4-5
ウルシダと揃って声のした方向を見ると、突き当りの分帰路に軍兵が訝しそうな顔をして立っていた。
キルトとウルシダが返事に窮していると、軍兵が腰に佩いている細剣の柄に手を添えた。
「お前たちか。倉庫を開けて回った侵入者は?」
「だから、うっ……」
言い返そうとしたキルトの口がヨーカの手に塞がれた。
キルトの口を手で押さえたままヨーカは耳打ちする。
「今のあなたは女性。喋らないで」
ヨーカには何か考えがあるのだろう、とキルトは従うことにした。
キルトの代わりにヨーカが軍兵に答える。
「道に迷ったのよ。悪い?」
「……特定の通路以外は立ち入り禁止のはずだが?」
「ずっとこの建物の中央部分が気になってたのよ。だから間が差して入っちゃったの」
「給食会社の人間が迷ってここまで来たと?」
「そうよ」
「では何故、機工人間の頭部を盗んでいる?」
軍兵がヨーカの抱きかかえるムネヒサの頭部を顎で指し示した。
ヨーカは言葉に詰まり、額から首筋にかけて脂汗が噴き出す。
取り繕うように苦笑してから返答する。
「……拾ったのよ」
その答えは無理があるだろ、ウルシダ。
キルトは今すぐにヨーカの頭をはたきたくなった。
「もっとマシな言い訳しろ!」
軍兵が怒号の如く叫んだ。
ひっ、とヨーカが怯む。
ウルシダに打開を任せたのは間違いだったな。
キルトは諦念に近い思いでコックコートの内側にこっそり手を入れた。
この計画のために用意してきた球体を握る。
軍兵が躊躇いなく細剣を鞘から出した。
「素直に言うことを聞けば命は助けてやる。両手を挙げろ」
ウルシダは軍兵を睨んでいたが、仕方なさそうにムネヒサの頭部ごと両手を頭の上まで挙げた。
「ウルシダ。手荒なことをするが許してくれ」
「え、なっ」
キルトは振り向いたヨーカの顔に片手を伸ばして口と鼻を塞いだ。
不意なキルトの行動に戸惑い呻くウルシダを無視して、コックコートから球体を取り出
し軍兵の足元へ投げつける。
突然の飛来物に身構えた軍兵の足元で球体が弾けた。
球体が割れて中から飛び出した緑色の粉塵が、軍兵の姿を消す勢いでまたたく間に軍兵を包んだ。
緑色の粉塵の正体は、染料として調達した苔を乾燥させて粉末状にして固めたものだ。キルトはコックコートの中に緑、青、赤の煙幕玉を用意してきたのだ。
アイナが工房に来遊するごとに染料を持参したため有り余っていたのだ。
キルトはヨーカを台車ごと押して駆け出した。
「逃げるぞウルシダ」
「んっ、んっ」
粉塵に視界を奪われた軍兵の前を通り過ぎて倉庫の並ぶ通路へ入ろうとしたが、慌ただしい軍兵達の足音と指図する声が聞こえて急制動を掛ける。
「んっ、んっ」
ヨーカが口と鼻を塞ぐキルトの手を叩いている。
顔から手を離すとヨーカはキルトに非難の目を向けた。
「いきなり何するのよ」
「逃げるためだ。すまない」
「そうよね。分かってるわよ私も」
悔しそうな怒り口調でヨーカが不満をぶつける間にも、軍兵達の足音は徐々に近づいてきている。
ヨーカが呼吸を塞がれた仕返しのようにキルトの腕を乱暴に掴む。
「なんだ?」
「こっちよ」
つっけんどんに言うと、台車ごとキルトを引っ張って洗濯室へ移動を始める。
洗濯室で隠れ過ごすつもりなのか?
