第3話 大地のおすそ分け
「グラント卿、アレまだ残ってますか?」
「あー、そろそろ切れるな。新しいのもらえるか?」
「はい。道具を片付けに行ってくるので、ついでに取ってきますね」
「頼んだ」
テオドールが頷いたのを確認して、ララはトランクを握り共同スペースの奥に向かう。数人の局員とすれ違いながら局内の廊下を進み、ララの個人研究室にたどり着いた。役職持ちになった時に与えられた部屋で、家よりもここで過ごす時間の方が長い。
扉を開くと、自分で揃えたアンティーク調の雑貨に迎えられた。トランクを机の横に置き、壁際の棚からガラス製の小瓶を一つ取り出す。そのまま部屋の
(うん。今回も綺麗に分離できてるわ)
ラベンダーオイルと蒸留水の状態を確認した後、別の試験管に視線を移した。薄紫色のトロリとした液体の中で、細かい魔法石が星のように輝いている。これはララが調合した特別製のアロマオイルだ。
元々自分用に作ったものだが、テオドールが疲れ果てていた時に渡したのがきっかけで、今では定期的に提供するようになった。
スポイトでオイルを吸い上げ、先ほどの小瓶に移し替える。この瞬間にふわりと漂う花の香りが、ララはたまらなく好きなのだ。
オイルで満たされた小瓶に
「お待たせしました。どうぞ、『大地のおすそ分け』です」
「助かる。……が、相変わらず微妙な名前だな」
「そんなこと言う人にはもうあげませんよ」
「素晴らしい名前で涙が出そうだ」
「わざとらしい」
制服の内ポケットに小瓶を入れたテオドールを、ララは口をへの字にして見上げる。
「怒るなって。名前は微妙だが効き目は抜群だと思ってるんだから。よく眠れるし、疲れが取れる」
「効果が出ているようで安心しました。でも働きすぎには気を付けてくださいね。この後も捜査局に戻られるんでしょうけど」
「肝に銘じておくよ」
二人揃って置き時計を見ると、テオドールが来てから三時間が経っていた。
「もうこんな時間か。じゃあそろそろ……あー、ララ」
木箱を抱えて出口に進みかけたテオドールが、急に振り向いた。
「なんでしょう?」
「次俺が来る時までに、仕事を休める日を確認しといてくれ」
「誰のですか?」
「君、
「あなたは評判が良いくせに口が悪いですね」
「慣れてるだろ。話の流れ的に、どう考えても君の休みだ」
「どうしてお休みなんて知りたいんですか?」
「外出する」
「……もしかして、私とグラント卿の話してます?」
「
「無理ですよ。外出するならカルマン卿――」
「の、許可が必要なので」と言いかけて固まった。そうだった。認めたくないが、もう許可は不要なのだ。なぜなら今朝、婚約破…………ああ、ダメだ。あまりにも自分が惨めで、現実を見たら負けな気がする。そう思い、目を泳がせた。
けれどもこちらの繊細な気持ちなど知る由もないテオドールが、またしても容赦なく言葉を放つ。
「さっさと
……この男。
「あなた、何回人の傷口を
「すまんすまん」
「絶対反省してない……。こっちは落ち込んでるのに」
「落ち込めるのなんて今くらいだ。すぐ忘れるよ」
嫌われ者のララにとって、二十歳で失った婚約者の存在は簡単に忘れられるものではない。テオドールだって分かっているはずなのに、彼は澄んだ色の瞳を細めて口角を引き上げた。
「休み、ちゃんと確認しておけよ」
どうにも違和感がある。正直なところ、テオドールと休日に出かける想像ができない。
彼は業務上、
(あ、分かった。……グラント卿、何か企んでるわね)
これが最もしっくりくる答えのように思えた。つまり次期公爵と嫌われ者の令嬢ではなく、捜査局の局長とそのお抱え魔道具職人の外出ということだ。
(そうなると、目的は魔道具の材料調達? グラント卿は王都に詳しいだろうし、安く良いものを仕入れるルートをご存知なのかも)
