五章 いつも同じ

5-1

 ムネヒサとアイナの奪還作戦から帰った明くる日の朝方。

 キルトは作業机の椅子に座るアイナが朝食のビスケットを食べ終わるのをじっと見つめて待っていた。


「アイナ。食べ終わったら出るぞ」

「……どこ?」


 口の中で細かく砕かれたであろうビスケットを呑み込んでからアイナが訊き返した。


「アイナの家に。昨日、帰るって約束しただろ?」

「……いつも同じ」


 またも詰まらなさそうに沈んだ声で呟いた。

 キルトは気の毒に感じながらも努めて表情を厳しくする。


「いつもと同じかもしれないが、何も言わずに家を出ていったままではよくない」


 顔は真剣でも柔らかい言葉遣いで是非を断じた。

 キルトの言うことをもっともだと思ったのか、アイナは無言で小さく頷いた。


「家の近くまでは一緒に行って話し相手になってやるから。そうすればアイナも退屈じゃないだろう?」

「うん。お兄さん面白い」


 少しだけ安心感が湧いたらしくアイナは笑顔を見せた。


「なら、食べ終わってから出発だな」

「うん」


 帰宅の意思を確かめたその時、工房の出入り口がいきなり開けられた。

 突然の来訪者にキルトが驚きの眼を出入り口へ向けると クリーム色のワンピースを臙脂色のベルトで締めた服装のヨーカが大きな布製の旅行鞄を提げて立っている。

 ヨーカはキルトと目が合うと真剣な顔つきで口を開いた。


「急遽、予定が変わったの。修理せずにムネヒサを返してくれないかしら?」

「何があったんだ?」

「……そうね。そうよね」


 キルトの問いかけに目が覚めたような顔でそう返した。

 ますます訝るキルトの視線に応えるように近寄ってきて微笑む。


「突然来て修理依頼を取り消そうとしたら、何があったのか疑問に思って当然だわ」

「で、何があったんだ?」


 キルトが本題を急かした。

 ヨーカは足元に旅行鞄を置くと、表情に真剣さを戻して答える。


「今朝。会社から電話が掛かってきたの。軍が私のことを探してるらしいわ」

「身は割れてるんだな。ムネヒサを取り返しに来るつもりだろうか」

「おそらくね。どうしてそんなに執着するのかしら」


 煩わしさで顔を歪めた。

 ウルシダの事が知られればアイナの身も危ないな。

 キルトは案じて、ヨーカに懸念を投げかける。


「アイナの事は何か聞いてないか?」

「私は何も聞いてないわ。そもそも社長から聞いた話だと私自身を探しているらしいの」

「見つけ次第、ムネヒサとアイナの居場所を聞き出すんだろう」

「お兄さん。何?」


 自分の名前が聞こえたからだろう、アイナがキルトに質問した。

 ヨーカが誤魔化すような微笑をアイナに向ける。


「アイナちゃん。ちょっとだけお兄さんと話をさせて?」

「わかった」


 アイナは頷くと手元のコップに目を移した。

 微笑を引っ込めたヨーカの顔に憂いが浮かぶ。


「ムネヒサを取り戻せてよかった、なんて言ってる場合じゃないの。ムネヒサを奪いに来るのは時間の問題ね」

「身体を作り直してる暇はなさそうだな。軍がウルシダの所まで来るのにどれぐらい猶予がある?」

「わかんない。でも明日には自宅に来るかも」


 軍兵が押し入ってくる想像をしているのか、不安そうな瞳で言った。

 ムネヒサの身体を作り直してやりたいが、やむを得ないな。

 キルトは仕方ない気持ちで粗筵の上のムネヒサの頭部を振り返った。


「返して欲しいと言うなら返却する他ないだろう。ムネヒサの所有権はウルシダにあり、依頼主の頼みでは俺に断る権限はないからな」

「ごめんなさい。私の方から頼んだのに」

「場合が場合だ。ムネヒサは返そう」


 キルトは言い切った。

 感謝の目で見てくるヨーカに、キルトは新しい疑問をぶつける。


「だが、どうするんだ。ムネヒサを返したとしても軍の者はウルシダのところへ来るんじゃないか。捜索されたらムネヒサが見つかってしまうだろう?」

「そうね。だから私はこの街を出ることにしたの」


