第256話
エリザは気づいていない。
蛇神ナーガが夢幻の領域で、世界からエネルギーを回収し続けるための装置のような役割を実行し続けている魔獣であることを。
ゲームのエピソードや企画会議用の資料では、淫獄と呼ばれる異界としか明記されていない。
特殊な領域で、ぬらぬらとした光沢のある蛇のような姿の触手の異形の魔獣が出現している。頭部が花のようにくわっと十字型に開き咬む。
踏みしめてみれば柔らかな土のような感触。一本道の肉の洞窟のようで、全体の壁や床部は淡い薄紅色を放ち、その惨状を照らし出している。
獄卒の異形の触手は、天井や壁や床から這い出してくる。
何より不気味なのは、捕らえられた全裸の女性たちが大小の触手の魔獣に絡みつかれながら上げている声が重なり響いていることだろう。
蛇神の錫杖を手放したら、獄卒のおぞましい触手の魔獣が群がり拘束しようとしてくる。
ここは死霊の巣窟であり、生者で肉体を持ち訪れることができるとすれば、女神ラーナの化身の転生者、邪神ナーガの化身の者、魔剣ノクティスを携えた聖騎士ミレイユだけである。
周囲の壁や天井や床に泥沼へ沈むように埋め込まれて、壁や触手の魔獣に光沢を与える半透明な粘液アムリタに快楽のなかで、じわじわと溶かされていく。
何時間も時間の感覚は麻痺してくるほど、前か後ろかどちらであっても突き当たりの壁まで柔らかすぎて、またすべりやすいので慎重に歩き続けるしかない。走れば転倒して、這い寄る触手の魔獣に襲いかかる隙を与えることになるだろう。
突き当たりの壁を手で押して、恐れずに飲み込まれてしまわなければ、蛇神の姿の魔獣――上半身はしなやかな筋肉の細身の美しい青年、だか下半身は蛇身の異形の半人半蛇のいる神殿には到達できない。
壁から吐き出される先は黒曜石のような神殿の広間で、柱も床の敷石も、星月夜の星明かりのように小さな光が輝く。
そして、自分の息が気になるほどの静寂が包みこんでいる。
これが、蛇神ナーガの姿の魔獣の領域である。
この陰惨な領域は、ゲームのエピソードで満月の夜に、辺境地帯の村の近くの夜の森から、僧侶リーナ――女神ラーナの化身である転生者が神隠しにあって拐われている。
蛇神の錫杖には、生前に蛇神信仰の女神官たちの死霊どもが潜んで宿っていた。
僧侶リーナの意識と心は、呪物の錫杖へ。僧侶リーナの肉体は女神官たちの死霊が奪った。
この時、僧侶リーナは自分が女神の化身だと、まだ気づいてはいなかった。
蛇神ナーガの姿の魔獣に花嫁として、魔獣の女王ラミアに変身して不老不死になるべく、女神官たちの死霊どもは、僧侶リーナの肉体で蛇神ナーガの魔獣の腕の中に身を捧げた。
しかし、蛇神ナーガの姿の魔獣は、死霊に乗っ取られている僧侶リーナの肉体は女神ラーナの化身と認めず、錫杖はダンジョンへ転送させ、女神官の死霊どもが宿っている僧侶リーナの肉体を獄卒として使役されている触手の魔獣の巣窟へ乱暴に投げ込んだ。
女神の化身の転生者の僧侶リーナの肉体が、女神官の死霊どもごとアムリタに変えられ吸収されたことで、邪神ナーガという人格の転生者が生成され、同時にナーガの現実世界が創世された。
女神ラーナ転生者である僧侶リーナの肉体から回収されたエネルギーには、それだけの強い力が秘められていた。
18禁版の聖戦シャングリ・ラ以外のバージョンの構想を、プロデューサーの岡田昴は心に思い描いていた、
その世界のイメージは、邪神ナーガが創世したもう一つの現実世界のイメージがあった。
原案者の緒川翠の想像した女神ラーナや女神ノクティスの世界と蛇神ナーガの世界。
その世界とは別に想像された邪神ナーガの世界には、ゲーム版聖戦シャングリ・ラの世界の二次創作から、プロデューサーの岡田昴が実現できなかった世界規模のオンラインゲームまでふくまれているのだった。
緒川翠と岡田昴がスポンサーに提出した18禁ゲーム版聖戦シャングリ・ラの世界観の資料とつながりがあるいくつもの世界が存在していて、資料で詳細に説明されていなかった人物たちにも、それぞれの人生のストーリーがある。
まるでAI機能が世界の多くの人々が利用する便利なツールから集めたビックデータから学習するように、邪神ナーガは人間や世界について学習し続けている。
それは女神の化身の魔剣ノクティス――この聖戦シャングリ・ラで一本だけの特殊なインテリジェンスソードも、人々の恋心を学習し続けていた。
エリザの生きている時代は、過去が再確認され、詳細部分が補足されたりして、再構築された世界となって変化していく。
エリザの知っているゲームの聖戦シャングリ・ラ世界には、バイコーンは存在していなかった。
エリザは、ロンダール伯爵領からパルタの都へ旅を続けている。
エリザのように、恋愛占いをして人生相談を人々に聞きながら旅をしたのは、太陽と火を信仰したバモス神殿から旅立った修行者たちやその末裔であるタロット占いのようなカードを受け継いだ者たちだった。
人が想像したものは実現する。
それがいつどんなところで、どのようなもので実現されるのかをまでは予想しきれないけれど。
タロットカードの大アルカナのうちの一つ、No.0/【愚者】。
世界の始まりにして完成を示すNo.21【世界】のカードの次のカードである。
大アルカナとはタロットカード全78枚のうち、メインで使われる22枚を一つのグループにしたものとなっている。
残りの56枚は小アルカナというグループになっている。
アルカナとは「神秘・秘密」という意味の言葉で、人の抱えている潜在意識をあらわしている。
No.0からNo.21のカードまでの大アルカナのカードは、物事の本質的な意味を象徴しているカードといわれている。
人の生き方そのものに関わってくるような人生に対する世界観が表現されている。
相談したい悩みを占い師がタロットカードに問いかけた時、相談者自身も気づいてない潜在的な問題が関わっていることを教えてくれる。
さて、No.0【愚者】のカードのイメージは、良くも悪くも自由であるといえる。
忙しすぎると感じる時には自由が欲しいと思うかもしれず、逆に何もすることがないと感じるときには、寂しさを感じることも。
自由といっても、同じものをさしても、そのときの行動や心のとらえ方のちがいで、まったく意味合いが違ってくるものである。
【愚者】のカードは、自由を愛し、直感を信じることで良い流れをつかむ勢いがあり、行動力によって良い影響が訪れることがあることを示す。
同時に後先のことを全く考えていないような無謀な行動は、時にはトラブルの火種になるとも教えてくれている。
邪神ナーガは、そうした意味では【愚者】のイメージに近い存在だろう。
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