エンディング目前の半透明な令息と、60日の寄り道を

杏野 いま

第一章 普通を夢見た霊感令嬢

第1話 終わりの日

「死んだ俺の最後の願いを、叶えてほしい」

「…………へ?」


 戸惑いと悲しみの中に、ほんの少しの好奇心を入れて飲み込んだような、複雑な気分だった。それゆえにララは、間の抜けた声を出すことしかできなかったのだ。


 真っ直ぐにこちらを見つめる、凛々りりしい青年。

 彼の願いを叶えることは、きっと自分には難しい。だが同時に、頷く以外の選択肢がないような気もする。そう考える理由は三つ。


一.青年は王立犯罪捜査局の局長だが、高貴な身分と数々の功績からは想像がつかないような、『良い性格』をしている。

二.おそらく現段階で彼の姿を視認できる人間は、ララじぶんだけである。

三.なぜなら彼は、数時間前に亡くなったらしく……何度見てもだからだ。


 どうか気のせいであってほしいのだが、とてつもなく、何かに巻き込まれそうな予感がする。

 彼の願いとは一体何なのか。

 ララは真剣に考えながらも、頭の片隅ですでに悟っていた。


『これってもしかして、昨日の婚約破棄よりも厄介なのでは……?』と。





◇◇◇





「オルティス伯爵令嬢、君との婚約を破棄することにしました」


 ララの婚約者、チェスター・カルマンがそう告げた。彼の書斎に通されてから、わずか数十秒後のことである。

 ついに恐れていた事態が起きてしまったのだ。


「……理由を、教えていただけますか?」

「理由?」

「婚約破棄の、理由です」


 カルマンと婚約してから、すでに十年ほど経っている。

 婚約の際にカルマン家から提示された条件はララの家には不利なものだったが、両親は無理をして縁を結んでくれた。嫌われ者のララのために。

 だからララも耐えてきたのだ。カルマンに何度傷つけられても、誰にも言わず、耐えてきた。


 これ以上、両親に迷惑をかけたくなかった。

 

「私は今まで、一度も契約違反を犯していません。仕事で関わる方以外には顔を知られていませんし、私的な外出もしていません。カルマン卿に秘密だと言われたことは、両親にだって話していません。それなのになぜ、急に婚約破棄なんて……」


 これまでの不当な扱いを思い出し、視線を下げる。すると突然、右腕をカルマンに掴まれた。驚きと痛みで思わず眉を寄せる。


「……っ。離して、ください」


 逃れようと腕を引っ張ってみたが、痛みが増すばかりだった。八つ歳上のカルマンに力を込められれば、ララには振りほどきようがない。


「君は勘違いしているようですね。契約を守れば私と君が対等になるとでも思っているのですか? そもそもオルティス伯爵家が王国一の造船技術を持っていなかったら、君みたいな呪われた女と婚約するはずないでしょう」

が見えるのはただの体質で、呪われているわけでは――」


 ここまで言って、ララは気付いた。カルマンが拳を振り上げたことに。


「もう良い。少し、黙りなさい」


 珍しく反論したのがまずかったようだ。身を小さくしてぐっと目をつぶる。すると同時に、一つの考えが頭をよぎった。


 ――そうか。やっと終わるのか。


 これを耐えれば、今だけ我慢すれば、もう暴力を振るわれなくて済む。

 おかしな話だ。婚約破棄を望んでいなかったはずなのに、長年の苦痛から解放される未来に安堵あんどする自分がいる。


 歯を食いしばって衝撃に備えた、その時。扉をノックする音が室内に響いた。

 恐る恐る目を開けると、カルマンが外に向かって声を投げた。


「誰だ」

「ハンクでございます。商会の方がいらっしゃいました」


 唐突に二人の時間に終わりを告げたのは、カルマンの従者の声だった。


「分かった、すぐ行く」


 ダークブロンドの髪をかき上げ、短く返事をしたカルマン。そのまま退出するのかと思いきや、彼の手は再びこちらに伸びてきた。乱暴に髪を掴まれ、無理やり顔を近付けられる。


「婚約を破棄するにあたって必要な書類は、すでにオルティス家に送っています。もう会うことはないでしょう。……君に会えなくなると、痛めつけられる相手が減ってしまうので、少々残念ですが」


 軽薄そうな笑顔。それは、ララの背筋を凍らせるには充分だった。


「せっかくの美貌びぼうがもったいない。ミルクティーのような甘やかな髪も、白い肌も、神秘的なアメジストの瞳も……。呪われてさえいなければ、嫌われることもなかったのに」


 ララが貴族に嫌われている理由は、ある体質が原因だった。物心ついた頃から、普通の人間には認識できない存在が見える。

 彼らの体は物や人をすり抜け、重力に逆らい宙に浮く。――いわゆる『霊』というやつである。


「皆本当の君を知らない。口を聞いたことも、顔を見たこともない。それなのに噂は勝手に広まる。『呪われた令嬢』『わがままな親不孝者』『不吉な痣』『目が合うと呪われる』なんて話もありますね。実際は死人が見えるだけの、なんの取り柄もない人間なのに。……まあ噂の一番の被害者は、君ではなく君のご両親でしょうけど」

「……父も母も、そんな風に思っていません」

「なぜそう言い切れるのですか? ご両親が君を責めないのは、とうの昔に諦めているからでは?」

「それは……」


 彼の言葉を毒のように感じてしまうのは、きっと自分が世界で一番、自分を嫌いだからだろう。

 両親には散々迷惑をかけてきたが、責められたことは一度もない。一人娘のせいで苦労しているはずなのに。彼らは少しも、悪くないのに。


 何も言い返さないララを見て満足したのか、カルマンが髪から手を離す。そしてゆっくりと扉に向かって歩き始めた。


「オルティス伯爵は君を他の令嬢と同じように婚約させるため、どう考えても不利な条件で我が家と契約を結びました」


 ――分かっている。そんなことは、誰よりも。


「娘しか授からなかったとしても、オルティス家には圧倒的な技術と財力があります。本来なら養子に入りたがる人間だって簡単に見つかるはずなんですよ。娘がララ・オルティス……君でなければ、の話ですが」


 扉に手をかけたカルマンが、顔だけをこちらに向ける。あわれむように見せかけて、実は喜びを隠しきれていない、そんな表情で。


「今までのこと、誰かに話しても無駄ですよ。君の言葉なんて誰も信じません。君は何の役にも立たず、生きているだけで家族を不幸にする。夫人も思っているのではないですか? こんな呪われた娘なんて――」


(ああ、痛い)


「『産まなければ良かった』って」


 ずっと不安だった。他人と違う自分の体質。知らぬ間に広まる、身に覚えのない噂。

 それを受け止め続ける両親の心の中が、見えないから。



 ――人の本心なんて、分からないから。

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