第七話
「それで、穂乃果ちゃんは何か食べたい物はある?」
いまだに人魚の肉の衝撃から立ち直れずにいる穂乃果に、学人が朗らかにそう問いかける。
メニューがあるお店でさえ、あれこれと悩んで決められないというのに、選択肢すらない場合はさらに悩んでしまう。次々と浮かんでは消えていく料理の名前に、持ち前の優柔不断さが顔をのぞかせかけたとき、美和がスっと手を挙げた。
「あの、ぜひ胡桃先生に食べていただきたいものがあるんです」
美和が学人に何かを耳打ちし、思案顔の彼が本棚から一冊の本を呼び寄せる。美しい七色の虹がかかったその表紙は、穂乃果には馴染み深いものだった。
「魔石から描く虹を越える……」
「これ、穂乃果ちゃんの本よね? 美和ちゃん、ここのルールは知ってるでしょう?」
「もちろん。本の中に出てきた料理をそのままコピペすることは出来ない、ですよね? ただし、例外が一つだけ」
美和が人差し指を一本だけ伸ばし、内緒話をするように口元に当てると真っすぐに穂乃果を見つめた。
「作者に限り、作中の料理をそのまま食べる権利を有する」
「そうよ、分かってるじゃない。それなら、美和ちゃんがリクエストしたところで、穂乃果ちゃんに提供することは出来ないってわかるわよね?」
「あ、あの……どうして作者しかそのまま食べることができないんですか?」
穂乃果の問いに、学人は愛しそうに本の表紙を撫でると、小さな声で呟いた。
「人さまが必死に作り上げたものを、勝手にコピーして売ることはいけないことだからよ。誰かが穂乃果ちゃんの書いたものをそのままコピーして売ってたら、良い気がしないでしょう?」
「それはそう、ですが……でも、本として売ることと、料理として出すことは違うと思います。だって料理名って、たった一言じゃないですか」
卵としてコピペすることも、目玉焼きとしてコピペすることも、大きな違いはないように思う。どうせ目玉焼きを作るのなら、卵と火に分けるよりも、目玉焼きとして出してしまったほうが早い。
「たった一言ではないのよ。料理って言うのはね、一言でできるものじゃないのよ。その料理が出来上がるまでの工程や、作り上げた人の思い、作った人がそれまで歩んできた人生、全てが詰まっているのよ。たった一言でも、そこに至るまでに何千字、何万字も費やしているの」
学人がギュっと、大切そうに本を胸に抱く。今まで何冊も見てきた自著が、突然特別なもののように思えて、穂乃果の頬に微かに朱がさした。
「あのですね、胡桃先生。ここって一応食堂じゃないですか? 当然、食べたものには対価を払うんです。……まぁ、学人さんそこのところ結構いい加減なので、お客さんに無料で食べさせちゃう場合も多いんですが」
美和から意味ありげな視線を向けられ、学人は胸を抑えると俯いた。どうやら、身に覚えがあるようだ。
「でも、コピーした分の料金はキチンと作者さんに払ってるんです。……太っ腹なまでに無料で提供しているのに、どこからそのお金が出ているのかは未だに分からないですが」
先ほどよりも鋭い視線から逃げるように、学人が明後日の方向を向く。その部分には触れてほしくないようだ。
「料金はコピーした言葉がどれだけ物語に関わっているのかで変わってくるんです。例えば、先ほど胡桃先生が拒絶した人魚の肉なんかは、コピーする部分によってはそこまで高額にはならないんです」
食用として登場し、すぐに解体された人魚の肉は比較的安価で提供することができるが、物語に深くかかわってくる人魚の肉を使用する場合は、かなり高額になるらしい。
肉の一文字にどれだけの物語があるのかによって、値段は変わってくるのだ。
「そう言えば、ウィスティリア・ネームレスのレッドスカイファイアードラゴンの肉を誰かに提供してたようですが、まーさーかー無料で出した……なんてことはないですよねえ?」
威圧的に迫る美和だったが、学人は首を不自然なほど反らせて熱心に天井を眺めている。蛍光灯くらいしかないはずなのだが、美和の話よりも重要な何かがあるとでも言いたげに見つめ続けていた。
しかし、目がだいぶ泳いでいるところを見るに、かなり痛いところを突かれているのだろう。先ほどから美和は、学人に対して容赦のない有効打を打ち続けている。
「ちょっとそのお話は後で詳しく聞くとして、そんなわけで、料理なんかを出した日には高額な値段になるんです。さっき学人さんが説明したように、料理って言うのは必ず作り手がいますし、例え本文には書かれていないとしても、作るっていう工程がありますから」
「……あのね、料理って言うのはいうなれば結末でしょう? 他人の私が人様の作った結末をかっさらうのはどうかと思うのよ。他人の褌でお金をいただくなら、それなりにルールがないといけないと思ってね。それに、料理名をコピーしてドーンって出すのもどうかと思ってね」
「私は、定期的にお金を頂かないのもどうかと思うんですけどね」
戻ってきていた学人の視線が、再び天井へと上っていく。
料金のことに関しては、触れてほしくはない話題のようだった。
穂乃果は二人のやり取りを微笑ましく見ながら、美和に目を向けると首を傾げた。
「ところで、榎並さんが私に食べてもらいたい料理って、何なんですか?」
「ミルヒライスです」
ミルヒライス。
そう言われても、穂乃果は自著のどこに出てきた料理名だったのか、すぐには思い出せなかった。
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