第九話

「だって、世の中にはとても面白いお話が無数にあります。今回選ばれなかった作品にだって、凄いお話がたくさんあるんです。それなのに……」


 南原朝日の繊細で壮大な物語を思い出す。張り巡らされた伏線が多く、先の読めない展開は引き込まれるものがあった。

 猫教竜胆の軽やかでスピード感のある物語も面白かった。大まかなストーリー自体は昨今の流行をふんだんに取り入れており、一見すると量産されたテンプレート作品のようにも見えるが、その実アッと驚くような斬新な設定が目を引いた。

 他にも、穂乃果の話よりも面白い良作が数多にあるはずなのだ。


「なるほどね、色んな人のお話を読んでいるうちに、自信がなくなっちゃったのね。そうねえ……」


 学人がチラリと美和に目を向ける。視線だけで意図をくみ取ったらしい彼女が促すように掌を上に向け、どうぞと言うようなジェスチャーをする。


「穂乃果ちゃんに、とある女の子の話をしてあげるわ。彼女も小説を書いていたんだけどね……」


 ある日、禁断食堂に一人の女子高生がやってきた。小説を書いているという彼女は、学人が文章から食材を出す姿に感動し、毎日のように来るようになった。


「ここで出す料理は、もとは文字からできているから、時間が経てば文字に戻るのよ。文字はお腹を満たしはしないけれど、心を満たしてくれるの。その女の子が言うには、小説のアイディアも浮かんでくるんですって」


 食べると気持ちが上向きになり、自然と良い考えが浮かんでくる。そうしてその女の子は、学人の作る料理の虜になっていった。


「それはもう、よく食べたわ。次から次へと、作ったものをすぐに食べ、それを力に小説を書き、また来店するとお腹いっぱい食べて小説を書いてたみたい。何かに突き動かされるように、病的なまでに食べては書いてを繰り返していたの」


 心配になった学人は、そんなに食べてはかえって毒になるのではと忠告した。普通の栄養を取りすぎては病気になってしまうように、心の栄養だって取りすぎては病んでしまうかもしれない。


「でも彼女は、どうしても面白い小説が書きたいんだって言ってたわ。親友にとても優秀な子がいて、その子に本当に面白いって言わせたいんだって」

「その子は、面白いって言ってくれてなかったんですか?」

「言ってたのよ。でも、女の子が何を書いても“面白い! こんな話が書けるなんてすごいね!”って言ってたの。女の子はね、その子が純粋に話を面白く読んでいたわけじゃなく、だから面白く読んでいたんじゃないかって思ったのね」


 なんとなく、女の子の気持ちがわかる気がした。

 作者名を伏せていたら評価されないような話でも、その人が書いたのだからと無条件に評価されてしまう。甘く優しい誉め言葉のぬるま湯につかっているうちに、本当にこれは本心なのだろうかと疑心に苛まれる瞬間があるのだ。


「でもね、あの日は違ったの。女の子は食堂に入って来るなり、険しい顔で“自分の話から料理を作ってほしい”って言ったのよ。美和ちゃんが言ったとおり、作者は自分の話に出てきた料理を食べることが出来るわ。私はそのルール通り、彼女に料理を提供したわ」


 思いつめたような女の子の表情が気になったものの、学人は書きあがったばかりだという彼女の話を読み、求めに応じて料理名をコピペした。

 出来上がったのは、見るからに美味しそうなチャーハンで、焦げた醤油の香りが食欲をそそった。


「お米もパラパラで、ツヤツヤしてた。卵は綺麗な黄色で、細かく切ったチャーシューも脂がのってたわ。非の打ちどころのない、綺麗なチャーハンだった」


 女の子は躊躇いながらもレンゲに一口すくい、しげしげと見つめた後で目を瞑って口に入れた。

 無言のまま咀嚼し、ゴクリと飲み込むと力なく微笑んで頭を振った。


「美味しくない。彼女はそう言ったわ。見た目だけで何の味もしない、不味いチャーハンだって」


 それでも女の子は、目に涙を溜めながらチャーハンを食べきると手を合わせた。


「お粗末様でした。そう言った後にね、笑いながら、もう小説は書かないって言ったのよ」

「補足しますと、見た目って言うのは文中に描写があればそのまま出てくるんです。でも、味って描写が難しいじゃないですか。しょっぱいとか甘いとか、大きなくくりは出来ますけど、極上の味なんて書いたところで、曖昧ですし。だからなのか、味には作者の熱意とか力量とか、そう言うのが出るんです」


 それまで黙って聞いていた美和が口をはさむ。どこか照れたような、はにかんだ表情で微笑んでいた。


「結局、親友に面白いって言わせたいっていう意地だけで書いてたんです。ちゃんと物語に向き合うことができなかった。だから、味が無かったんです」

「あの……今の話って、もしかして……」

「昔の話です」


 美和がさっぱりとした表情で言い切ると、穂乃果を真正面から見据えた。


「私は、良い作家にはなれませんでした。けれど、良い話を見抜く目はあると思っています。胡桃先生の作品は、自信をもって素晴らしいと言えるだけの魅力がありました」


 真っすぐな瞳に、嘘や偽りはなかった。


「さぁ、穂乃果ちゃん。どうするの? 他の人の話から材料を集めて何か作っても良いのよ」


 もしかしたら、穂乃果の話も美和の話同様に味が無いかもしれない。

 果たして自分は、本当に真剣に物語を向き合っていたのだろうか。その結果を確かめるのが、怖かった。


(でも……今逃げたら、きっと永遠に分からない)


 穂乃果はグッと顎に力を入れると、学人を見上げた。


「……ミルヒライスを、お願いします」

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