「どうして、そっちに向かうんだ?」
「抜け道があるみたいなの」
「えっ?」
聞き返したタイミングで洗濯室に入った。
ヨーカは質問には答えず、キルトと台車から手を離して洗濯室の蛇口が左右に並んだ間を進んでいく。
キルトが台車を手で押さえたところで、ヨーカが洗濯室の最奥まで行き着いた。
ヨーカ越しに大人一人が通るのでいっぱいであろう、排水のために設けられた足元に隙間のある銅製の両開きの扉が見えた。
「ほら、ここに扉があるでしょ」
ヨーカが証拠を示すように扉を指差す。
「抜け道かどうかの確証はあるのか?」
「ないわよ。けど他に逃げ道のあてはないもの」
仕方がないという声音で言った。
洗濯室の壁越しにも軍兵達の喧騒が刻々と近づいているのがわかる。
賭けるしかないか。
キルトは銅製の扉に意識を注ぐ。
「考えている暇なんてないわ。開けるわよ」
ヨーカが叱咤するように告げ、ムネヒサを片手に抱え直して銅製の扉に手をつく。
だが蝶番が錆びているのか扉は開かない。
渋々とヨーカはムネヒサの頭部をアイナが入った木箱の上に置き、足に踏ん張りを利かせて両手で扉を押した。それでも扉はびくともしない。
扉一つに手こずっている間によりにもよって軍兵達が分岐路で散開したらしく、洗濯室の方へと足音が迫ってきた。
マズいぞ、追いつかれる。
キルトは慌てて足止めできる物はないかと周辺を見回した。
左右に並んだ蛇口の中で一つだけ長いゴムホースを取り付けた蛇口があった。
これだ。
ホースのついた蛇口の栓を勢いよく捻り、ホースの口を洗濯室に入るドアの人間の顔と同じ高さへ向けた。
放水の準備が整うとヨーカに視線を戻す。
ヨーカは未だに足で踏ん張ってドアを押しているが扉が動いた様子はない。
やむを得ない、ホースを固定するか。
固定するためにはゴム紐みたいなものが必要だ。
意外にも頭が冴えているらしくキルトは閃いた。
キャスケット帽を脱ぎ、髪を帽子の中に収めておくために前髪を結わえていたヘア バンドを外した。
ホースをドアに向けたまま蛇口の詮の首部分に添わせ、ヘアバンドできつく固定する。
水がホースを駆けあがっていく。
手を離すと同時にホースの口から水が勢いよく噴射する。
ホースがずり落ちないことを確かめてからキルトはヨーカに駆け寄った。
「ウルシダ!」
「何!」
ヨーカの返問に答えるより先にキルトも銅製の扉を足で踏ん張りながら押した。
たちまち銅製の扉が支えを失ったように動く。
「きゃああ!」
目一杯の力で押していたヨーカが、扉の動きをなぞるようにして前へつんのめった。
扉が開くと俄かに自然光が洗濯室へ射し込む。
賭けに勝った、外だ!
「危ないわね、もう!」
外へ通じる逃げ道を使えた嬉しさへ水を差すような非難に満ちた声を聞いてキルトはヨーカの方を見る。
ヨーカはうつ伏せに倒れた状態から起き上がるところだった。
「押すなら一言いってよ。危ないじゃない!」
「すまない。だがそれどころではない」
キルトは早口に謝って台車を引き寄せた。
わかってるわよ、と不満そうに呟くヨーカへハンドル側を向けて台車を滑らせる。
洗濯室から扉の外は排水のためか一歩分ほどの緩いスロープになっており、台車はヨーカのもとまで簡単に届いた。
その時、洗濯室のドアが開けられ軍兵達のたじろぐ声が聞こえてくる。
「あなた、何やったの?」
「後で話す。すぐにここを離れるぞ」
キルトは台車のハンドルを持ち、どこかに支部所の出口はないかと周囲を見渡す。
洗濯室を出たところから右方向。
キルトとヨーカが給食提供会社の社員として乗ってきた小型の運搬車が停まっていた。
「あっちだ」
キルトが台車を押して駆け出す。
ヨーカはキルトの行く先に何があるか気付いたらしく疑問も持たずについてきた。
「あの車まで行けばいいのね」
「ムネヒサとアイナを積んで発進さえしてしまえば、すぐには追いつけないだろう」
「そうね」
キルトの考えにヨーカは同調した。
それぞれの守るべき物を携えながら運搬車までの距離が短くなっていく。
あとちょっとだ。
輸送車の荷台に描かれた会社のエンブレムが鮮明に見えるまで迫った、その時。
――カキン。
ヨーカが両腕に抱えているムネヒサの頭部を何かが掠めた。
突然の金属音にヨーカがびくりと足を止めて、キルトも一歩だけ多く進んだ場所で立ち止まる。
「どうした?」
「じゅ、銃弾が」
ヨーカは怯んだ声を出して、キルトとの間の地面に視線を向けていた。
キルトはヨーカの視線を追って地面を見下ろす。
言葉通りヨーカの目の前にライフル銃の銃弾が落ちている。
どこから飛んできた?
