第6話 末裔

 佐藤は探偵にあきあきし、ダーツバーを経営していた。田中はどことなく石田衣良に似ていた。

 佐藤、田中、麻美はカラオケボックス『呪い犬』にやって来た。

「あの鰐の着包みきてた奴、変な匂いがしたな」と、田中。

「血みたいな匂いでしたね?」

「そういや、このまえ『individual』に出てたよな?」

『individual』は土曜9時にZテレビでやってるドキュメンタリー番組だ。『individual』は個人を意味する。

「見てくれたんですか?」

「佐藤継信の末裔だったんだな?」

 佐藤継信は治承4年(1180年)、奥州にいた義経が挙兵した源頼朝の陣に赴く際、藤原秀衡の命により弟・忠信とともに義経に随行。義経の郎党として平家追討軍に加わったのち、屋島の戦いで討ち死にした。『吾妻鏡』元暦2年(1185年)2月19日の条によると、義経は継信の死を非常に嘆き悲しみ、1人の僧侶を招き千株松の根元に葬った。また御幸供奉の時に後白河院から賜り、毎回戦場で乗っていた名馬「大夫黒」を僧侶に与えた。『吾妻鏡』は「これは戦士を慈しむ手本である。これを美談としない者はない。」と書いている。


『平家物語』で継信は平教経が義経を狙って放った矢を身代わりとなって受けて戦死したとされているが、『吾妻鏡』では教経は一ノ谷の戦いですでに戦死したことになっている。


『源平盛衰記』によると享年は28(佐藤氏の菩提寺である医王寺の継信の石塔には享年36とある)。墓所は医王寺のほか、後述のように高松市牟礼町に2か所ある。また、京都市内にも佐藤継信・忠信兄弟の墓がある。


 盛衰記では継信は義経の乳母子とされている。


 宇多田ヒカル似の麻美は最近、佐藤といい感じだ。『Automattic』をカラオケで歌ったが59点だった。

 大城が遅れてやって来た。

「外は凄い雨だ」

 大城はハンドタオルで顔や頭を拭いた。

「慶良間はとんでもない奴だ。奴の会社で何人も過労死してる」

 ソファに座りながら大城が言った。

 慶良間は貨物業者だ。どことなく柄本明に似てる。蒸溜所オーナーの菊池鯨は大杉漣、荷造り専門家の斎藤しおりは加藤あいに似てる。

 この日は大盛りあがりだった。

 


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