 ヨーカは決意を告げた。

 そしてすぐに寂しげな泣き笑いの顔になる。


「この街の事は好きなの。近所の人は親切だし、会社の人も一人暮らしだからって気遣ってくれる。あなたみたいにムネヒサの事を大切に扱ってくれる人とも出会えた」

「機工人間を家族だと思っている人間がいるとわかって、俺も少し嬉しかったぞ」


 キルトは機工人間の修理工として感謝をお返しした。

 ありがとう、とヨーカが泣き笑いの笑いの割合を増やす。


「そう言ってもらえるとムネヒサを大切にしてきて良かったと思うわ」

「機工人間はそもそも人間の補助をするために開発されたんだ。人の代わりに戦場で犠牲になるためじゃない。まあこの考えは養父の受け売りだけどな」


 キルトはしかつめらしく言ってから照れ臭さを感じて付け足した。


「受け売りでもあなたはそう思ってるじゃない。あなたが他の修理工と違うのはあなたの養父のおかげなのね」

「そうだろうな。さて、返却するぞ」


 これ以上の話の脱線を避けようとキルトは粗筵からムネヒサの頭部を持ち上げた。

 汚れやゴミが付着していないか腕の中で回して確認してからヨーカに差し出す。

 ヨーカは受け取るなりムネヒサの顔の側を自身へ向けた。


「おかえり。兄さん」


 それだけ呟いてムネヒサの頭部を胸で抱きしめた。

 キルトは親愛を味わっている最中申し訳ないと思いながら告げる。


「再会した喜びに浸るのは構わないが、工房を出てからにしてくれないか」

「どうしてよ」


 ムネヒサを胸に抱いたまま心外げに目を上げてヨーカが問い返してくる。

 ビスケットを食べる手を止めてヨーカの事をじっと眺めているアイナを指差した。


「アイナを家まで送ってやるつもりなんだが、ウルシダがいるとここを留守に出来ない」

「ああ、なるほどね」


 キルトの言葉に納得するとムネヒサの頭部の抱擁を解いた。

 片方の脇にムネヒサの頭部を持ち直すと、足元の旅行鞄を開けてその中にムネヒサの頭部を無理やりに仕舞う。


「邪魔しちゃ悪いから行くわね」


 そう言って旅行鞄を重そうに両手で提げ直した。


「街を出ると言ってもどこか行く当てはあるのか?」

「ないわ」


 はっきりと言い切った。

 キルトは急に不安になる。


「大丈夫なのか。そんな無計画で」

「なんとかなるわ。それに遠くに行こうってことは決めてるもの」


 心配いらないとばかりに得々と言った。

 支部所に侵入した時もウルシダの計画は詰めが甘かったからなぁ。

 不安は拭えないが俺には止めることは出来ないとキルトは諦める。


「ウルシダがそれでいいと言うのなら俺は口出ししない。ただくれぐれも身辺には気を付けることだな」

「わかってるわよ。軍の目がどこにあるのかなんて分からないもの、用心するに越したことはないわ」


 注意されるまでもないという言い草で首肯した。

 話の切れ目を待っていたかのように出入り口の方へ身を翻す。


「それじゃ。私は行くわね」

「無事でいることを祈る」

「あなたとアイナちゃんもね」


 出入り口付近で首だけ振り向けてそう言ってから、ヨーカは工房を出ていった。

 工房前の坂道を下り始め、ヨーカの姿が完全に坂の下に見えなくなる。

 キルトはアイナへ視線を戻した。


「アイナ。食べ終わったか」

「まだ」

「なら早く食べ終えてくれ。あんまり出発が遅くなると、森で野宿することになってしまう」

「わかった」


 アイナは頷くとコップの水に浸かっていたビスケット一枚を手で摘まみ上げた。

 口に入れた瞬間、アイナの目尻が残念そうに垂れ下がる。


「どうしたアイナ?」

「バリバリいわない」

「浸け過ぎたな」


 アイナの疑問に答えて笑い掛ける。

 食べ終わった、とアイナにビスケットの無くなったコップを見せられてから、キルトは出掛けるための荷物を手元に揃えた。

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