教えてもらえるのは嬉しいが、その場合、今より開発費を値切られそうな気がする。言い負かされないように相場をおさらいしておく必要がありそうだ。
(あとは王都の魔道具屋とか武器屋に連れて行かれる可能性もあるわね。一般的に出回ってる道具は知恵と工夫が詰まってるから、新作の勉強になりそう。こっちも予習が必要、と)
出かける前にやるべきことが多そうだ。これまでカルマンの命令に従って外出を控えていたため、未知なる体験となるだろう。足を引っ張らないようにしなくては。
ララはテオドールの顔を見上げ、大きく頷いた。
「お任せください。しっかり勉強しておきます」
「俺は君が何も分かってないことが分かった」
なぜかテオドールが呆れた表情を向けてくる。だが心配はいらない。今は知識不足でも、出かける日までには情報を叩き込むつもりだ。
「心配しなくても大丈夫ですよ。外出、楽しみにしてますね」
「……まあ良いか。俺も楽しみにしてる」
テオドールは片手をひらひらさせながら、開発局を出て行った。
テオドールの背中を見送った後、ララは開発局の局長、ヘンリー・モルガンと話し合いをしていた。
彼はララにとって母方の叔父であり、家から出られなかった幼いララを開発局に引き入れてくれた恩人でもある。
優しさが滲み出るような癖のある茶色の髪。髪と同じ色の瞳は、いつも穏やかに三日月型を描いている。
「――じゃあララがグラント卿に聞いた話だと、王城内の反乱分子は大方片付いた、と」
「はい。今後は王都以外にも捜査範囲を広げたいらしくて」
「なるほどなぁ。記録用魔道具を増やしてほしいっていう要請は、潜入捜査での証拠にするためか」
「そうみたいです」
「多少無理をしてでも、グラント卿からの依頼は引き受けるしかないね。あの仕事っぷりを見てると文句言えないもんなぁ」
「陛下とのお約束では、五年以内に王城内の
「うん。みんな難しいだろうって言ってたけど、彼は三年でやってみせたから」
「見事なものですねぇ。今回の依頼も私が引き受けて良いですか?」
「もちろん任せるよ。……ララは辛いだろうけど、カルマン卿が婚約破棄してくれて助かっちゃったなぁ。ララの退職は
「そう言ってもらえると、少し救われます……」
カルマンと結婚するため、ララは二ヶ月後には退職する予定だった。虚しくもその未来は消え去ったわけだが、ララが残ることを局員たちは喜んでくれている。その点が唯一の救いだった。
「今後も仕事を続けることは、明日お父様たちにも伝えておきます」
「ああ。久しぶりに帰るんだから、ゆっくり話しておいで」
「上手く話せるでしょうか……。婚約破棄の件で、二人を悲しませてしまうのが申し訳なくて」
「私にも姉さん達の気持ちは分からないけど、悲しませたくないなら、ララが好きなことをして楽しく生きるのが一番だと思うなぁ」
「楽しく生きる、ですか……」
これまでの人生、霊が見える体質を気にして、楽しもうと考えたことなどなかった。どうすれば他人と同じように過ごせるのか。どうすれば『普通』の令嬢になれるのかと、そればかり考えてきた。
「……普通じゃなくても、楽しく生きられるのでしょうか?」
不安を漏らすと、叔父がくすくすと肩を揺らす。
「ララはジャスパーと仲が良いんだから、答えは分かってるんじゃないかい?」
「ジャスパーですか?」
突然出てきた名前に、目をぱちくりさせる。
「どうして今の話にジャスパーが関係あるのですか?」
「んー? 普通っていうものが世間の多数決で決まる場合、彼は間違いなく――」
「お二人さーん、話終わった?」
叔父の言葉を待っていたかのように、聞き慣れた明るい声が近付いてきた。ゴロゴロと台車を押す音と共に。
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