第六章 二人の寄り道が終わるまで

第66話 告白

 ――おぼろげに覚えている。


 広くて自由な海の上。澄み渡った空の下。

 船のデッキに立ち、潮風を浴びていた。


「ララ」


 ゆったりとした足取りでテオドールが向かってくる。銀色のイヤーカフが黒髪に映え、嬉しそうだ。


「無事に夜会を乗り切ったから、何か願いを聞いてやる」


 目の前まできた彼が、忘れかけていた口約束を引っ張り出したものだから。

 ずっと隣にいてください、と、簡単に心の内を吐き出した。

 

「ああ。分かったよ」


 彼が迷いなく頷いたから――

 

 これが夢だと、気付いてしまった。









 夜会の三日後。

 ララはテオドールと共に、王都で買い出しをしていた。

 視界いっぱいに広がる街並みは、絵画のように美しい。建ち並ぶ住宅はデザインに統一感があり、アーチ形を描いた高い窓が印象的だ。


 馬車に乗り込み腰掛けると、茶色いスカートの裾が座席に広がった。購入品が入った紙袋を抱え、中身を確かめる。

 

「ジャスパーの整髪料と、ヒューゴ様に頼まれたスパイスの本と……よし。あとはアルバート様へのお土産を買えば、おつかい完了です」


 最近休みを取れていなかったため、買い出し以外の時間は好きに過ごすようにと言われている。何をするべきだろうか。


「次の夜会の準備はしないのか? シアーズ侯爵夫人に誘われたんだろう?」

「うーん、それは……」


 昨日捜査局に現れたシアーズ侯爵から、アンジーについての報告を受けた。家族で話し合い、無事に仲直りできたそうだ。

 アンジーには生霊だった時の記憶が残っており、度々ララの話をするらしい。そうですか、と頬を緩めたララに侯爵が手渡したのは、シアーズ侯爵夫人からの手紙だった。


 依頼の礼も含め、今度は仕事ではなく友人として夜会に招待したいと書かれていた。友人という言葉に心が躍ったのは言うまでもない。しかし、ララは返事を保留にしている。

 

「行けば良いじゃないか」

「いや、あの、そのー……」


 誘ってもらえたことは嬉しいが、正直夜会に行っている場合ではないのだ。


「もしかして夜会って、八月十六日か?」


 鋭い。言葉を詰まらせると、テオドールが「やっぱりな」とつぶやいた。

 九日後のその日、――テオドールが神の元に帰る。夜会を楽しむような心境ではない。絶対に。


「踊るか」


 突然何を言い出すのだろう。


「最後の日、君と夜会で踊りたい」

「え? でもその日は、安眠の間が解けていますので」

「早朝に解けるんだろう? 家族の顔を見に一回家に帰るが、夜は空いてる」

「一緒に……いてくださるのですか?」

「初めからそのつもりだ」


 君と過ごすために俺はこの世に残ってるんだからな、と言われ、赤面する。ずるい。


「君が楽しそうに笑ってるところを、最後に一番近くで見たい」

「……ダンスが下手でも、笑わないでくださいよ」

「要相談だな」


 当日に向けてドレスやアクセサリーを買いに行くかと聞かれたが、遠慮しておいた。


「欲しいものとかないのか? シアーズ侯爵の依頼を達成したから、『君の願いを叶える』って約束を果たしたいんだが」

「それは……今は思いつかないので、考えておきます。実は両親が、次のドレスは自分たちが買うと張り切っておりまして」

「楽しみを奪うわけにはいかないか。じゃあ午後からはどうする?」

「せっかくなので、どこかに行きたい気持ちはあるのですが」


 ふーん、と相槌を打ったテオドール。


「なら、俺に付き合ってくれ――」









 テオドールの提案で訪れたのは、ミトス王国の観光名所のひとつ、ツェルソア植物園だった。

 怪訝な顔をする受付係からチケットの半券二枚とパンフレットを受け取る。


 広大な敷地がエリア分けされており、ハーブ園、バラ園、樹木園、……水辺の植物が観察できる温室なんかもあるようだ。

 正門から見えた黄色い花時計は午後一時をさしていた。時間によって別の花が開花し、色が変わるのだろう。


 興味津々で花を観察し、植物名ラベルを読み、パンフレットの順路通りに進む。

 大方見終わった頃には午後三時を過ぎていた。


「ボート楽しかったですね」

「相当変な目で見られてたけどな、君」

「もう慣れました」


 スイレンが浮かぶ池を手漕ぎボートで一周するエリアは新鮮だった。

 一人で乗る客は珍しいらしく他の客からじろじろ見られたが、最終的に華麗なオール捌きに拍手を送られた。テオドールは漕ぐのも上手だったのである。おかげでボート上の景色を満喫できた。


 最後のエリアに向かうため、テオドールと並んで緩やかな丘を登る。風が香りを運んでくる。弾む心に合わせて、歩くスピードが速くなった。


 軽やかな足取りでたどり着いたのは、ツェルソア植物園の目玉エリア、――無限に広がるラベンダー畑だった。


「わぁっ……!」


 まさに花園。満開のラベンダーが太陽の光を浴び、美しく輝いている。

 植物の紫と緑。空の青。調和のとれた景色が、自然と笑顔にしてくれる。

 感動を共有したくてテオドールを見上げると、彼はすでにこちらを見ていた。


「君が婚約破棄された日、次の休みに外出しようって話してただろ」

「ここに誘おうとしてくださっていたのですか?」


 あの時は道具屋に連れて行かれるのだとばかり思っていたが、違ったらしい。


「連れてきてくださって、ありがとうございます」

「……ん」


 欲を言えば自分だけでなく、彼も楽しんでくれていると嬉しい。


「テオはラベンダー、好きですか?」

「ああ、好きだよ。君が好きな花だから」


 話したことがあっただろうか。


「見てれば分かる」


 疑問を口に出していないのに心を読まれた。捜査官の彼にはお見通しだったようだ。ちょっとだけ悔しくなる。


「あなた、そんなに私のことばかり見ていたのですか?」


 今も、昔も。

 わざと冗談めかして言ったのに、テオドールは照れも不貞腐れもしなかった。かわりにふわりと、目元を緩める。


「なんだ、やっと気付いたのか?」


 胸が締め付けられるような、呼吸を忘れてしまうような、そんな笑顔だった。


(……ダメだ)


 限界がきていると自覚した時には、すでに口を開いていた。


「私、ラベンダーも好きですが、空と海が大好きなんです」


 どうしてか分かりますか? と問えば、テオドールは小さく首を傾げた。こればかりは、鈍感な彼には分からない。

 広いからでも、綺麗だからでも、自由だからでもない。

 

「あなたの色だからです」

 

 震える指先を、もう片方の手で握った。声がかすれないように、唾をのみ込む。


「『お願い』、今使わせてください」


 笑みを消したテオドールから、目を逸らさなかった。


「私、――あなたに愛していますと、言いたいです」

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