった。それは臨時の体制に過ぎず、しばらくして経営側は編集の抜本的な再編を行った。まこさんがいた時には、まこさんが大反対していたのでできなかったのだ。編集長には、大阪支社で長くキャップをやっていた男が赴任してくることになった。梅宮は大阪支社へ行く。単身赴任で。
この大きな変化によって、また数人の記者が去って行った。その中に、松本奈美江もいた。
何度か彼女とはデートをした。
デートといってもドライブしてメシを食う。話題の多くは会社のことや記事のこと、メディアや出版の話だ。
「PRって興味あるなあ」と彼女は言う。大学時代の同期がPR会社に入っていて誘われているらしい。
「蓄財時報」よりはずっといい。ただ、ぼくは編集や記事を書くことを辞めたいとは思っていなかった。
「だけど、こんなところじゃ、発揮できないよ」と彼女は言う。
スタートラインが違うのだ、とぼくは思ったものの、それは口にはしにくい話だった。この会社に潜り込んで、いまなんとか技術を身につけたに過ぎず、そもそも「こういう仕事がしたい」といった明確なビジョンはなかった。
「ねえ、なにがしたいの?」と彼女に言われた。「雑誌がやりたいんだよね。だったら、本気で雑誌の仕事をした方がよくない?」
以前だったら、そんな言葉に迷うことはなかっただろう。
だが、まこさんは、ぼくに「死」を突きつけてきたのだ。「どうすんだよ、ええ?」と彼女なら言うだろう。「ええかげんにせえや、男だろ、びっしっとせい! そんなんじゃモテへんで!」と背中を叩かれただろう。
「確かに、そうだな」とぼくは奈美江に答えた。
しかし、なんの手掛かりもなく、なにをどうすれば、ぼくは自分のやりたい雑誌づくりの仕事へ進めるのか、さっぱりわからずにいた。どう攻略していいのかわからない壁がそこにあるようだった。
彼女はさっさと会社を辞めてPR会社へ転職していき、それきり、何度か電話で話しただけで、会うこともなくなってしまった。
だからといって、「蓄財時報」も違う、と思っていた。一度は声をかけてくれた。とっくに新雑誌は発行されているだろう。いまさらそこへ行く気にもなれない。向こうだってもうこっちに興味はないだろう。
会社内に吹く人事の嵐の中で、ぼくは専門誌づくりという島にしがみついてやり過ごそうとしていたのだが、どうも、そうはいかなくなりそうだった。
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