3-6

 窓から射し込む薄日が瞼に当たりキルトは目を覚ました。

 ムネヒサを強奪されて他の修理案件がなかったキルトは、昨夜はいつもより早く床に就いていた。しかし長年染み込んだ生活リズムは変わらず起床の時間もだいぶ早まり、外から射す陽はまだ微弱であった。


 早起きしても生憎仕事がない。


 手持無沙汰のキルトは薄日の中で粗筵の上に腕枕で寝転がったまま、昨日寝る直前まで考えていたことを思い返す。


 ハーバ人。

 右腰に覗いた天使の入れ墨。


 頭の中で閃きそうだった昔の記憶。

 ハーバ人という単語に聞き覚えはない。だが天使の入れ墨は何故か引っかかる。

 昔どこかで見た気がする。


「もう一度、詳しく見られればな」


 子細に入れ墨を見れば、引っかかっている記憶の全貌が解明できるかもしれない。

 しかしアイナのいない現状では一瞬見ただけの記憶を頼りに思い出すしかない。

 アイナのことを考えると、ふと心に寒風のような冷たさを感じた。

 この感覚はなんだろうか?

 昔にも味わったことあるような?


「そうか。あの時と同じだ」


 キルトの脳裏に懐かしい顔が浮かぶ、

 養父でありキルトに機工人間の制作と修理の技術を教えたマクダ・ゾーイ

 九年前の秋のある日、キルトを残して忽然と失踪した。

 失踪した後の一人になったことを実感した寂しさ。今の感情は当時の寂しさととても似ている。


「アイナと親父が一緒なのか」


 驚嘆の思いでキルトは宙へ呟いた。

 しかし呟いた言葉は受け取る相手がなく、自分の方へ降って返ってくる。


「俺は寂しいのか」


 今度の呟きは自分の中へ染み込んでいくようだった。

 養父の失踪以来、機工人間の修理を仕事にして食い繋いできた。ただ機工人間のことだけを、依頼の事だけを考えていれば、それで生きてゆけた。

 仕事の事だけを考えて生きてゆくことが当たり前になっていた。

 今こうして自分の気持ちと向き合うのも養父の失踪以来かもしれない。


 養父と過ごした日々。

 アイナの遊びに付き合った近頃。

 そしてアイナを失った自分は何を感じているのか、それは……


「寂しさだろうな」


 確信すると自然と口から笑いが零れる。

 養父の失踪を受け止めて以来久しく湧いてこなかった感情。でもそれは湧いてこなかったのではなく、日々生きる糧のために忘れていただけだった。

 寂しさを自覚するとアイナの遊びに誘う声が今にも聞こえてくるかと思われた。


 楽しそうに遊ぶ姿が見たい。

 楽しそうに話す姿が見たい。

 楽しそうに笑う姿が見たい。

 楽しそうに、楽しそうに、楽しそうに――


「アイナの楽しむのを見るのが好きだったんだな、俺は」


 自覚が芽生えると、今まで以上にアイナを連れ去った奴らへの怒りが激しさを増

す。

 アイナを連れ戻すために、かどわかされた理由を解明しなければならない。


 ハーバ人。

 天使の入れ墨。


 宙に入れ墨の形を指で描いてみた。

 記憶の奥底で遠い思い出が主張している。

 だが、思い出の正体は掴めない。


「ダメだ。わからない」


 キルトは一旦諦めた。

 粗筵から上体を起こし、こめかみを押さえる。

 慣れないことを考えすぎて、頭が痛くなりそうだ。

 他の事をして気を紛らしたい。


「掃除でもするか」


 ムネヒサの修理に熱中して、荷車や工房の清掃を一週間ほどやっていなかった。

 キルトは立ち上がり、箒と塵取りを取って部屋を出る。

 箒で掃き始めると呪縛から解かれたように少しだけ気が楽になった。

 それでも頭の中からアイナの笑顔が消えることはなかった。

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