すぐさま支部所の上層階も含めて四方に目を走らせる。
すると、さきほど自分達が出てきた建物の三階の窓の一つから身を隠すことなく軍兵の一人が窓から狙撃銃を突き出しているのが見えた。
狙撃手はライフルから一度顔を離し、キルト達の位置を確かめるように首を左右に動かした。
ヤバい、次が来る!
「ウルシダ。走れ!」
直感的に危機を感じ取ってキルトは思わず叫んでいた。
呆然自失して地面に落ちた銃弾を見つめているヨーカの二の腕を掴む。
「立ち止まってると撃たれるぞ!」
「あ、そ、そうね。逃げないと」
キルトに怒鳴られ、ヨーカがやっと放心から立ち直る。
次の狙撃が来るまで時間がない。
「クソッ」
キルトはコックコートの内側に手を入れ、残り二個になった煙幕玉の一個を掌に握った。
進行方向の地面に叩きつける。
たちまち青色の粉塵が舞い上がり、キルトとヨーカの姿を消す。
これで少しは狙いにくくなるだろう。
「車の所まで走るぞ!」
粉塵が空気の流れに乗って舞い広がるのを利用して、キルトはヨーカを伴い運搬車までの距離をさらに詰める。
だが残り十歩ぐらいまで接近したところで、青色の粉塵による煙幕は晴れてしまった。
煙幕が晴れたところに出た途端に狙撃の命中率は上がるだろう。
狙撃手からは死角になるところは……運搬車の側面ぐらいか。けれどそこまで行くことが出来れば……
「ウルシダ。車の側面まで走るぞ」
「わかったわ」
キルトの咄嗟の提案だったがヨーカはすぐに了解した。
煙幕が消え去り射程に姿を晒した直後、狙撃の銃弾がキルト達の背後の地面で弾けた。
キルトはすぐさま赤色の煙幕玉を足元に投げつけた。
煙幕に視界を塞がれたのか追加の狙撃は来ない。
狙撃が飛んでこないうちにキルトとヨーカは運搬車の側面に駆け込んで身を屈めた。かろうじて狙撃手から姿を隠すことに成功する。
しかし洗濯室からも追手が来ており息つく暇はない。。
隣でヨーカが乱れた呼吸を整えるのを聞きながらキルトは思案を巡らした。
荷台にムネヒサとアイナを載せるには……
危険だ。ここから身体を出すと狙撃手の射程だろう。
しかしムネヒサとアイナを置いて逃げては意味がない。
「車に乗り込んで発進すればいいのよね?」
なんとかならないか、と問う目でヨーカが訊いた。
「言うは簡単だが、まずはアイナとムネヒサを荷台に載せなければ」
「荷台は無理でしょ。撃たれちゃうわ」
「ではどうすればいい?」
「助手席の足元にでも無理やり入れるしかないわ。あなた狭くても運転出来るでしょ?」
「運転?」
キルトは聞き間違いかと思って問い返した。
「俺は車の運転なんて出来ないぞ」
「はあ?」
キルトの言葉にヨーカが信じられないという顔つきで仰天した。
「あなた運転できるんじゃないの?」
「俺は運転できると言った覚えはないぞ。ウルシダこそ、ずっと前からこの会社に勤めているなら社用車ぐらい運転できるんじゃないのか?」
「私は一度も運転なんてしたことないわよ。あなたが運転してくれるつもりでいたわ」
「俺の方はウルシダが運転できると思ったからこの作戦に反対しなかったんだ」
「じゃあ、どうするのよ?」
「俺がそう言いたい」
「あなたは器用だからやってみれば出来るんじゃない?」
「ウルシダの方こそ長い間この車を運転するところを見ているはずだ」
運転役を決めかねていると、洗濯室で足止めしていた軍兵達が運搬車を目掛けて走ってくるのがキルトの視界に入った。
運転手役を押し付け合っている場合じゃない!
