第3話 線で結ぶ瞬間
「ったく、面倒事に巻き込みやがって……」
神宿ダンジョンの一五階層。
何の準備もなく跳び込むことになってしまった飛田貫伊織を救った存在は、先のパーティと比較するまでもなく異質な装いをしていた。
日本人にしてはやや白い肌に袖無しのインナー、全体的に幅の広いワイドジーンズに身を包んだ姿はダンジョン発生に伴う混乱が発生する前の新宿ならば違和感なく馴染めただろう。
幽鬼の如く縮れた白髪の奥では、漆黒の双眸が無機質に周囲を見回す。左半分に渡る獣に引き裂かれた傷痕も、少年の醸し出す雰囲気を強調していた。
「頭は潰れた、後は手足か」
少年の戦意に呼応してか、右肩に内蔵された駆動部が唸りを上げ、剥き出しのチューブを伝ってエネルギーを腕全体へと伝播させる。
眼光が捉えた魔狼の数は呼び出した直後ということも手伝ってか、然したる困難でもない。
シリンダーが音を鳴らして腕を振り被ると、常人よりも二周りは大柄な右手を握り、鋼鉄の拳を形成した。
肩から突き出した放熱フィンが外界との気温差に蒸気を発すると、表情に僅かな怯えを見せた魔狼達が後退る。
勝算があるならば彼らは疑うこともなく侵入者へと特攻し、後ろに控える同胞やウェアウルフへ繋げようと画策する。だが眼前に立つ少年に対して、主から分離したばかりの魔狼の軍勢など取るに足らない。
無駄死にが半ば見えている状況。魔狼達が選択したのは短絡的な解決手段ではなく、長期的視野に伴った解決手段であった。
即ち、敵の眼前での逃走。
「チッ、逃げるんなら最初から出てくんなよ」
やがて魔狼の一団が撤退すると。嘆息を零して少年は張り詰めた空気を幾分か緩和する。同時に放熱フィンから蒸気が噴き出し、効率的にエネルギーを運送していたチューブも撓みを見せた。
首を何度か鳴らし、少年は視線を少女へと注ぐ。
漆黒の眼差しからは凡そ光の類が伺えず、それこそ先のウェアウルフが開けた大口の先を伊織に連想させた。
「……ぁ」
「でだ、テメェはいったい何者だ。見た感じ、一五階層に入っていい実力は見えねぇが?」
「あ、あの……その……」
伊織の脳裏に先程セージに指摘され、信用を得られなかった経験が蘇る。
事実、少年の目には疑惑の色が明瞭に灯っている。彼とて慈善事業で伊織を助けた訳ではあるまい。現に時折視線が天井に──先の一撃で絶命した人狼へと向けられている。
「あ、あの㒒は……その、穴に落ちたら……ここに」
何故素直な言葉を吐けたのか。伊織自身にも分からない違和感の由来はしかし、少年の第一印象をいい方向へと傾かせる。
「穴だぁ? いったい、どこの穴だよ。ここらに繋がる穴なら、ガキが落ちねぇ程度の配慮はされてるはずだが……」
「その、橋を渡ってすぐの場所の……道路で……」
「橋を渡ってすぐだぁ?! あー、そういう系の馬鹿かぁ」
心当たりがあるのか、少年は頭を掻いて目線を上向きに逸らす。
その仕草に理解が及ばない伊織は首を傾げるも、答えが返ってくる様子はない。そして身体を起こそうと腕に力を入れるも、力なく揺れるばかりで成果には繋がらず。
再度疑問符を頭上に浮かべる伊織に対し、少年は呆れた様子で左手を伸ばす。
土や血に濡れ、数多の切り傷や潰れた肉刺で凹凸の目立つ手はまさしく冒険者にありがちなものであった。
「おら、腰抜かしたんだろ」
「あ、ありがとう……ございます」
小声で礼を零すと、伊織は桜の瞳を足元へと落とした。
すると、安全が確保されたことも相まってか。意識はカーディガンに纏わりついた汚れへと注がれる。
「うわ、凄い汚れです。せっかくの制服なのにです!」
「なんだよ汚れの一つで。神宿ダンジョンは岩肌も露骨なヤツだし、そら汚れも目立つだろ」
「華のJKなんですけど、㒒はッ?!」
「知らねぇよ。てか、気にするなら腕とか頭の怪我だろ」
「頭?」
指摘され、伊織は頭に手を置く。
返ってくるのは粘度の高い不快な感触。そして未だ生暖かい、新鮮な血液の手触り。
