第14話 重なる世界(2)
今から十数年前、ノルウェーのオスロ大学で相馬ケイ、彩咲クオン、片桐アリスは同級生であった。三人とも日本からの留学生で、図書館先進国である北欧諸国にて司書としてのキャリアアップを目的としていた。
留学一年後、ケイは魔法司書に目覚めた。大学に通いつつオスロ市内の公共図書館で働き、さらにルリユール職人としても既に名が知られつつあった彼女は、それを機にエーテライズ研究に没頭することになる。
それから程なくオスロで開催された世界図書館情報会議においてケイはエーテライズについての論文を発表した。当初は眉唾ものと一笑に付されたが、その後、世界中から魔法司書に目覚めた司書が現れ、その可能性に注目が集まることとなる。
アリスが目覚めたのもその頃で、エーテライズの際の膨大な情報処理の負担を減らすためのデータベースが作成され、それがエーテルキャットのひな型となった。そして世界中の魔法司書達による書誌収集が始まった。
その後、大学で三人と共にエーテライズ研究をおこなったのがエメリックとシューニャを含む研究室であった。
その頃クオンはオルラトルの町立図書館にて研修中で、国立国会図書館司書であった夫の彩咲エイゴウとの娘トワを既にその身に宿していた。
そして九年前のあの日、オルラトルに集まっていた研究室メンバーは、図書館の旧書庫にて神の目録を開く実験をおこない、結果書庫の大半の資料が文字通り『消失』し、立ち会ったメンバーはクオンとアリス、そして本となったイツカを除いて消息不明となった。
「私達魔法司書はエーテルキャットのデータベースにアクセスすることでエーテライズをおこなっていますが、ケイは世界の根源、時の因果そのものにアクセスできると考えていました。その領域を神の目録と仮称し、アクセスする手段を研究していたわけです」
「とんだ傲慢ね」
エメリックの説明にアリスが不機嫌そうに悪態をつく。
「しかしそのためには膨大な時間と空間、記憶が集束した場が必要で、この図書館の旧書庫を実験の場に選んだのもそのためです」
「つまりその妹ちゃんも時計塔で同じことをしようとしてるんだろうね」
トワは時計塔で感じた膨大な人々の記憶を想起する。確かにそこでエーテライズを行えば何かが起こせる気がした。
「でもどうしてイツカくんが……」
「昨晩コードを取り込んだ時、気になることを言っていました。自分が神の目録を開くための鍵だと」
「イツカはケイが作り出したエーテルキャットだとでも言うのかい? バカげている」
アリスは一笑しつつもトワの方をちらりと見る。その可能性を考えなかったわけではなかった。なぜならトワはあまりにも自分の記憶の中のイツカと似ていたからだ。
「もしかしたらケイとシューニャは神の目録から出られなくなったので、私達に助けを求めてコードを送っているのかもしれない。再びこちらから神の目録を開かせるために」
「どちらにせよその妹ちゃんを止めなきゃだね。それでどんな被害が出てしまうかわかったもんじゃない」
アリスはそう言うと立ち上がり、机の上に置かれていた自身のタブレット端末を持ち出す。
「わたしも行きます!」
一人部屋を出ようとするアリスの後ろからトワが呼びかける。
「あんたはエメリックとお留守番だよ。向こうが待ってるって言ったんなら、おそらくあんたも神の目録を開くのに必要ってことだ。わざわざ行くこたあない」
アリスはドアの前で振り返ることもなく言い放つ。
「でもっ!」
「トワさん――」
エメリックが食い下がるトワの肩に腕を乗せ引き止める。
「今日は休館! みんなには家から出るなって言っといておくれ」
「……わかりました。お気をつけて」
「……まったく、すっかり館長の部下が板についちまってるじゃないか。『先生』」
アリスはやれやれと手を振って部屋を出ていった。
アリスが図書館を立ってからトワとエメリックは休館準備を進めていた。
