元現役JKと行くアウトローなダンジョン生活

幼縁会

第一章──胎動

第1話 からっぽの星

「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねッ」


 何度も何度も、執拗なまでに右手に握る鉄パイプを振り下ろす。

 家屋を支えるため、強靭に造られた得物を振るう度に崩れた肉体から噴き出した返り血が少女の顔を赤く濡らす。が、それでも構うことなく、まるで憑りつかれたかの如く鉄パイプを振り下ろす。

 生々しい音が正面に立つ壁面に反射し、周囲に生い茂る雑草へ芳醇な鮮血の栄養を届ける。

 曇天の空は少女の所業を神の眼から覆い、現場に生ある者は彼女のみ。


「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ねッ」


 口から漏れ出る呪詛の念は、華の青春こそが相応しい肌色のスクールカーディガンやチェック模様のスカートからは著しく乖離し、鬼気迫る表情からは普段の人格も伺えない。

 我武者羅に振り下ろす得物の反動で右手の感覚が覚束なくなり、微かな痺れに握りも甘くなる。

 なおも打撲を繰り返す少女が正気に戻ったのは、一身に攻撃を浴びせられ続けた獣が頭を垂れた時。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 呼吸も忘れて散々繰り返してきたからか、上体をやや前のめりにした少女は肩で息をする。力なく落下する鉄パイプが無機質な金属音を鳴らすも、彼女が愛用の武具へ意識を傾けることはない。

 眼前の獣は、紛うことなく異形。

 日本在住の狼すら絶滅した現在、彼らの存在はファンタジーと同類に位置する。気高く逆立つ毛並も月夜に吼える顎も弱者を引き裂く爪牙も、空想の産物と呼んで差し支えない。

 即ちそれは、日常の延長線上。


「なんで、魔狼まろうがダンジョンの外に……?」


 少女が呟くと、示し合わせたように魔狼は漆黒の体躯を霧散させ、幾つかの爪と怪しく輝く紫の鉱石を遺した。舞い散る紫煙の奥には、おそらく先んじて捕食された人間だった肉塊が半端に消化されたグロテスクな風貌を晒す。

 学校指定のカーディガンは、少女と所属を同じくすることを意味した。尤も顔面の崩壊も著しい惨状では、個人を特定することは不可能だが。


「うッ」


 喉の奥までせり上がった吐瀉物を強引に呑み込むと、少女は意識をドロップした幾つかの鉱石や魔狼の素材。そして付近に落ちていた鞄へと移す。

 震えた手先で鞄から零れた中身を拾い上げ、ついでにドロップ品も乱雑に放り込む。


飛田貫ひたぬき伊織いおり……? うん、そうだ。㒒は伊織だ……」


 証明証に写し出されていたのは、黒髪を赤いクリップで止めた少女。桜色の瞳は右こそ快活に開いているが、左はウインクをしていた。

 動転した精神が落ち着くためか、端から聞けば訳の分からないことを口にし、伊織は鞄を肩にかけて起き上がる。

 すると、アドレナリンの過剰分泌を終了したことで身を裂く激痛を遅れて主張し始めた左腕を抑えた。

 視線を送れば、カーディガンには牙で穿たれた穴が幾つも浮かび、内から止め処なく血を噴き出しているではないか。

 途端、訳の分からない衝動に駆られ、少女は左右に視線を送ると一心不乱に走り出した。

 途中、校門前に立っていた警備員が血を滴らせた伊織の姿に声をかける。が、肝心の少女は振り向くこともなく、悲痛な表情で高校を後にした。


「あ、おい君ッ」

「この量は不味いだろッ」


 遅れて滴る鮮血の量に気づいた警備員達が騒然となるも、伊織は我関せずと先を進む。

 何から逃げているのか。何故逃げているのか。

 肝心要の部分に、伊織自身も理解が及ばない。ただ漠然とした恐怖心が、ひたすらに歩みを進めさせる。身体を駆動させ、春先にも関わらず底冷えする肉体を動かす。

 神宿区の一角に建設された高校は、多少足を進めるだけで人通りの活発な都市部へと到着する。

 だが、それでも少女は歩みを止めない。

 伊織の足は目的もなく、歩み続ける。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 衆目が等しく、たった一人の少女へ注がれるような。

 反射する鏡が伊織を責め立てるような。

 自分を指差し否定するためだけに世界が存在するような。

 被害妄想と呼ぶに相応しい思考に脳裏が埋め尽くされる中、彼女は都市部との境に建造された橋へと追い立てられる。辺り一面に立てられた看板の数々など、足を止める理由になどならないとばかりに。


『武装推奨』

『この先神宿しんじゅくダンジョン、漏れ出る魔物に注意』

『古都を解体せよ』


 川のせせらぎこそ安寧を告げるものの、他の静寂は平穏とは程遠い。

 都市部から距離が離れるほど、人の気配が抜け落ちる。生活感などという生温いものは排除され、残酷なまでの無音に支配された廃墟との距離が縮まる。

 それこそが、今の自分には相応しいとばかりに。

 気づけば伊織が抑えていたのは左腕ではなく、自身の顔になっていた。

 体力が枯渇したのか、ふらつく足取りが幽鬼のそれを彷彿とさせる。血液諸共に体温も抜け落ちたのか、寒さに震える様は季節との差異も重なって不気味さを強調する。

 しかして見開かれた両の目に宿るナニカだけは、煌々と熱を主張していた。


「……」


 本来徒歩での移動など考慮されていない大橋を、どれだけの時間をかけて歩き切ったのか。

 白い息を天へと上らせる幽鬼が古都の大地を踏み。


「……は?」


 返ってくるはずの感覚がない足元へと視線を送る。

 既に姿勢は崩れ、伊織の視界には地面、ですらない虚空が迫って来る。


「落とし……!」


 落とし穴の極僅かな言葉を言い切る猶予すらなく、少女の身体は深淵の奥へと吸い込まれていった。

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