わざわざ視界の中に入れ込む気もしない感触に血の気が引く少女に対して、少年は何度目ともなる嘆息を零す。最初からダンジョンに潜る前提ならば当然の準備も、先の証言が正しければしていなくても仕方ない。
そして丸腰の少女が一五階層から地上に帰還を果たす可能性は、〇に等しい。
「ったく。ホラよ、回復薬だ……金は後払いでいい」
「金取るんですか。巻き込まれたJK相手に」
腰に携えた布袋から取り出した硝子管を受け取り、伊織は中身の溶液へ感心を向ける。
緑の溶液は多少振れば一拍遅れて左右に水面を動かす。粘度の関係か、内部には幾つも水泡が包まれていた。
得体の知れない液体に不信感を露わにする少女は、眼差しに訝しげなものを混じらせた。何せ見ず知らずの男性が女子高生へ渡した液体である、警戒するに越したことはない。
回復薬と明言したにも関わらず、一向に飲む気配を見せない少女の姿に少年は不快感で義手を軋ませた。
「怪我してる分際でナニ警戒してやがんだよ」
「だだだって、㒒は華のJケ……!」
「それは何度も聞いたってのッ。金は後でいいから、さっさと飲めっつってんだよ、血が流れてると魔物が反応すんだろうが!」
「は、はいです!」
魔物が反応する。
その一言は伊織が警戒すべき相手を眼前の少年から、まだ見ぬ魔物へと移すには充分であった。
大慌てで口を上向きにし、重力に任せて緑の液体を飲み干す。
乱暴に硝子管を投げ捨てると、衝撃で音を立てて砕けた。
喉越しこそ確かに悪くない。アレルギーや味付けで使用者が拒否反応を見せないよう工夫を凝らしたのだろう、水とも異なる無味無臭の液体は口当たりに違和感だけを残す。
飲み干した直後から全身を巡る活力、新陳代謝が著しく向上している感覚は回復薬が正しく作用している証明であり、疑う余地はない。事実として低下していた体温が俄かに温まり、左腕の流血も収まっている。
とはいえ。
「不味いです、これ!」
危険に跳び込んだ経験もない少女に、味よりも優先すべきものがあるという発想はない。
「うっせぇな、それが一番コスパがいいんだよ!
つうか、歩ける程度に回復したならさっさと行くぞ。あんまり騒ぐと、そっちでなんか来そうだ」
「は、はいです。あ、㒒は飛田貫伊織っていいますですッ。アナタは誰です?」
今更ながら互いの名前すらも知らないことに気づいた伊織は、先んじて名乗った。少年にも名乗りを強要するように首を傾げると、名乗られた側は頬を掻いて逡巡を数秒。
「……
「はいですッ。加古川さん!」
あまりに屈託ない笑顔と、素直な対応を示す伊織に毒気が抜かれたのか。加古川は踵を返して前進を開始する。
黒髪を揺らして後を追う伊織は、余裕が生まれたことで進行方向にいるはずの人々へ注ぐ意識が生まれた。彼と出会う前に遭遇し、拒絶されたパーティーに。
「この先でセージって人が率いてるパーティーがいるはずです。彼らにも助けて貰えば……」
「やだ、っていうか無理だな」
「なんでです?!」
名案を出したつもりであった。にも関わらず、一拍も置くことなく拒否されては声の一つも上がるというもの。
当然、反論の言葉を述べるも、加古川は意に介することもなく正面を向き続ける。
「だって仕方ねぇだろ。俺、無許可で潜ってんだからよ」
「へ……?」
無許可。
政府公認の冒険者ギルドが全国各地に存在する現在、ギルドの許可なくダンジョンに潜ることは法律で禁止されている。当然、簡素ながらも装備を揃えていたセージ達は公的な許しを得てダンジョンへと突入しているだろう。
では、無許可とは?
停止した思考に伴って、その場で足を止めていた伊織に気づいたのか。加古川が縮れた白髪を揺らして振り返る。
そこに宿った意思の意味は、伺えない。
「んだよ、知らねぇか。外側冒険者だとか、後はカッコつけてる奴はバーとか言ってるヤツ。
それだよ、俺は」
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