「ウルシダ。エンジンの起動ぐらいはわかるだろ?」
「わかるけど……」
「とにかく車に乗るぞ」
キルトは言うなり助手席側から車内に乗り込んだ。
頭をぶつけないように中腰で運転席まで移動して腰を下ろす。
「エンジンはどうすれば点く?」
「ハンドルの左にある鍵を回して」
「これか」
ヨーカの言う位置に挿したままのエンジンキーがあり、力をさほど加えずに回せる方向へ回した。
幸い一発でエンジンが轟音を立て始める。
「ウルシダ。アイナの箱を出してこっちまで上げてくれ」
「ムネヒサが先」
「ムネヒサが先でもいい。こっちに上げてくれ」
順番気にするなよ、と言い返したいのを堪えてキルトは指示した。
ヨーカが助手席側のドアからムネヒサの頭部を差し出す。
キルトは運転席から助手席側に身を乗り出し両手で受け取り、どこに置こうかと考えて運転席と助手席の中間に置く。
「乱暴に扱わないでね」
「そんなこと言う前にアイナを早く出してあげろ」
「わかってるわよ」
ヨーカは荒く言ってから木箱を開けてアイナを抱き上げた。
アイナは箱の中で揺らされて気を失っていたらしく静かだが、今の状況ではむしろありがたいとキルトは思った。
アイナを車内に運び入れて、ひとまず自分の片膝に座らせておく。
最後に乗り込もうとするヨーカに手を貸して助手席まで引っ張り上げると、キルトの意識は車の運転に傾いた。
「どうすれば動き出すんだ?」
尋ねた瞬間、サイドミラーに軍兵達が運搬車へ駆け寄ってくる様子が視界に入った。
「右! 踏んで!」
ヨーカの切迫した叫び声に従って右のペダルを思い切り踏んだ。
エンジンが唸りをあげて車が動き始める。
追ってくる軍兵達との距離を見ようと運転席側のサイドミラーを覗いた瞬間、サイドミラーが根元から吹き飛んだ。
サイドミラーの破壊が銃撃によるものだとキルトは気が付き肝を冷やす。
「絶対にアクセルを緩めないで!」
ヨーカの張り詰めた怒声に恐怖心が萎んでいく。
「止まったら追い付かれるわよ」
「ああ、わかってる」
気を引き締め直してキルトは後続を意識の外へ追いやってペダルを踏み続ける。
正面に物資搬入用の裏門が見えた。
軍兵達の怠慢なのか、キルトとヨーカが給食提供会社の社員として運搬車に乗って来た時のまま裏門は開いており幸い衝突を恐れる必要がなかった。
追手はまだ来てるのか?
キルトは無意識にサイドミラーで確認しようとして、ついさきほど破壊されたことを思い出して正面に視線を戻した。
速度計が振り切れたのか全く速くなった気はしないが、裏門が急速に目の前まで迫ってきている。
「速度緩めず突っ切って!」
「ああ」
周囲の景色は激流のようで判然としないが、ヨーカの声だけは明瞭に聞こえた。
裏門を走り過ぎたのかどうかさえわからない。
軍兵達が追ってくる気配も感じない。
「この道って来るときに通ったところよね?」
「さあな」
キルトは声だけを返して正面を見続けた。
来るときの道が直線だったことは覚えている。
「もう追ってこないはずよ。この速度で街に出たら危ないから緩めて」
街の主要道路が見えているが、街に出るのも作戦に含まれていたな。
「早く緩めて」
必要は感じないが何か考えがあるのだろう、従うことにしよう。キルトはそう考えた。
……しかしはて、何をどうすれば速度を落とせるのだろうか?
「どう緩めるんだ?」
「ああっー。左! 左踏んで!」
「左だな」
キルトは足元を見下ろし左のペダルを探して踏み込んだ。
車が急に鈍重になった感じを覚えながら、隣から聞こえてきた絹を裂くような悲鳴で耳が痛んだ。
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