第五話

 ようこそと言われても、ポッカリと空いた中央部に申し訳程度に並ぶテーブルとイス以外に食堂らしい部分はなく、お洒落な本屋と言ったほうが通るだろう。最近では、ソファーが置かれ、立ち読みならぬ座り読みが出来る少々洒落た書店まであるのだから。


「ここ、本屋ですよね?」

禁断コピペ食堂だって言ったでしょう? 本当、姉弟そっくりね!」


 普段は千早と似ていると言われることはほぼないため、ほのかな嬉しさがつい頬を緩めそうになるが、十夜は口元に力を入れるとあえてしかめ面をした。


「だってどう見ても、本屋ですし」

「千早ちゃんから聞いてないの? ここでは何が食材になるのかって」

「食材って……あっ……」


 ぐるりと周囲を見渡す。これでもかと並ぶ背表紙を眺め、千早から送られてきたメッセージの言葉を思い出す。


「小説から、料理を作る」

「そうよ。良かった、千早ちゃんはきちんと伝えてくれてたみたいね」

「でも、そんなことあり得ない」

「あら? どうして?」

「だって、文章をコピペしたら食材になるなんて、そんなの現実的じゃない」

「それは、十夜君が見たことが無いってだけじゃない?」


 男性が不敵に微笑みながら、一本だけ伸ばした人差し指をクイと曲げる。気障な呼びかけに応え、一冊の本が棚から飛び出してくると空中で止まった。


「て、手品?」

「さあ、どうかしら。手品だと思うのなら手品かもしれないし、魔法だと思うのなら魔法かもしれないわ。ただ、私は本を呼ぶことができるってだけよ。わんちゃんや猫ちゃんを呼ぶのと同じ。ほら、不思議と動物に好かれる人っているじゃない? その人が呼ぶと、どんなに気難しく他人に懐かない子でも駆け出して行ってしまう、そんな人。彼らと一緒よ」


 何でもない風に言ってのけるが、犬猫と本は違う。

 意思の疎通ができないだけで動物は生き物であり、本はただの物だ。そこに意思はない。


「動物と本は違うって思ってる顔ね。そうね、確かにそうかもしれないわ。動物は傷つけても捨ててもいけないけれども、自分で買った本ならばそれをしても咎められないわ。生物と無生物に分類されているからね。でもそれは、本と意思の疎通ができない人が作ったルール。私にとっては、本は生き物なのよ」


 空中で浮かぶ本から、鳴き声が聞こえた気がした。

 今まで聞いてきたどんな生き物の鳴き声とも違っていたが、不思議と嫌な感じはしなかった。どこか懐かしさを感じる、子守唄のような音でもあった。


「本は、生き物……」

「本だけじゃなく、そこに誰かが命を吹き込んでいるなら、文章だって生き物になるわ。まぁ、食材として育つためにはそれなりに大きく……つまり、文章量がないとなかなか難しいんだけれどね」


 どうやら、焼肉と書いた文字をコピペするだけでは食材にはならないらしい。

 お手軽に食糧問題を解決することは難しいようだ。

 男性が空中に浮かぶ本に人差し指で指示を出すと、ページが音を立てて捲られていく。まるで風で捲れているかのように自然な動きで進み、ピタリと止まると男性の手の中に下りてきた。

 長い指が本の表面を上から下に撫で、黒い文字が剥がれると空中に浮かんだ。


【ニコルがってきたのは 虹色にじいろひかたまごでした】


 卵の一文字を男性が撫でれば、虹色に輝く卵に変わった。大きさは鶏の卵くらいだが、表面はツヤツヤと光沢を帯びており、真珠のように輝いていた。

 男性がパチリと指を鳴らせば、卵が割れて中からオレンジ色の卵黄が透明な卵白に包まれて滑り落ちてきた。プックリと膨らんだ卵黄は摘まめそうなほどに新鮮で、白いご飯が欲しくなるほどに美味しそうだった。

 思わずゴクリと喉を鳴らせば、連動してお腹がか細い鳴き声を上げた。忘れかけていた空腹が、十夜の胃を刺激する。


「ね? 文字からでも食材は出来るでしょう?」


 どこか得意げな様子で男性はそう言うと、艶やかな卵を指先で撫でた。とたんに、卵は文字のへと変わった。

 歪な形のは、外側が大きく開いており、内側が垂れ下がっていた。逆三角形のような形をしたは、室内の空調に攫われるように飛ばされるとボロボロと崩れ、やがて消えてしまった。


「……どんな文章が、食材になるんですか? その、“命を吹き込む”って、どうすればできるんですか?」


 本に帰宅を命じ、きちんと棚に帰る様子を愛し気に見つめていた男性が、驚いたように目を見開いた。近くで見ていて気づいたが、男性の瞳は明るいヘーゼル色をしていた。瞳孔を囲むように虹彩には花びらのような模様が描かれており、ヒマワリを連想させた。

 素直に美しい瞳だと思った。

 じっと見つめていると、男性がふと目をそらした。それは別段、見つめられて羞恥にかられたというわけではなく、考え込む際に自然と視線が足元に向いたという様子だった。


「もしかして、十夜君が悩んでいる理由はそれなのかしら?」


 ややあってから、男性が確かめるようにそう尋ねてきた。バチリと目が合い、今度は十夜のほうが逸らした。なんとなく、彼の綺麗な目を見つめていると心の内まで見透かされてしまいそうな気がしたからだ。


「別に悩んでいるとか、そう言うのではなくて、純粋に興味と言うか」


 嘘だった。

 十夜は切実に、文章に命を吹き込む方法が知りたかった。

 今回の受賞作よりも、十夜の書いた話のほうが明らかによく出来ていたはずなのだ。それなのに、十夜の話は選ばれなかった。

 選ばれた物語と選ばれなかった物語。その差は、命を吹き込む方法を知っているか否かではないかと思ったからだ。


「ふぅん、純粋な興味、ねぇ」


 全く信じていない口ぶりでそう言うと、男性が一瞬だけ十夜を試すような視線を投げかけたが、すぐに人の好い笑みを浮かべた。


「すごく簡単なことよ。嘘であるはずの物語を信じる、それだけ」

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