#6「雛鳥の祭典と小さなポモドーロ -Act-」
「アル! お父様が褒めてくださったわ!」
控え室に飛び込んできたティア様は、満面の笑みを浮かべていた。
頬を紅潮させ、さながら舞台を終えた舞姫のように──けれど、無邪気な輝きを放っていた。普段の淑女然とした雰囲気とは打って変わり、年相応のはしゃぎっぷりだった。
「やっぱりピアノを選んで正解だったわ。あれだけ拍手が来るなんて思ってなかったもの」
喜びを隠しきれず、軽やかにくるりと回るティア様。ドレスの裾がふわりと広がり、まるで花のように咲き誇った。
その様子を見て、俺は胸をなでおろすと同時に、心の奥で次を見据え始めていた。
「お嬢様。ひとまずお疲れ様でした。そして──おめでとうございます」
「ええ、ありがとうアル。……ふふっ、アルがいなかったら、途中で逃げ出していたかもしれないわ」
その言葉に、少しだけ苦笑がこぼれる。けれど──
「……でも、成功したからって、手放しに喜ぶのは、勿体ないと思うんです」
「えっ?」
ティア様がきょとんとした表情を浮かべた。
「うーん……でも、もう十分じゃないかしら? アルのおかげで失敗しなかったし、今はのんびりしてても──」
「反省だけが改善ではありませんよ、お嬢様。良かった点を言語化し、さらに伸ばす。もっと良くできたかもしれない点を検討し、次に繋げるのです」
それが、PDCAサイクル。改善を循環させていくための“練習と吟味を繰り返すための、四つの視点”のようなものだ。
日本にも「勝って兜の緒を締めよ」という言葉がある。成功した後こそ気を引き締めよ、という教訓は、時を越え海を越えて、大切に受け継がれている。
彼女は一瞬口を尖らせた。けれどすぐに、何かに気付いたように視線を落とす。
「……ふふっ。ほんと、不思議なことばっかり教えてくれるのね、アルって」
「恐縮です。お嬢様に役立つことをお届けするのが、私の仕事ですから」
そう告げると、ティア様はくすりと笑い、ふっと息をついた。
「でも、悪くないわね。こうしてちゃんと、未来のことを考えられるって。今までのわたしだったら、きっと逃げてたかもしれない」
「その意識の変化こそ、最大の成果です──この調子で、ポモドーロ・テクニックを今後も活用しましょう」
俺は一拍置き、静かに次の目標を掲げた。
「──オーロラ学園。主席合格を、目指しましょう」
「しゅ、しゅせき……!? また大きく出るのね……!」
座学の勉強は、音楽とはまた違ったアプローチが必要となる。だが、集中力と継続力という点では、確かな共通項があった。
「狙う価値はあると思いますよ」
「ほんと? 言ったわね。だったら、また付き合ってもらうわよ、アル」
宣戦布告のような笑みを浮かべ、ティア様は高らかに告げた。
俺はそっと一礼し、まっすぐに背筋を伸ばす。
「かしこまりました、お嬢様。全力で、支援させていただきます」
─── ༒ ༒ ༒ ───
夜も更けた頃、控え室の一角にて──
「なるほど。お嬢様に対する成果は、確かに出ているようだな」
『プレミエール』の祝宴もひと段落した控え室の一角。俺は、マルセイユ公爵家の家令であり、父でもある男の前に立っていた。
「彼女の支援という点では、一定の達成感があります。演奏も見事でしたし、舞台上での所作や姿勢も完璧に近かったかと」
「ふむ。だが、従業員としての自覚は、決して忘れるな」
厳しい口調に反して、父の眼差しは穏やかだった。評価をしながらも、甘やかさない──それが家令としての顔だった。
「引き続き、“マルセイユ公爵家従業員一同に対する成果”を意識せよ。それが組織に属する者の責任であり、お前に課した二つ目の課題となる」
「……はい。肝に銘じます」
俺は深く頷き、ふと安堵の息を漏らしかけ──その瞬間。
「しかし」
低く響いたその一言に、背筋が凍りついた。
「問題は、ルテティア様ではない。お前だ、アルセーヌ」
「……え?」
なにか、所作に不備があっただろうか。演目中は控えめに振る舞い、礼儀も守ったはずだった。
父は笑みすら浮かべず、淡々と告げる。
「子供の舞台に“大人より大人びた側仕え”が混ざっていたら、どう思われるか──考えてみろ」
──理解するのに、数秒を要した。
「何人かの貴族は、お前を異質な存在として捉えていた。あれは……悪目立ちというやつだな」
「……申し訳ありません。意図してのものでは……」
「わかっている。意図してやっていたら、それこそ危険だ、とも言われていたがな」
冷や汗が背中を伝う。
「このままだと私は、貴族教育の権化として奉られそうだな」
「え?」
沈黙の間に、父は静かに紅茶を口に運んだ。そしてふっと、目を細める。
「いや、最悪の場合、修羅を育て上げた鬼教官などという名で広まるやもしれん」
「そ、それは滅相もございませんっ……!」
「お前があまり目立ちすぎなければ、だがな」
にやりと笑う父の顔に、俺はさらに冷や汗を流す。
「はい。父上」
そして──父は最後に、こんな爆弾を落とした。
「ちなみに、“ポモドーロ・テクニック”とやら。あれを王立極光魔法学園で導入すべきでは、という話が上がっているそうだ。次世代の学習法を提唱した者にも、相応の話が届くやもしれないな」
「──っ、わ、私は、そんなつもりなかったんですけど!?」
心の底から叫ぶ俺に、父は満足げに微笑んだ。
「お、いいな。そういう反応だ。年相応の所作というのも、身に付けておけ」
──PDCA、これにて一区切り。
次なるサイクルの幕は、すでに上がり始めていた。
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