「私はスタッフへの連絡とホームページへの告知を出しておきますので、トワさんは入口に案内を出しておいてください」
「……」
カウンターの中でパソコンに向かってメールを打ちながら話すエメリックであったが、トワは入口の方をぼんやりと見つめていた。見れば空は今にも雨が降り始めそうだった。
「トワさん?」
「あっ、はいっ!」
名前を呼ばれてようやく気が付いたトワは、慌てて入口に休館の札をかけにいく。
「……放っては、おけない――か」
その様子をしばらく見ていたエメリックは、作業をひと段落終えると立ち上がり、やはり外を見たまま立ち尽くしているトワに近づいていく。
「トワさん、少しよろしいでしょうか?」
「……はい」
声をかけるエメリックに、トワは無表情のまま応えた。
外はぽつりぽつりと雨が降り始めていた。
カウンター奥の事務室、使い古された木の作業台の前の椅子にトワは座っていた。作業台の横にはもう今は使われていない古い簡易製本機が埃をかぶっている。固形型の糊を高熱で溶かして紙の束の背を固めて本にするものだが、時間がかかって不便なのだ。
「それもう捨ててもいいんですけどね」
そこへ両手にティーカップを持ったエメリックが入ってくる。
「どうぞ」
そして片方をトワの前の作業台に置いた。中は暖かい紅茶で、甘い匂いが部屋の中に広がる。
「ありがとうございます」
トワは両手でカップをゆっくりと持ち上げると、ふうふうと息を吹きかけてから啜った。身体の中が芯から温まる心地がした。思えば朝食もまだだったので、お腹が空き始めた。
エメリックは作業台を挟んで対面に座ると、足を組んで片手で紅茶を啜り、外を眺めながら話し始めた。
「昔、ケイが大学の研究室に自分の子供を連れて来たことがあった」
「……イツカくんを?」
エメリックはトワの顔を見つめ、無言で頷くと続ける。
「ケイはいつも着物姿だったが、イツカ君も着せられていたな。それがたまらなく嫌だったそうだ」
「イツカくんはどんな子でしたか?」
トワは興味ありげに目を光らせる。イツカは自分のことは話したがらないのだ。
「大人しい子だったよ。今思えば――うん、確かに見た目はあなたとそっくりだが、性格は全然違ったかもしれないね。だが魔法司書としての才能は同様に確かだった」
エメリックは言いながら、トワがリサの店で起こしたエーテライズを思い出す。やはりそれは幼いイツカのそれと似ていたのも事実だった。
「ケイは人にものを教えるのが下手だったから、もっぱら館ちょ……アリスが指導していたようだけどね」
「うんうん」
トワは楽しそうにその話を聞いていた。エメリックはそれを見て少し安心した。自分が怪盗としてやったことが彼女らを追い詰めたのを後悔していたからだ。
「あの実験が行われた日、イツカ君もいたのは事実だ。今日みたいに天気の悪い日で、ケイが予定を前倒しで強行したのを覚えている。どうしてそうしたのかはわからない。そして神の目録は開いた。だがその後何があったのかは思い出せない。気が付けば私は一人どこか遠い場所で自分が誰なのかもわからず何年も彷徨った。その中で自分の特殊な体質と魔法司書の力に気付き、ケイの遺したコードを偶然――いやきっと仕組まれていたんだろうが手に入れた時、自分が何者であったのかを断片的に思い出した。そして今日まで怪盗を名乗ってコードを集めていたってわけさ」
エメリックは軽く話しているが、それが壮絶な体験であったことはトワにもすぐわかった。
「だからイツカ君の気持ちもわからなくもない」
自分の身体の喪失、それは全く生きている心地がしないことを。
「……はい、今はふつうにお話ししてくれるけど、前はちょっと怖かった」
トワは話し出した。イツカと過ごした時を。魔法司書となったその日のことを――
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